2010-11-14

八田木枯句集『鏡騒』を語る 〔前篇〕太田うさぎ×神野紗希

八田木枯句集『鏡騒』を語る 〔前篇〕



太田うさぎ×神野紗希




八田木枯句集『鏡騒(かがみざゐ)』(2010年9月・ふらんす堂)の魅力について、太田うさぎさんと神野紗希さんに語っていただきました。うさぎさんは「雷魚」所属、句会を通してふだんから八田さんの句に接しておられます。



言葉へのフェティッシュな愛

――『鏡騒』には辞書で調べないと読めないような難読漢字が多いように思いましたが、おふたりは、いかがでしたか。

紗希●そうですよね。漢字ひとつとっても、どんな字を使うのか、考えて選ばれているような印象があります。木枯さん自身はこだわりを持っていらっしゃるんでしょうか。

うさぎ●そう思います。例えば「窓」という字ではなく「窗」の字のほうが、一句のなかで雰囲気が出ると判断すれば、そちらを使ったり。ふだんからそうしていらっしゃいますね。

紗希●それは、むかしから読んでいらしたものが、そうした漢字で書かれていたので、馴染みがあるということなんでしょうか。それとも、もっと別の理由もあるのかと思って。戦前教育を受けた人でなくても、一般には見慣れない漢字を好んで使う例もありますよね。例えば、中原道夫さん。

うさぎ●ご自身の審美眼で、漢字を選ぶということですね。

紗希●はい。

うさぎ●木枯さんの場合、どちらもあるんじゃないかな。戦前に育ち、その時代の教養が身についているということもあるだろうし、一方で、字の視覚的な側面、見た目のことにも意識を働かせている。

紗希●ひらがなも独特ですね。「ろくぐわつ」という表記。既刊句集を遡って調べると、ずいぶん前から「ろくぐわつ」。

うさぎ●「六月」ではなく、かならず「ろくぐわつ」ですね。

紗希●なんで「ろくぐわつ」なんだろう。誕生日でもないし。

うさぎ●お誕生日は一月一日ですね。木枯さんは一月も「いちがつ」と呼ばずに「いちげつ」なんです。

紗希●「ろくぐわつ」の句は、けれど、梅雨というイメージじゃない。

うさぎ●水気は多いけれど、梅雨じゃないですね。

紗希●フェティシズムを感じますね。もちろんそれだけではない句集なんですが、フェティシズムも愉しみのひとつとして読める。

うさぎ●そう。木枯さんの句集を読んでいるときは、どうしてもフェティシズムという語が浮かんできますね。文字フェティシズムというだけでなく、言葉フェティシズム。

紗希●五月でも七月でもなく、なんで六月なんだろう? それも「ろくぐわつ」。旧漢字は、木枯さんの俳句だけの特徴ではないとはいえ、やはり字そのものの使い方。

うさぎ●独特なところがありますね。

紗希●この句、

  落羽子のはね吹かれをり庭只海

一般によく使う漢字は「潦」だけど、「庭只海」。「にはたづみ」とひらがなでもない。「庭只海」だと、ほんとうの海のような錯覚を一瞬誘う。

うさぎ●この句は「庭只海」という字が活きている感じがするよね。

紗希●「潦」だと、お正月の風景をただ描写したという感じになってしまう。

うさぎ●「庭只海」は広がりが出ます。

紗希●句集の最初に置かれた

  むさし野は男の闇ぞ歌留多翔ぶ

の「翔ぶ」も、「この字かぁ!」と(笑)。

うさぎ●「跳ぶ」でも「飛ぶ」でもない。この句の歌留多は、お正月の遊びのとび方とは違う。

紗希●しゅぱー!と行く感じ(笑)。

うさぎ●そうそう。武蔵野の雑木林の暗がりとかもイメージさせる。

紗希●空間を使っていますね。

うさぎ●〈むさし野は男の闇ぞ歌留多翔ぶ〉という句はねえ、この句集の冒頭で、まさに「立句」。

紗希●ほんと、そうですね。この句にも言えることだけれど、句集『鏡騒』の雰囲気をひとことでいえば、「粋」。カッコいい。

うさぎ●うん、「粋」。

紗希●老いの句も、どれもカッコ悪くない。カッコつけているとかではなくて、粋。それも、日本のカッコよさという感じ。出てくるものが「柱」とか「障子」とか「梁」とか「糸」とか「絹」とか、日本家屋を思わせる。「和」ですね。木枯さんの愛している世界、俳句でつくりあげた世界は、「和」で出来上がっている世界。

うさぎ●「障子」は、木枯さん、好きだよね。あと、「箱階段」とか「違ひ棚」とかね。


日本的な湿度、上方の粋

紗希●木枯さんの句って、生き物じゃないものが、人のように動く。例えば、

  水あかり障子あかりとむつみ合ふ

  水あかり紅葉あかりとはぢらひつ

句集の中で離れた場所にあるんですが、セットにして読むとおもしろい。水あかりのきらきらした動きが障子に映っていると読めて、たしかに「むつみ合」っている。紅葉あかりは、障子あかりより華やかで強いから、水あかりと反発しあう、はじき合う感じがありますよね。だから「はぢらいつ」であると。

うさぎ●色彩の対比もあってね。紅葉の赤と「はぢらい」で、色っぽさも感じる。

紗希●擬人法というのとはすこし違いますよね。動物やモノではなく「あかり」まで、人のような心や動きを持っている。

うさぎ●水が気怠いという句もありますね。

  囀が水をけだるくしてをりぬ

木枯さんは「水」が好きなんです。

紗希●囀りと水の組み合わせだと、

  囀りて水のおもてをもてあそぶ

という句もあります。

  うららけし水は水輪になりたくて

も、そう。水が生きているんですよね。水が動いたり光ったりを詠むのに、「生き物にしちゃえ」というのもひとつの方法。それがうまくいっている。

うさぎ●木枯さんの「水」は日本的な湿り気ですね。

紗希●「鶴」もお好きのようで、よく出てきますが、鶴が湿地帯に棲むことと関係があるのかな?(笑)

うさぎ●「しっとり」ということ。さきほど「粋」という話が出たけど、粋は粋でも、江戸ではなく上方の粋ですね。角谷昌子さんも「八田木枯論~光と闇へのまなざし」で書いていらしたように、長唄よりも浄瑠璃。木枯さんは伊勢のお生まれだから、そのへんも関わってくるのかなあ、と。

紗希●木枯さんて、海の句が少ないですよね。

うさぎ●そういえば、そう。

紗希●ふつう、もうすこし海の句があってもよさそうなのに、ほとんどない。

うさぎ●伊勢のお生まれだから、海と疎遠だったということもないのに、ちょっと不思議ですね。

紗希●水はあっても、海はない。水がたくさんあるのがダメなんでしょうか。水をいろいろ詠んでいる人が、海をあまり詠まないというのは、おもしろいですよね。

うさぎ●その指摘は鋭いかも。


月光、鶴、鏡~題材へのこだわり

紗希●三島ゆかりさんがつくった俳句自動生成ロボット「木枯二号」っていうのがありますよね。やってみたんですが、木枯さんのようにはならない。それは、さきほどの句で言うと、「水あかり障子あかりとむつみ合ふ」の「むつみ合ふ」も、「水あかり紅葉あかりとはぢらひつ」の「はぢらひつ」も、偶然ではなく、的確に宛てられている。だからこそ木枯さんの句ということなんですね。

うさぎ●木枯さんの句は、ことばがきちんと対応している。

紗希●パターンはあるんだけど、それだけでは木枯句にはならないんです。

うさぎ●一句一章をだいじにするということをご自分でもおっしゃっています。何かを句にするとき、取り合わせよりも一句一章。ひとつのことを表現するのに、必然的に季語が選ばれるという考え方。だから、スロットマシーンのように、ぽんと、偶然に措辞や季語が出てくることとは、だいぶ違う。

紗希●とても好きな句が、

  月光が釘ざらざらと吐き出しぬ

『夜さり』(2004)には〈月光がくる釘箱をたづさへて〉というい句があるんですが、これはまだ途中という気がします。

うさぎ●「月光」と「釘」ということで、いろいろと試しておられるんですね、きっと。

紗希●句に出てくるもの、お好きなものが昔からそれほど変わらないですよね。

うさぎ●昔からずっと出てくるモチーフがありますね。さきほども鶴もそうだし、鏡もそう。

――〈汗の馬芒のなかに鏡なす〉は、20歳代の作品を収めた『汗馬楽鈔』(1988)の句。この頃から「鏡」が出てきて、それからは、どの句集にも「鏡」が印象的に出てきます。

紗希●『汗馬楽鈔』には〈鏡面の傷が夕焼に進み出る〉という句があって、すごくいい(編註・溜息まじり)。

うさぎ●私もそれ大好き。「進み出る」なんてねえ。

紗希●傷が浮き出て見えるという現実を「進み出る」。言葉遣いとしては「釘を吐き出す」に近いところもありますよね。

うさぎ●実感がありますね。

紗希●あとは、『於母影帖』(1995)にも〈鏡ありて母ふたりゐる暮雪かな〉。〈つばくらめ鏡のなかの母を撃て〉。『あらくれし日月の鈔』(1995)には〈汗の馬鏡のなかに帰り来し〉、〈手鏡がおぼえてをりし手毬唄〉とか。

うさぎ●それで今回の句集では、書名にもなった

  黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒

「鏡」はずっとテーマなんでしょうね。

紗希●材料の種類は多くない。材料を絞って、いろいろろ試して、表現が先へ先へと進んでいく。それでいて昔の句の劣化にならないのは、木枯さんの力ですよね。

うさぎ●うん、どんどん良くなる。

――「鳥」も繰り返される題材ですね。

うさぎ●今回の『鏡騒』では、

  水は澄み鳥はまるごと翔んでをり

  春を待つこころに鳥がゐてうごく

この最後の「うごく」がいいですよねえ。

――『汗馬楽鈔』(1988)には〈白壁やとべば小鳥は空の中〉。鳥、小鳥は、シンプルな把握。鳥は「飛ぶだけで十全」のような。鶴はちょっと違う。

うさぎ●鶴はもっと象徴性を帯びる。

紗希●飛ぶものとして、小鳥や鶴が選ばれる。いい意味で、正統派の文学青年というかんじです(笑)。

うさぎ●花にしてもいろいろな花を詠むというより、例えば「あやめ」とか、ひとつの花を何句も詠んで、つきつめていく感じがある。取り合わせで花の季語をぽんとくっつけつという作り方がいっさいない。季題趣味ということなのかな?

紗希●むしろ、季語としての花も、鏡も、木枯さんにとっては、テーマとして同じものなんじゃないですか。

うさぎ●テーマとして等価。

紗希●でも鏡をつきつめるにしても、無季でいいや、ということにはならない。木枯さんには無季の句はほとんどないですよね。

うさぎ●無季の難しさは、よくおっしゃってますね。やはり渡辺白泉などが間近にいた時代を生きているから。お好きな季語でいえば「揚羽」もそうですね。

紗希●そう見ていくと、ヘンなものが好きな人じゃないですよね(笑。「なんだ、そんなものが好きなの?」と言われてしまうタイプではなくて、やっぱり、まっとうな文学青年。

うさぎ●でも、ヘンなものもお好きなんです(笑)。一連のチンドン屋の句、

  チンドン屋末法の世の鉦を打ち

とか。

――チンドン屋も『汗馬楽鈔』(1988)にすでにありますね。〈鳥交る世にチンドン屋あるかぎり〉。

紗希●好きなものは好き。変わってないんだ(笑)。

うさぎ●あとは「素老人」でたくさん作ってみたり、あとは、まだ句は見たことがないけれど、「性病院」で作りたいんだとか(笑)、前からおっしゃっている(笑)。

――千駄ヶ谷のあたりで、そういう看板を見て以来、気になってしかたがないみたいですね。「それなら、ぜひ、週刊俳句に性病院シリーズ50句をください」とお願いしてるんですが、なかなかもらえない。「木枯は頭がおかしなったんちゃうか」と言われたら困る、とかおっしゃって(笑。

うさぎ●そういうことろが、すごいキュートなんだよね、木枯さんは。

紗希●木枯さんて、どんな方なんですか、私は何かのパーティーでちらっとお見かけしただけなんです。カッコいいおじいさんだなと思って、知り合いに訊くと、「八田木枯さんだよ」って。実際の木枯さんも、俳句と同じで「粋」なんですか?

