2009-08-16

俳句甲子園うちらの場合 佐藤文香

夏休みグラスに砂を満たしけり
〜第12回俳句甲子園 うちらの場合〜
……佐藤文香



既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、私は松山西中等教育学校の国際文化文芸部の生徒と俳句を作っていました。
とにかく私は、松山西中等教育学校のメンバーと俳句が好きでしょうがない。だから、俳句甲子園なんて実はどうでもいいんです。

ウソです。本気でした、うちら。
うちら、というのは、松山西の彼ら彼女らと、私。

4月の末から毎週会って、「マジこの句なら勝てるって!」と臨んだ地方大会は予想外の敗北。投句審査で通過してから彼らは必死で句を作る、ホント俳句楽しんでる暇なんてなかった。句会もほとんどしなかった(句会って効率悪いんです、初心者同士の互選で下手な句が選ばれてる時間が惜しいから)。

いいと思う句やいいと言われてる句はだいぶ見せました。歳時記の読み方とか無季のこと、定型と破調、類想についても私なりに伝えた。私が何をいいと思うか、また一般的に何が良しとされるかは、つとめて言うようにしました。吟行も少ししました。私は彼らのノートやメールの句を見ては、「これは全然ダメ。これはここがめっちゃイイ。この句はいける」などと言いました。はじめは恐れられたかもしれないけど、私だって怖かったです。だって、彼らも顧問の先生お二人も、私でさえも、この暴力的な私の目を信じるしかないんだもの。

(思ったんだけど、結社の主宰って、もしかしてこんな不安抱えてるのかな。ただ松西の彼らは、私を選んだんじゃない。俳句を作るときに、私がいたんだ。よく「2人目の師が本物」的なこと言うじゃないですか。私は僭越ながら1人目の師として彼らを俳句と出会わせた。だから、もし「いい!!」って思う作家が現れたら、その人を慕って、なんなら私を離れていくのがいいなと心から思ってます。すでに1人は高柳克弘さんにゾッコンだし、正木ゆう子ファンも出そうだし、これからもっといろんな人の俳句紹介するんだ、ようやく。嬉しいし、楽しみです。)

既成の枠組みで高く評価される作品を作るのは、その作品で勝つのは、大変だ。開成高校の三村一貴君なんか、「全山の葉を打つて止む夕立かな」ですよ。これに勝てって、そりゃーあなた、俳句は勝ち負けじゃないけども、この類の作品で考えたら、この句ほぼ満点でしょう。こっちは俳句始めて3ヶ月の子らです。同じ土俵で戦ったって勝てないことくらい、2回会えばわかります。でも2回会ったら、もしかしたら優勝できるかもしれないってのも、わかったんです。

水着持ちて水泳帽のある情緒   田中志保里

バナナあり仏蘭西人形の影に   上田悠里衣

浮世絵の大見得を切る夏野かな
  那須聖司


スタートの位置に一列水着揃う
   佐藤秀斗

俳句甲子園はディベートをしないといけないから、同じレベルの魅力なら「守れる句」が強い。有季定型のわかりやすい写生句は、その意味では、かなり強いんです。ただ、はじめからその句ができるならいいけれども、初心者に強固な句を作らせるのはかなり強制や矯正が必要になってくる。そんなのはしたくない。

としたら、欠点はあっても凄い魅力がある句を目指さないことには、面白く勝つことができない。ただ「凄い魅力」っていうのは、人によってさまざまだから、審査員がわかってくれない可能性もある、というのは常に言っていました。表題句、岩本薫梨の「夏休みグラスに砂を満たしけり」は、旭川東高校・今井悠さんの「夏休み午後の世界が歪みだす」に3−0で負けました(予選Eブロック対戦表)。


松山西は予選リーグを突破し、決勝トーナメント1回戦で、今回優勝した松山中央高校に敗れました。その後敗者復活戦に出す「七夕」の1句を1時間で考えて、これならいけると、決めたのがこの句。

