2007-08-12

80年前の俳壇総覧 橋本直

近代俳句の周縁 2   80年前の俳壇総覧
 昭和四年刊改造社『現代日本文学全集38現代短歌集・現代俳句集』
  


橋本 直



改造社「現代日本文学全集」のシリーズは、「円本」の名で知られ、この手の企画本の原点といえる。ここでこまかく紹介するまでもなく日本の近代文学史いや文化史において重要で、これと岩波文庫が貧乏作家に富と名声をもたらした(とまでいうと大げさかも知れないが)らしい。この「円本」誕生の経緯などについては松岡正剛の千夜千冊「松原一枝『改造社と山本実彦』に面白いことが書いてあるので参照されたい。

さて、この第38巻は短歌と俳句で一冊である。計543頁。巻頭に明治天皇と昭憲皇太后の御製を入江為守筆で載せ、作家一人一人の肖像写真(ときどき画)が入り、章末には掲載作家の簡単なプロフィール一覧(「諸家略年譜」)が付けてある。巻末には短歌史を斎藤茂吉、俳諧史を高浜虚子が執筆し、この1冊で明治~大正の歌壇俳壇の代表作家をほぼ総覧できる体裁になっている。本稿では、作家作品の紹介ではなく、特に俳句側を中心に、その作られ方に焦点をあてたいと思う。

まず配列の方法について。先に書いたが短歌はそもそも冒頭の天皇の御製に始まるわけで、本編でもその流れで維新の功労者、御歌所派の歌人が並び、その後「浅香社」、「明星」、「スバル」の歌人等々が続いて、終わりのほうに「アララギ」の歌人がならぶ。すなわちほぼ文学史順とはいえ、「お偉い方々」を立てて、茂吉の内輪は後のほうに並べていることになる。

対して、俳句の配列は、まず旧派宗匠俳人が17人。次に「日本」「ホトトギス」関係俳人が85人。非ホトトギスの有季定型(「懸葵」「石楠」の大須賀乙字や臼田亜浪ら)10人。そして新傾向や自由律(「三昧」「層雲」「海紅」の碧梧桐、井泉水、一碧楼ら)33人。「秋声会」(巌谷小波、伊藤松宇ら)21人。文人俳人4人(万太郎、龍之介、三汀、犀星)となっている(ちなみに女性は4人しかでてこない)。俳壇史的流れに沿って冒頭には旧派宗匠がおいてあるものの、後はあくまで有季定型派が先で無季自由律派は後まわし。さらに秋声会や小説家のような趣味派?は最後にまわされてしまっている。いたって「ホトトギス」中心的で素っ気ない。そのころの短歌と俳句の有り様と、茂吉と虚子の歌壇俳壇における態度を反映しているようにもみえる。

さらに「ホトトギス」の中の配列を細かく見ると、子規の後に鳴雪がくるのはわかるとしても、その後が松浦為王、峯青嵐、渡辺水巴、庄司瓦全、虚子、西山泊雲、野村泊月、岩城躑躅……と並び、現在著名かどうかはおくとしても、年月日順でも、アイウエオ順でもない。子規以来の古参をたてた順かとみれば、阪本四方太や藤野古白、新海非風とかは後に出て来て、漱石や東洋城にいたっては最も後方である。初期ホトトギスは会員同人制ではなかったから、同人になった順も無理があるだろうし、この配列方法はちょっと謎である。なんらかの論功行賞のようなものだったであろうか。

次にページ割りについて。1人あたりのページ割りは、短歌俳句とも1ページから最大で3ページまでなのだが、3ページあるのは、短歌では落合直文、与謝野夫婦、白秋、啄木ら大御所や著名作家で、23名いる。それに対して、俳句はたった4人しかいない。すなわち、内藤鳴雪、正岡子規、高浜虚子、河東碧梧桐のみ。この4人だけが別格と言うことになる。2ページある作家も、村上鬼城、松瀬青々、石井露月、青木月斗、矢田挿雲、夏目漱石、松根東洋城、大谷句仏、大須賀乙字、臼田亜浪、荻原井泉水の11名しかいない。人数的にはずいぶんアンバランスで、いま名高い作家達も、ほとんど1ページしか与えられていない。このページ割りを意地悪く見れば、「載らない作家」→「1ページ作家」→「2ページ作家」→「3ページ作家」で俳壇の権威のヒエラルキー構造を構成図示したとも見える。さて、それはどこまで既にあるものをなぞったものか、この本で新しく生まれたものか。特に後者はなかなかに興味深い。

ところで、巻末の短歌史と俳諧史であるが、冒頭、明治天皇と昭憲皇太后の歌を入江為守が書いたものが載っている以上は、斎藤茂吉の短歌の解説「明治大正短歌史概観」はこの2人から始まらざるをえないのだが、茂吉はこの短歌史を実に68ページも書いている。レイアウトが21字×24行×3段だから、単純計算で400字詰めで約260枚ほどにもなる。今時の新書にすれば、内容のうすいものなら一冊分くらいには相当しよう。

一方、虚子の手による「明治大正俳諧史概観」はたったの8ページ。これもまたえらくアンバランスである。本のタイトルが「現代俳句集」なのに「俳諧史」と書くところもまたアンバランスだ。短歌と違い皇室がらみの記事になるかならないかによる配慮の差があるとはいえ、この圧倒的な分量の差は、それだけでは説明がつかない。虚子は書くのを露骨にいやがっている。冒頭部で自分はこんなものを書くのは適任でなく、改造社がどうしても書けというから書くが、子規より後のことは「ホトトギス」を出ていった連中や外の派のことはさっぱり知らないので「名前を列記するだけでも、『ホトトギス』一派のみ詳しくならうとする傾きがある。私は努めてこれを避けたいと思つたが、しかし尚遂にその譏りを免かれ得ないであらう」とちゃっかり書いている。茂吉の大変丹念な仕事ぶりにくらべ、このような、人を食った書きようは、いかにも虚子らしい。

最後に、選び方について。この「現代日本文学全集」所収の俳人は、どういう基準で選ばれたのであろうか。おそらくは各有力俳人の推薦を編集部で集め、虚子が正否を決めたのではないかと思われる。というのは、ある子規直系の俳人を調査中、その人物の運営していた雑誌の記事で、井泉水が自分を「現代日本文学全集」に載るよう推薦してくれて喜んでいたのだが、結局載らなかったので納得がいかず、不掲載の理由を改造社の編集部に直接尋ねたところ、ある大家に反対されたからだと言われたと書いてあった。名前は伏せてあるが、井泉水の意向を蹴る権限のある「大家」となれば、まず虚子だろう。先に「この一冊で明治~大正の歌壇俳壇の代表作家をほぼ総覧できる」と書いたが、あくまで「ほぼ」であって、作品の優劣ではなく落とされた作家は少なくないと想像する。

上記のように、文学全集の中に俳句をいれると、作り方はえらく権威主義的になったようである。この円本の後、戦後も各社が「○○文学全集」の類を続々出したが、いまや図書館と書斎の置物と化しているか、古本屋の店先の1冊100円のコーナーに売れないでずっとおいてある。もはや、このような企画が世に出ることは考えにくい。が、もし、昭和~平成の俳壇の代表作家を総覧できる選集ができるとすれば、どのような方法がふさわしいだろうか。また、現在までの俳壇史の流れをどうまとめたものだろうか。

0 comments: