2009-11-01

写生 「超える」ための方法 「現代俳句協会青年部・第114回勉強会」レポート 山口優夢

写生 「超える」ための方法
「現代俳句協会青年部・第114回勉強会」レポート

山口優夢


1 シンポシオンの空間

その部屋は、ちょっと独特な空間の使い方をしていた。

2009年10月18日日曜日の昼下がり、僕はおよそ10年ぶりに三軒茶屋の駅に降り、かの有名なキャロットタワーの4階に上がった。その部屋の入り口で自分の名前を書き、会費500円を支払って中に入る。真っ白な壁、真っ白な床。妙に部屋中の空白が目立って見える。中央には一人用の小さな丸いテーブルが置かれ、その上にマイクがしつらえられている。その小さなテーブルを囲むような形で、椅子が同心円状に渦を巻いて並べられていた。

普段、大学にしろ句会にしろ、直線的に並べられた椅子や机に慣れた目からは、この、非常にマイクロなコロシウムのような、まるで小さな演劇空間のような椅子の配置は、目新しいように感じられた。ならべられた椅子は20数脚。同心円は三重になっており、その部屋の面積のおよそ半分を占めている。僕は三重の円のうち、一番外側の席に座った。さすがに青年部に所属しているわけでもないのに内側に行くのは、ちょっと遠慮したのだった。

このような席の配置になっているのは、どうやらこの会「写生」についてのシンポシオン我々にとって「写生」とは何だろう?のコンセプトである「シンポシオン」の実現ということらしい。現代俳句協会ホームページ上にあがっている、この会のお知らせを抜粋してみよう。

シンポシオンとはすなわち、「共にぶどう酒を飲むこと」。古代、饗宴に集まった人々が、談論風発、朝までがやがや語り合うというものでした。飲みながらやりたいのは山々なんですが、そこはちょっと後回しにして、いつもと違う自由空間で、古代ギリシア、ローマ人の「鶏と卵はどっちが先か」とか「アルファはなぜアルファベットのはじめにあるのか」ならぬ、「私たちにとって、『写生』って何なんだ?」という話をやっていきたいと思います。

僕は数日前、友達からこの青年部勉強会のことを聞いて、飛び入りで参加したのだ。それは、友達の尻馬に乗ったのでもあり、また、僕のような特にどこの協会にも入っていない者の目から見て、写生という概念とは遠く離れたところにいるように思える現代俳句協会の構成員が、写生について何を語るのか、この目で見てきてやろう、という思いもあった。また、10月18日付の週刊俳句(第130号)の後記に書いたとおり、僕は写生というのは単なる技法であり、シンポジウムなどで語るテーマにはなりえないのではないかと考えていたため、それを覆すような何かおもしろい話が聞きたかったのだった。「我々にとって「写生」とは何だろう?」という副題からすると、ここで言う「我々」とは現俳の青年部の方々であろうから、彼ら自身の写生に対するスタイルや写生観を聞くことができるはずだ。

会は1時半から始まった。僕がこの会に出席するきっかけになった友達2人、すなわち、昨日は徹夜だったという生駒くん(東大学生俳句会)、時間ぎりぎりにやってきたる理ちゃん(哲学を専攻)と隣同士の席に座り、配布された資料などに目を通す。全体の参加人数は17人。こういうシンポジウムのような形式の会にしてはやや少なめだ。

会の進行としては、現俳青年部委員の6人(上野貴子、橋本直、宇井十間、小山森生、田島健一、中村安伸)が、基調報告を行い、それぞれの発表終了後に軽く質疑応答の時間をとって、6人の発表が終わったら、全体での討論を行う、といった流れであった。このような会の常で、細かく時間が押して行ったため、全体での討論には結局あまり時間は割かれなかった。6人の発表内容は、時代順に代表的な俳人の写生観を俯瞰してゆく、といったスタイルであった。終了予定時間は4時半。

一つ一つの発表について、以下その内容と質疑の様子、さらにそれぞれに対して僕の考えたことを、混同しないように、まとめてみたい。


2 現代俳句における写生観の変遷

(1) 正岡子規の写生 (発表者・上野貴子)

発表者は、子規の『病床六尺』から、「ありのままをうつしとる」ことが子規にとっての写生説であったということ、『墨汁一滴』から、その写生というものが「月並」調を打破するために編み出された方法論であることを指摘し、最後に子規の鶏頭論争の経緯を述べている。子規にとっての「写生」というのが、西洋絵画の手法を取り入れたということからも、「ありのままをうつしとる」素朴なものであったことがよく分かる。

この発表で大変興味深く感じたのは、『墨汁一滴』中、明治34年4月25日の記述を引用し、紹介していた部分である。子規の

山吹や何がさはつて散りはじめ

という句は、写生の産物であるが、もしもこの句を

夕桜何がさはつて散りはじめ

と改作したならば、「下七五の主観的形容が桜に適切ならぬためことさらめきて厭味を生ずる」ため、月並調の句になってしまう、という記述が紹介されたのである。

実際に『墨汁一滴』をひもといてみると、該当する引用箇所には「山吹や」の句が写生によってできたという記述はない。しかし、子規の俳句の手法が写生であることを考え合わせると、この句も写生によって作られていると推論できる。ここで問題になるのが、もしも夕桜を見て「何がさはつて散りはじめ」という景色を見たという人がいたならば、後に挙げられた「夕桜」の句は「写生句」ということにならないのだろうか、ということである。

なるほど、確かに、桜は何かが触って散り始めるというよりも、風が吹けば散ってゆくものなのだから、中七下五の措辞は「夕桜」よりも「山吹」とした方が適切に思える。しかし、それは読者の側に立った場合の論理であり、子規の言う写生が「ありのままをうつしとる」ことで俳句を作ることなのだとすれば、写生というのは作者の側の論理だ。

つまり、ありのままをうつしとったかそうでないか、言いかえれば、写生か非写生か、ということと、ある句を読んだときにそれを月並だと感じるか否か、ということは実は対応していないのではないか。言いかえれば、月並だけど写生の句、というのもあるのではないか。さらにもう一つ言いかえれば、写生は本当に月並を打破する論理足り得るのか、ということに大いに疑問を抱いたのであった。そこで、僕は実際に発表が終わったあとで手を挙げてそのことについて質問したのだが、質問に時間がかかりすぎ、答えていただくための時間を満足に確保できなかったのは残念であった。

たぶん、写生によって作られた句の中にも月並調の句はいくらでもあるもので、そこから月並には堕していない句を選びとるという作業が、写生という論理とは別個のものとして存在しているはずなのだ。週刊俳句・第117号、第118号で高柳克弘とさいばら天気が小学生の俳句創作指導およびこしのゆみこ俳句の比喩について対談(「比喩をめぐって」前編後編)を行った際、「俳句には作るための論があっても、読むための論はない」という指摘がなされていたが、写生というのも、作るための論なのであり、それに対して、句が読まれる場合に、どのような基準でよしあしの選択がなされているのか、といったことが言語化されていないというのが現状なのかもしれない。

選句の論理は、家元の秘法だから言語化されてこなかったのか、それとも、もともとケースバイケース過ぎて言語化し得ないものなのか。「選句の基準」という文章を総合誌などで読むことがあるが、正直、「写生」というほどインパクトのある統一的な論には巡り会ったことがない。写生とは話がずれてしまったが、個人的には興味深いところである。

(2) 高濱虚子の写生 (発表者・橋本直)

虚子は、子規の言う写生とは違って、「客観写生」という用語を用いている。この客観写生という考え方は、発表者のまとめによれば、「一言で言えば「客観の景色そのものに重きをおいて」主観によって句作すること」であるらしい。

立派な主観」(虚子が『進むべき俳句の道』の中で使っている言葉である)を俳句の上で書き表すためにも、具体的な客観物を一句の中では扱う必要がある、ということであろう。客観的な景色が主観を表現できると考えているということの前提には、作者と読者との間で自然に対する不変の価値観が共有されている、と信じているということがある、という発表者の考察が、興味深かった。

この発表に対しての質疑応答では、会場に来ていた四ツ谷龍氏が、質問と言うよりも、コメントを残している。その内容は、「現実というものは本当に写し取られるだけの価値のあるものなのか。世の中には、同時代の現実などは描く価値のないものだという断定にもとづいて生まれた芸術がたくさんあるが、それについてどう考えるか」という問題提起であった。虚子は確かに、現実にはそれだけの価値があると信じていたからこそ、写生を作句の中心的な方法論に据えている。しかし、本当にそうなのか。それは、俳句に携わる個人個人が考えてゆくべきことではないか―。

写生という方法論を取るかどうか、ということを考える上で、大変重要な指摘であると考えられるため、ここに記して記録しておくことにする。

(3) 高野素十の写生 (発表者・宇井十間)

発表者の主張は、結局一言で言うならば「高野素十の句は写生的ではあっても写生ではない」ということである。あるいは、「実際に写生しているかどうかではなく、写生して作っている句だと読み手が思えるかどうかがその評価を決している」とまとめた方が正確なのかもしれない。

高野素十の句が写生句であると大いに称揚されることの背景にあるのは、読者の側で「これは実際に見て作られたに違いない」と思えるということなのだ、と発表者は語る。つまり、写生という作句法が喧伝されていることによって、実際に見て作ったかどうかは関係なく、ある景色を見ている作者の像がフィクショナルなものとして読者の側に立ちあがり、それが「写生句」としての価値を高めているのだ、というのである。素十の句は、そのように写生的な読み方を許容し得る言語的構成がなされている。そのように「写生」という論理を利用することで句を作っていた素十という俳人の存在は、写生を作句における方法論の大きな柱としてきた現代俳句への批評として機能し得る。それゆえ、素十は「俳句によって俳句の外側に立つことができた」俳人、「もっとも俳句的であることによって逆に、俳句の終焉という現代の状況を予見していたとさえ言える」俳人であるとしている。

発表者の論は、写生という方法論が、作句においてというよりもむしろ句が読まれる際の付加価値として機能しているという指摘がなされている点、大変興味深いと感じた。しかしこれは、素十にとっての写生とは一体なんなのか、という論ではなく、現代において俳句の読まれている状況を指摘した論である。それは、大雑把に言えば、俳句に書かれてあることは実際の世界に結び付けて読まれがちだとまとめることもできるであろう。そういう意味では発表者の論は当たり前のこととも言える。

そのため、個人的には、そもそものお題である、素十にとっての写生の独自性は十全に語られていないという印象を受けた。素十が現代俳句における「写生」のフィクショナルな性格を巧妙に利用して俳句を書いていたのだとしたら、それによって彼は一体何を表現したかったのか。

発表者は、素十について、「自らの言語操作によって強固な世界観を構成しようとする彼の試みは、むしろ一つの意志のあり様に近い」と言う。その「言語操作」のありように迫り、どのような世界観が構成されているのか、というところまで踏み込んでいるならば、素十の「写生(あるいは写生のようなもの)」がどこから来たのか、より突っ込んで語ることができたのではないか。

(4) 中村草田男・竹中宏の写生 (発表者・小山森生)

中村草田男は、ニーチェに心酔しながらも俳句においては花鳥諷詠・客観写生のホトトギスに所属した。そのアンビバレントさは一体どのようにバランスされていたか。それは、客観的にモノを写生することで、目に見えないものを象徴させるという方法論に支えられていた、と発表者は言う。

さらに、そのような単純な象徴構造に対する信頼は、草田男の弟子の竹中宏の代になると崩壊してしまい、写生には別の意義が与えられることになる。それは、モノを既成の解釈を通さずにその裸形をあらわにするための方法論とされた。裸形、すなわち、イノセントな真実とでも言おうか、意味が付与される前の本来のモノの姿とでも言おうか、そういうものをつかみ取るために写生というものがある。それが発表者のまとめであった。

それは、俳句を書くという行為が、モノの裸形をつかみだすための営為であると自然に前提された物言いになっている点には注意が必要かもしれない。僕は、こういうとき、さっきの四ツ谷龍氏の指摘、「現実は写すに値するものなのか」という言葉を思い出す。僕には、竹中氏の考えは、子規が月並を振り切るために写生を唱えたのと本質的には似ているようにも思える。

この発表に対する質疑応答では、会場から、「写生とは見たものを写すと言われるが、なぜ視覚ばかり偏重されるのか」といった疑問が投げかけられていた。写生と言った場合、現実への感応というものを視覚に代表させているだけであって、当然そこには聴覚や嗅覚以下の五感全てが含まれると考えていた僕には、むしろその疑問が大変意外なものに思えたのを覚えている。

ただ、視覚でとらえた句以外の句が全体の句に対してどのくらいの割合で存在しているのか、たとえば音を描写した句がどのくらい存在するのか、ということを僕は統計的に知っているわけではないので、視覚への偏重が起きていると言われればそれを否定する材料を持っている訳ではない。もっとも、視覚でとらえてできた写生句であっても、読む側は、鑑賞力によって視覚以外の五感を捉えることは可能ではないかとも思うのだが。

(5) 波多野爽波の写生 (発表者・田島健一)

爽波と言えばやはり俳句スポーツ説。俳句をたくさん作り、たくさん読み込むことを特に若い人に向けて奨励しているその文章中には、写生のことは次のように書かれている。

「写生」の一事をとってみても、これをスポーツの練習をつむがごとく、ものに即して反射的に対応できるような己が「体力づくり」と割り切って実行する若人が出てきてくれないものか。(「俳句スポーツ説」、「俳句年鑑」所収)

ここに書いてあるように、たくさん写生を行うことで「ものに即して反射的に対応できる」状態になる、ということをもう少し文学的につきつめたのが、昭和61年1月の「俳句とエッセイ」に掲載された「俳句と私」という長谷川櫂の文章であるようだ。この文章は、爽波の俳句スポーツ説に触れて、次のように述べている。多作多捨で写生句を作っていくことは、一句が成就するために必要な「自分を超えた大きな世界」を呼び込むことにつながる、というのだ。多作によって反射的に書く、ということは「自分を消す」ことにつながるのであり、それによってこそ、「自分を超えた大きな世界」を呼び込むことができる、という論法である。

発表者は、このような爽波、櫂の考え方を紹介し、しかし、自分を消すには何も多作多捨以外に方途が無いわけではないのではないか、という疑念を挟んで発表を終えていた。その、最後のつぶやきのような問題提起は、実作者としての自分のありようを反映しているように思えて、興味深く感じた。

この、多作多捨によって自分を消すという作句法に関しては、四ツ谷龍氏からのコメントが寄せられた。四ツ谷氏が、昔京都での吟行に参加した折、爽波と話をする機会があったという。現地に向かう途中、四ツ谷氏は爽波の

墓参より戻りてそれぞれの部屋へ

という句が好きだと語ったそうだ。のちに爽波からその話を聞いた飯島晴子は、「その句は、爽波さんの御屋敷が大変広くて、お母さんも自分のお座敷をもっているようなお宅で、家に帰ってきたときにみんなが広い空間に散っていくということを感じとらないとほんとうの良さがわからない。3DKのアパートでそれぞれ自分の勉強部屋に戻る、というのではだめなのだ。あなたにはそこまでわからないでしょう」とおっしゃったという貴重なエピソードを四ツ谷氏は明かしてくださった。

そのエピソードを踏まえ、四ツ谷氏は、よかれあしかれ、写生をきわめていくと作者と読者の間に共通基盤があるかどうかが大きな問題になってくると気がついたとおっしゃっていた。それは、虚子の写生において発表者の橋本直氏の指摘にあった、「作者と読者との間で自然に対する不変の価値観が共有されている、と信じている」ということと全く同じことを爽波もまた前提しているということになるのか、と気づかされて、大変面白い指摘ではないかと感じた。

また、ものをよく見る、ということについても、発表者は独自の見解を示していた。たとえば「辛いときに読む本」は、辛いときに読まれることが多いであろう。しかし、「辛いときに読む本」を手に取る以前には辛いという状態は実は顕在化しておらず、それを手に取ることによって、逆に自分が辛いのだということが意識されるのである。同じように、ものをよく見るということが写生につながるのではなくて、写生という認識が前提としてあることによって、ものをよく見るということが実体化する、というのである。

この、「ものをよく見る」という話は、爽波の俳句スポーツ説というよりも、その次の中村安伸氏の発表にむしろ大きく関わってくることと言えるかもしれない。

(6) 現代の俳句入門書、専門書の写生 (発表者・中村安伸)

発表者は、『ここがポイント 俳句上達法』(楠本憲吉 1980講談社)、『私自身のための俳句入門』(高橋睦郎 1992新潮社)、『俳句のはじまる場所』(小澤實 2007角川書店)、『俳句の力学』(岸本尚毅 2008ウェップ)という近年刊行された4冊の俳句関連書において写生がどのように言及されているかを紹介。それは、現代、我々が俳句を始めようとしたうえで最初にすりこまれる写生観というものを探ろうとする試みであるそうだ。

それはつまり、我々が一番ポピュラーになじんでいる写生観ということになるので、特筆すべき、目新しい文言があったわけではない。ただ、小澤實の著書において、写生とは見るだけではなく、それを表現することも必要であることが言及されている点は、実作者の観点からするととても腑に落ちる言い方であると感じた。

この発表の質疑応答においては、楠本憲吉の著書から発表資料に引用されている文章中にある「不思議なことに、じっとひとつのものを見ていると、最初は、見えなかったものが見えてくるという経験につきあたる。」という一節の是非について、幾人かの間で意見が戦わされていた。

長時間一つのものを見るということは、その間、頭の中で多作を行っているということだ、という意見や、ものを見ていたって句などできるわけがない、という意見、ぱっと短い間だけ見てから作るといい、という意見や、関心を持って一つのものをじっと見ることで最初は気がつかなかったことに気がつくということが写生には大事なのではないかという意見など、それぞれの俳句観、写生観に基づいた議論が飛び交った。

それらの意見自体は、特に論証できるものであるわけでもなく、それこそ個々の俳人の採用している技術論、技法の問題になってしまうものではあったが、それぞれの意見を交換するという点では面白く聴いていた。中でも、じっと注意を払って見ていることで最初は気付かなかったことに気付くことがある、という意見については、田島さんが「さっき受付のテーブルに置いてあったものを思い出して句を作れと言われても難しい。それは、我々がテーブルに特に注意を払っていなかったからだ」と擁護していたのが、具体的で説得力があると感じた。


3 「超えてゆく」方法論としての写生

以上が、おおよその勉強会の内容である。

個人的には、現代俳句における写生観のレビューとしては大変面白い内容だったと思うが、ではなぜそういうことを今、現代俳句協会の青年部がやらなくてはならないのか、写生は未来にどのようにつながってゆくのか、あるいはつながらないものなのか、という観点が出てこなかったところは、大きく不満が残る。また、レビューしていったのは個々の俳人の写生論、写生観ばかりだったので、個々の作品に基づいた話があまりなかったのも残念ではあった。

そうは言っても、このシンポシオンでレビューした写生観の変遷は、十分興味深いものであった。特に、次の発見は、個人的に面白く感じた。子規、虚子、素十、草田男、竹中宏、爽波、そして俳句入門書それぞれの写生観にある相違は、どのように見るのか、という方法論の部分ではなく、何を書こうとしているのか、という俳句観に根差したものであるように感じたのである。無論、俳句観に根差した相違は、実際の方法論にも影響するものではあるだろうが。

なにか目の前にあるものを書き写すということで、月並を超えようとしたり(子規)、主観を定着させようとしたり(虚子)、形而上的なことを象徴させようとしたり(草田男)、既成概念を超えようとしたり(竹中宏)、自分を超えようとしたり(爽波)、ということが目指されているようだ。

写生という方法論が、「~を超える」目的で使用される、とまとめられることは大変興味深い。「月並」「既成概念」「自分」という超えられるべきものというのは、必ずしも同じ対象を指し示してはいないが、考えようによっては、似たもの同士であるとも言える。「自分」の意識こそ、「既成概念」に凝り固まった「月並」なものであるに違いないからだ。

素十の写生については、素十が写生を利用していた、という宇井氏の論法は、はっきり言えば素十の独自性を表しているというよりは宇井氏の持論の例示になっているに近い。それは、二次会で宇井氏と話をしているとき、「写生の時代は終わった」としきりに言っていたことからも分かる。宇井氏自身が、写生という方法論に重きを置いていないのだ(そういう話を二次会ではなくて勉強会ですればよいのに、と思ってしまう)。

「写生によって○○を超える」、としたとき、問題になってくるのは、以下の二点である。
・本当に写生によってそれは超えられるものなのか、あるいは写生によってしか超えられないものなのか
・超えた先にあるものは素晴らしいものなのか
この二点を指摘していたのが、四ツ谷龍氏のコメントだったのではないか。特に、二点目について考えたい。

現実は写し取る価値のあるものなのか。

三次会で行った和民で、隣に座った生駒くんに「現実は写し取る価値のあるものなのだろうか」と聞いたら、彼は、「自分は人間が好きだから、現実にはそれだけの価値があると思います」と即答してくれた。いい答えだ。

優夢さんはどう思うんですか、と問い返され、考えのまとまらぬまましどろもどろで何か答えたような気がするが(和民の「大人のハイボール」に酔っ払っていたため、よく覚えていない)、やはりよく分かっていない。僕が写し取りたいと思っているのは、本当の現実ではなく、本当の現実よりも現実に近いと錯覚させる何か、のような気がする。

それは、ある意味では現実を見切っている態度とも言えるし、別の意味では現実に対する執着とも見えるだろう。

渡り鳥目二つ飛んでおびただし 三橋敏雄

現実には見えないかもしれないけれども、どうしようもなく現実的な句、それこそが、僕をおののかせる風景なのだ。

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