七夕や子供に渡す聴診器   岩本薫梨

星空と、聴診器の金属の冷たさ。聴診器を耳に付けるとまわりの音はほとんど聞こえなくなる。心音を聴くものであること。それを子供に渡す、子供はきっと自分の胸の音を聴いてみたりもするだろう。七夕の夜のこと。

審査員の先生は「これは病院の診察室でのことですか」のような質問をした。それは読者が考えることだから、那須くんは「診察室でなくてもいい、七夕に子供に聴診器を渡す、それだけ」のような応え方をした。そしたら観客席の、ある高校の引率の先生が「はっはっはっわからな〜い」と手を叩いて笑った。そのあたりの人達や違うところでも笑っていたね。真剣だったから動揺するに決まってる。だって、なんで笑うの。わからないものは、わかるものより低俗なのでしょうか? 最後に司会者までが「松山では七夕に子供に聴診器をあげるんです」って。いや、あげないし。

審査員の先生はわかってくれる、と思ったけれど、敗者復活で勝ち上がったのは洛南高校「七夕や宇宙飛行士ブログ書く」でした。(敗者復活作品一覧)もちろん、作品もアピールの仕方も、わかってもらえないのはしょうがない。だけど、本気で作った句を本気で読んでもらえなかった、それどころか笑われた辛さがあとからきて、みんな泣いた。準決勝、出たかったね。出たら「打」と「素」の句、大舞台で見てもらえたのにね。うちらは俳句が大好きで、たくさんの人にいい句を見てもらいたかっただけなのにね。

目をあけて目の前にある素足かな   佐藤秀斗

パイナップル密かに舌を打ちつける
  上田悠里衣


色町をカミサマトンボ素通りす
    那須聖司


蜜豆の匙舐めている打算かな
     田中志保里


鹿の子の素顔を映す水たまり
     岩本薫梨


私は松西チームの大ファンでした。本気の俳句甲子園、ありがとう。これからもうちらは俳句作ろう。他の人がわからなくてもわかるくらいすごいのをね。



29 コメント:

sumako さんのコメント...

「グラスに砂を満たしけり」って好きですね。私だったら、こちらに旗を上げたと思います。
西校、来年は面白い存在になりそうで期待してます。

猫髭 さんのコメント...

「夏休みグラスに砂を満たしけり」は、「夏休み午後の世界が歪みだす」よりも静かで圧倒的にいい。「午後の世界が歪みだす」は詩の言葉で、俳句の言葉ではない。しかも詩の言葉としては陳腐。

「七夕や子供に渡す聴診器」の冷やっこさも素晴らしい。
「目をあけて目の前にある素足かな」も新鮮な艶があってとてもいい。

あとの句は今一だけど、この三句はとてもいいと思います。

佐藤文香 さんのコメント...

sumakoさん、猫髭さん、コメントありがとうございます。

彼ら彼女らの俳句がいろんな方に見てもらえることが、私も嬉しいです。

あと、補足というか、文章がよくなかったので、付け足します。

>審査員の先生はわかってくれる、と思ったけれど、敗者復活で勝ち上がったのは洛南高校「七夕や宇宙飛行士ブログ書く」でした。

と書いたのですが、「わかってくれる、と思った」のはあくまでも私たちの主観的な願いです。審査員の先生方が洛南高校の作品をとったことも、松西の作品の点数が低かったことも、客観的に見れば納得のいくことです。

他にも、司会者の発言や会場の笑いに関する記述は、あくまでも出場者側の主観的な感情です。舞台上で受け答えをした那須くん自身も、司会者や会場の人に悪気がないことはわかっています。わかっているけど、辛かったんです。なぜなら笑いをとるつもりはなかったからです。

あと、

>本気で作った句を本気で読んでもらえなかった、それどころか笑われた辛さがあとからきて、みんな泣いた。

これは文章のつながりが大変悪かったのですが、審査員の先生が本気で読んでないとは、「うちら」は全く思っていません。ただ、あきらかに「見下したように」笑った人がいたことに対して(もしかしたらうちらにだけ見下したように見えたのかもしれません)、です。


大人の俳句の世界で俳句甲子園を話題にするとき、出場者、特に話題にならなかった敗者の「本気」がクローズアップされることはあまりありません。
勝った俳句、選ばれた俳句、大会の良し悪しとは別のところにあるドラマを提供する意味で、今回この文章を書かせていただきました。
そういう子たちもいたのか、そういう句もあったのか、と思ってもらえれば幸いです。

キノコ さんのコメント...

真剣に作った句を笑われてしまう。しかも、大勢の前で勝負がかかった場面で。。。
私はその場にいませんでしたが、学生たちには可愛そうなことになりましたね。
でも、作品を発表する厳しさというのは、「笑われる」ことも含めて、自分で責任を負うことなのだと知ったのなら、いい経験になったのでしょうね。
守りの句を作る実力、型を身につける経験、
それがあまりない学生には、自分の句をどうやって守るか、ディベートを指導すると思います。
また、私が指導する立場なら、最初に基本的な型を幾つか教えます。それが長く俳句をつきあう方法なのだ、と。
これは佐藤さんとは立場を異にするでしょうが、「笑われる」リスクを初心者に与えてしまったら、心の傷を負わせてしまいますから。
強い人間はそれでも俳句を続けるでしょうが、みんながそうとは限らないし。そうなったら、学生にあやまって済む問題ではなくなってくるので。。。
難しいですね。

春休 さんのコメント...

「グラスに砂」「聴診器」の二句、良いと思います。

広島の予選で審査員を務めた者ですが、
個人的には、緊張感のある良い雰囲気の中試合が行われたように思います。
少なくとも「分からない」ということを見下すように笑う人はいなかったように思います。

シキ さんのコメント...

うーん、佐藤さんの文章、彼女らしくて面白いのですが、ご本人も言い訳しているように、「誤解」の生じやすい内容ですね。
特に「審査員」「見下して笑った」のあたり。佐藤さんが教え子を励ましたい気持ちは
わかりますが、一方のチームに関わった人間が、自分のブログならともかく
公の場で、対戦相手もいる問題を「レポート」して、あれこれ一方的に書くのはまずいのでは?

peewee さんのコメント...

シキさん、こんばんは。

>対戦相手もいる問題を「レポート」して、あれこれ一方的に書くのはまずいのでは?

「一方的」というより「遠近法」と思いました。とても興味深かったです。他のふたつの記事が「俯瞰的」で、それもいいのですが、参加チームからの視点が新鮮でした。

対戦相手がどうこうではなく、見守っている先生や大人の問題。この記事の中の「「見下したように」笑った人」の問題でしょう。

それともっと大きくは「わからない句はダメなのか」という問題。

いろいろ考えさせてもらえました。

俳句甲子園というと、感動ばかりを強調して上滑りした記事が多いので、その意味でも良かった。

あ、他の2つの記事も、冷静な視点が入っていて良かったです。

peewee さんのコメント...

書き忘れました。追伸です。

「夏休みグラスに砂を満たしけり」と「夏休み午後の世界が歪みだす」の部分は、「対戦相手」もあることだし、ちょっとまずいかな、と思います。

佐藤さんの思惑はそうでなくても、どっちがいいと思うかという話になってしまいますから。

シキ さんのコメント...

peeweeさん

コメント有難うございます

>審査員の先生はわかってくれる、と思ったけれど、敗者復活で勝ち上がったのは洛南高校「七夕や宇宙飛行士ブログ書く」でした。


これもまずいでしょう?
わからなかったのは審査員が悪いという意味を何割かは含んで受け取られてしまうでしょう。
また、洛南の句のよさも書かなければ
フェアではありません。

わかる・わからないを勝負にからめて
問題にすれば、あと出しジャンケンですし
句への自解・弁明を松山の当事者が
「レポート」するのは、「遠近法」では
すまないと思います。
勝負の相手に大して失礼でしょうね。

peewee さんのコメント...

シキさん、ふたたび、こんばんは。

おっしゃることはよくわかります。

対戦校への配慮が足りない部分は、書いた佐藤さんも反省していらっしゃるのではないですか。

そのへんは、こちらも、「対戦校」も、読み手の器量として受け止めればいいのでないでしょうか。

配慮ばかりでは、つるんとしたレポートにしかなりませんし……。

今回は、私の抱いていたイメージとは別の俳句甲子園のひとつの側面がうかがい知れて、よかったということです。

俳句甲子園がもっと素晴らしいものになるためには?といった建設的な議論のほうがよろしいでしょう。

そのために佐藤さんもあえて、さしさわりのあることも書かれたのだと思います。

それと、想像しますに、他の学校の生徒さんだって、例えば「わかってもらえなくて悔しい」「納得できない」と思ったケースもあるのでしょう。そのへん、読者の私たちの想像力で補えばいいのではないでしょうか。

さて、建設的な議論とは?というところは、みなさんそれぞれにお持ちだと思います。コメントされるか胸にしまっておくかは別にして。

そんなところです。

シキ さんのコメント...

peeweeさん

たびたびすみません。
peeweeさんの議論もよくわかります。
彼女の一ファンとして、
佐藤さんの持ち味がこういう文章にあることも。

ただ、今回の文章は、自分の可愛い子供たち
の立場を代弁するあまり、
公平さと配慮を失った点で残念なことでした。

それは、読み手の度量や器量で受け止め、
取り立てていうべき程度ことでもないという、peeweeさんのご意見もわかります。

後は佐藤さんとこの内容を載せてしまった側がどう判断されるかでしょう。

私は、誰が読むかわからないこの場で、後で
ご本人が弁明したことでさらに印象を
悪くしていると思います。

もはや佐藤さんも注目される、
あるいは責任のある立場に立ちつつある
わけですから
佐藤さんの活躍に期待する人間として
あえて書かせて頂きました。

匿名 さんのコメント...

う~ん、第三者の感想ですが、特に公平や配慮を欠いたものとは思いませんでしたが。
そもそもコレは「客観的なレポート」というよりは、現場からのナマな声だと受け止めて読みましたので。若干、言葉足らずな部分はあったかもしれませんが。

また「どちらがいいか」という話になるのが悪いことだとも思いません。第三者が「私はこちらの句の方を評価する」という意見を表明したからといって、対戦相手を貶めるものではないでしょう。
(そもそも「どちらがいいと思うか」というのを否定してしまったら、俳句甲子園そのものの否定になっちゃうのでは…)

シキ さんのコメント...

匿名さんへ

佐藤さんも、自分の文章の公平性や配慮のなさに、後からまずいと思ったので
コメントされたのでしょう。

>また「どちらがいいか」という話になるのが悪いことだとも思いません。第三者が「私はこちらの句の方を評価する」という意見を表明したからといって、対戦相手を貶めるものではないでしょう。<

これは、失礼ながら全く問題の所在をわかっていませんね。
佐藤さんは第3者ではないのです。
一方の関係者なのです。

匿名 さんのコメント...

あの、第三者と書いたのは、まさしく私のような「第三者」のことですが…

シキ さんのコメント...

匿名さま

>また「どちらがいいか」という話になるのが悪いことだとも思いません。

今は佐藤さんの発言が問題になっているのですから、この言葉足らずな文章の主語が佐藤さんだと誤解されたとしても、仕方ないと思いますよ。

俳句の良し悪しを「第三者」が云々することの是非を、最初から問題にしていません。
失礼ながら
やっぱりピントがズレていると思います。

匿名 さんのコメント...

言葉足らずで申し訳ありません。

ただね、私のような第三者が佐藤さんの文を読んで、たとえば「洛南高校より松山西の句の方が良かったのに、気の毒な!」とか「松山西は何て理不尽な扱いを受けたんだろう」とか、そういう風には全く思わなかった、ってことです。それぞれのチームにそれぞれの思いがあったんだなあ、と感じたのみ。

公平性とか配慮とか書かれているのは、そういうことを危惧しておられるのではないかと思ったから、書いただけです。一般人が読んだ時の、正直な感想として。

「どちらがいい」云々は、peeweeさんのコメントに「どっちがいいと思うかという話になってしまいますから」とありましたので、やはりその手の話になることを危惧しておられるのかと受け取ったため。

失礼致しました。以後、沈黙いたします。

謝謝 さんのコメント...

匿名さん。沈黙される必要はないと思いますよ。

私は俳句甲子園の存在自体、最近になって知った「第三者」ですが、読んでいて感じたことは、匿名さんに近いです。

「それぞれのチームにそれぞれの思いがあったんだなあ、と感じたのみ。」という部分。

フェアじゃないとかって、この記事(おもしろかったです)には感じませんでした。

山口優夢 さんのコメント...

私は、佐藤さんにこの記事の執筆を依頼した週刊俳句の山口優夢です。皆様、コメントで活発な議論をしていただき、ありがとうございます。皆様の議論を拝見しているうち、彼女に執筆を依頼した者として自分の見解を明らかにしておく必要性を感じたため、コメントさせていただくことにいたしました。

そもそも佐藤さんには、「今年面倒を見ていらっしゃった松山西高校に完全に焦点を絞った」記事をお願いしておりましたので、シキさんのおっしゃる「一方のチームに関わった人間が、自分のブログならともかく公の場で、対戦相手もいる問題を「レポート」して、あれこれ一方的に書く」というのは、私の方から持ちかけた話です。それはこのコメント欄をお借りして、はっきりさせておこうと思います。

なぜそのような記事を執筆していただきたいと考えたかと言えば、ある高校が俳句甲子園に参加し、懸命に戦ったという姿をその近くにいた人物の視点から書いていただくことで、レポートという形式とはまた違った角度から俳句甲子園というものを紹介できるのではないかと考えたからです。

その上で、私の見解としては、「一方のチームに関わった人間が」「あれこれ一方的に書く」ことについてのシキさんのご批判はあたらないと考えています。一方の側から書くということが最初から明確にされているならば、相手チーム校や審査員を尊重しつつ自分の見たものについて臨場感を持って書くことはできるはずで、現にこの記事はそうなっていると思います。そうであれば「公の場」で書くことにはなんの問題もないと思いますし、そもそもこの記事はシキさんがおっしゃるようには「レポート」とは銘打っていません。この記事は、どこの高校にも肩入れせずに「レポート」を行なっているのではないのですから、すでに公平性云々という話ではありません。

「夏休み」の句を挙げることについて「対戦相手」のいることだからまずいのではないか、というご批判がありましたが、それも私としては首肯することのできないものだと感じています。そもそも記事中ではこの句の対決の紹介はごく客観的に勝敗の結果を示すにとどまっていますし、その勝敗の結果を示すことで「「凄い魅力」っていうのは、人によってさまざまだから、審査員がわかってくれない可能性もある」ということを示そうとしていることについても、審査員によって句の評価が分かれるのは当たり前のことなのだから、何の問題もないのではないでしょうか。

記事中で一点、気になる部分があるとすれば、「会場で笑われた」ことと「敗者復活戦に通らなかった」こととをいっしょくたにして「本気で読んでもらえなかった」と主張していると読むことのできる箇所です。これについては、敗者復活で勝ち上がった洛南高校や審査員に対する礼を失しているととられても仕方がないかもしれませんが、しかしながらその点は、佐藤さん自身のコメントで、「審査員の先生が本気で読んでないとは、「うちら」は全く思っていません。」とありましたので、ご理解いただけるかと思います。いずれにしろ、そのように誤解される可能性のある箇所がありましたことについては、執筆依頼いたしました者としてお詫び申し上げます。

記事を読みまして、私は個人的に、「わからないものは、わかるものより低俗なのでしょうか?」という切実な問いに対して、どのように俳句や、俳句甲子園が答えてゆくか、ということが、この記事の本質的な問題提起なのではないかと感じています。特に俳句甲子園では「わかる」句の方がディベートしやすいため、「わからない」句に比べて多く出てくるように思います。ただし、これは印象論でして、「わかる」「わからない」とは何か、ということも含めてもっときちんと考えなければならない問題でもありますから、この記事が提起した問題が皆様にどのような影響を与えるかということについて知りたいし、考えたいと思っています。

長々とコメントいたしまして、失礼いたしました。

山口優夢

シキ さんのコメント...

皆様
 
真剣なコメント、有難うございます。
山口さんが謝れらるのは筋違いですね。
こういう記事の依頼は当然でしょう。

私も最初読んだときは、アブナイナー佐藤さん、まあ、ここが面白いところなんだけど、
という程度だったんです。

でも、ご本人が後から中途半端なかたちで
訂正されたので、これはまずいと思ったのです。

彼女の文章の問題の本質は、取材の公平性に
かかわります。彼女のような立場の人に山口さんが取材する方がよかったかも知れません。

もし野球の甲子園で、微妙な判定で負けたチームの親や監督が、審判にあれこれ公の場で疑義を呈したら、その高校は出場停止も議論されるかもしれません。

ジャッジの判定を云々するにはそれだけ慎重であるべきでしょう。まして、関係者が。
また、第3者は問題にしない文章でも、洛南側はどう思うのでしょう。

大騒ぎすることでなはない、と思われる多くの方に一言申し上げたい。

佐藤さんは、俳人としてのスタートを
この俳句甲子園から出発した人です。
その佐藤さんの発言だけに、残念なことだ
と言いたいのです。

本気で判定者に疑義を呈するなら
もっと堂々とやるべきです。
もとの文章をそのままにして
途中で「すみません」はいかにも
甘えた印象で読んでいてがっかりしました。
戦うなら、とことん戦え、と言いたい。

結社はほとんどなくなるとか
今のままの俳句ではダメだとか
純粋な若者の向こう意気を堂々と
自分のブログで発言してきた方が
一貫性のない、結果自分を育ててくれた
場所を冗談にしろ、「どうでもいい」とか
発言している姿には、正直がっかりしました。

peewee さんのコメント...

シキさん、誤読されているようです。

山口優夢さんは、謝っておられるのではなく、
記事は正当なものだとおっしゃっています。

シキ さんのコメント...

peeweeさまへ

>いずれにしろ、そのように誤解される可能性のある箇所がありましたことについては、執筆依頼いたしました者としてお詫び申し上げます。<

この山口さんの発言、謝罪でなくてなんなでしょう?
誤読しているのはそちらですよね?

peewee さんのコメント...

謝罪が本旨ではない、ということです。
どなたが読んでも明らかでしょう。

「部分をとりあげて粘着する」というシキさんのやり方は、佐藤さんの記事を取り上げる際も同様です。

「お詫びしただろ? ほら、悪いって認めてるじゃないか」というのでは、言論でも何でもなく、そのへんのチンピラの言いがかりと同じです。

全体を読んで、本旨を理解する。そのうえで部分的な齟齬等を指摘するならする、という手順がよろしいかと存じ上げます。これは何を読むにも、何を論じるにも当てはまることです。

親切心でアドバイス差し上げました。

シキ さんのコメント...

peeweeさんへ

>謝罪が本旨ではない、ということです。
どなたが読んでも明らかでしょう。<

私もわかっていましたよ。
だから貴方が「誤読だ」と書き込まれたのは
やはり貴方の「誤読」です。
この部分間違っていますか?

感情的になって人に暴言を吐いて
このブログの品位を下げているのは
失礼ながら貴方の方ですね。

冷静に議論してください。

シキ さんのコメント...

山口さんへ


>この記事は、どこの高校にも肩入れせずに「レポート」を行なっているのではないのですから、すでに公平性云々という話ではありません。>

これは全く間違った認識です。
佐藤さんがジャッジに疑義をとなえたと
読める文章を書いてしまった以上
十分「松山西」に肩入れしています。

>「夏休み」の句を挙げることについて「対戦相手」のいることだからまずいのではないか、というご批判がありましたが、それも私としては首肯することのできないものだと感じています。<

私としても首肯できません。「夏休み」の句を挙げること自体を悪いとは言っていません。
ジャッジに問題があるかのように書いてしまったから、相手の句を取り上げることが問題になってしまうのです。


>そもそも記事中ではこの句の対決の紹介はごく客観的に勝敗の結果を示すにとどまっていますし<

どこが客観的なのですか?
書いた佐藤さん本人が内容的にまずい
つまり、客観的ではないと言っているのに
山口さんがどうして客観的だと言えるのでしょう?

peeweeさんのお勧めに従って、全体を読んで反論しておきました。部分だけ読んだ「粘着」ではありませんよ。

山口さんのような意識でいるから
佐藤さんの文章の危険性が
事前にわからず、アップする前に
チェックできなかったのです。

個人的には、佐藤さんの最初の文章自身を訂正するか削除した方がいいと思います。

none さんのコメント...

>どこの高校にも肩入れせずに「レポート」を行なっているのではない

二重否定ですね。

KK さんのコメント...

>二重否定ですね。
とnoneさんが言いたくなる気持ちわかります。

私もコメントやりとり楽しみに見ていたのに。

{>どこの高校にも肩入れせずに「レポート」を行なっているのではないのですから、

十分「松山西」に肩入れしています。}

シキさんこれではフォローしようがありません。残念です。

シキ さんのコメント...

ご指摘の通り、二重否定は読み落としておりました。
これは、全く私の間違いです。この部分についてのみ前言を撤回し、謝罪します。

山口さん
失礼しました。

でも、審査員のジャッジを云々しているように読める文章とその言い訳をそのままにしていると、やっぱりこの「肩入れ」は問題が残ると思います。

佐藤さんの後からのコメントも、なぜ洛南が
勝ったことを納得したのか、その理由も具体的でなくはっきりしません。

その他の私のコメントについて、特に佐藤さん本人からコメントがないのはどうしたことでしょう?

修正しないならしない
するならするで、そろそろはっきり
理由を明かされたらどうでしょう?

TERU さんのコメント...

こんばんは。俳句甲子園はこれまで名前を聞いたことがある程度で、関心がありませんでしたが、ホームページものぞいてみました。でも、結果や写真では、ふんいきがわかりませんね。その意味で、この週刊俳句の3つの記事、おもしろかったです。ほかにもブログをいくつか読んでみて、参考になりました。俳句甲子園にちょっと興味がわいてきました。ありがとうございました。

匿名 さんのコメント...

2014年です。完全に出遅れているのですが、
読ませていただいたのでコメントさせてください。
先月、第17回俳句甲子園に出場した者です。
ここに書かれたやるせなさ・無念さ、私も松山で経験しました。今も、残っています。
だからとてもよくわかるのです。
どうかこの記事を責めないでください。
俳句という個々の感性の結晶を、これまた審査員という個々の感性で評価する。時に俳句を離れて人情も入るでしょう。そこにはきっと限界があるし、理不尽がきわめて生じやすいものなのだと思います。
でもそう諦めていいものだとも思わないのです。心がやることだから理不尽は生まれる。しかし、心がやることだからこそ心に報いることができる。
俳句甲子園は、俳句を愛する心に報いるべきものだと思うのです。
もしもそれに対して理不尽があったと思うのなら、それを書くのは必ずしも悪いことではないと思います。それは「意見」となりうるからです。

グラスの砂、聴診器、どちらも好きです。言葉と言葉の出会いが鮮烈で、どんどん想像が膨らんでいく。
最近思うのです。旗の数で認めてもらい、賞という形で認められるよりも、「あなたの句が好き」「いい試合だった」と誰かに言われることのほうが幸福であると。人の記憶にとどめてもらえることが本当の幸福であると。
それが本来の俳句であるからでしょう。誰かの心に響いたときが、俳句にとって本当に幸せなときだと思っています。
この句は私に響いていますよ。


最後になりますが、聴診器の句を笑った人たちを私は許しません。5年前のことであろうと、選手がどんな思いであの場所に来ているか、一選手としてよく知っているから。