うさぎ●うん、粋は粋だし、飄々としている。ちょっとした受け答えにも、それが出る。受け流し方も巧い。

紗希●言葉少なな感じ?

うさぎ●いえ、無口じゃない。たくさんしゃべってくださいますよ。西の感じかなあ。人とまっこう勝負で向かい合うということはなくて、やわらかく受け止める。物腰はやわらかい。

紗希●木枯さんとは、最初は句会?

うさぎ●ええ。こんな俳句をつくる人がいるんだ!と吃驚した。虚なんだけれど、お伽噺やファンタジーではなくて、妙に気持ちに入ってくる。それで、『天袋』(1998)を読んで、それから、木枯さんの句会にもお邪魔するようになった。

紗希●とくに好きな句はどんな?

うさぎ●それは挙げたらキリがない(笑。こういうものがあって(と、カバンから取り出す)。


紗希●え、なに、これ?

うさぎ●「辻の会」という句会のあとに行く割烹で、その店のコースターに句を書いてもらう。「あの句、書いてください」とリクエストしたり、木枯さんが自分から書いてくれたり。

紗希●いいなあ。色紙より、ぜんぜん、いい。


「虚」と「実」の往還

うさぎ●さっき、木枯句の「虚」に惹かれたと言ったけれど、どれも「実」の裏打ちがあるんだよね。

紗希●句集の最後に、母の句、

  亡き母が蒲団を敷いてから帰る

うさぎ●「母」も木枯さんの主要テーマ。今回の『鏡騒』には数は多くないけど、句集の最後に置かれたのが「亡き母」の二句ですね。

紗希●「亡き母が蒲団を敷いて」という部分は、虚、なんだけど、蒲団ははっきりと見える。白さがきちんと見える。

うさぎ●前の句が

  亡き母が障子あけずに入り来し

この「障子あけずに」という虚が前にあって、その句。

紗希●〈亡き母が蒲団を敷いてから帰る〉は、蒲団の敷いてある部屋って薄暗いところに入っていくわけで、そこに白い蒲団があると、ちょっとぎょっとする感じが、よくわかります。

うさぎ●思いを、蒲団という具体が受け止めている。そこがいいんですよね。それも、ただ、具体があるというのではなく、色や温度をともなって、読者の目の前に存在する感じ。

紗希●〈月光が釘ざらざらと吐き出しぬ〉もまったくもって虚ではなくて、釘が「ある」。

うさぎ●手順としては「実」から発想されているのかもしれないですね。

紗希●この句を読んで、ファンシーには感じない。例えば、月光の中に実際に釘が落ちているという映像が目に浮かぶんです。

うさぎ●うん、手触りがある。

  月光はけものなりけり皿を咬む

も、目の前に「皿」がある。皿の感触がきちんと存在している。虚が作者個人の奇想に終わらないのは、実体があるからでしょうね。釘であり皿であり、という実体。

紗希●さきほどの〈月光が釘ざらざらと吐き出しぬ〉で、不思議なのは、「吐き出しぬ」と言っているのに、吐き出す絵は浮かばない。書いてあることとは違うイメージが浮かぶ。他にもそういう句が多い。木枯さんの句の不思議なところですよね。

うさぎ●吐き出したあとの釘が浮んでも、吐き出すところは浮かばない。

紗希●〈月光が釘ざらざらと吐き出しぬ〉で、もうひとつ。月光は液体の感触とか、さらさらした感じがあるのに、「ざらざら」。激しい質感。異物感。〈月光はけものなりけり皿を咬む〉も、そうですね。月光って獣の感じはしないじゃないですか。そこを裏切る。

うさぎ●月光と釘、月光と皿、それをつなぐのが「吐き出しぬ」「けものなりけり」「咬む」といった把握です。「吐き出しぬ」といった言い方は、なかなかしない。それをやすやすとやってしまう。

紗希●あと、

  冬雁がこゑ入れてゆく紙の箱

これも、紙の箱が映像として残る。さっきの「蒲団」と同じ。

うさぎ●実体がきちんと受け止めている句に大好きな句が多い。

  狐啼く箪笥の環に手をかけて

も、「箪笥の環」がありありと目に見える。ここまできっちりと捉えているから、虚が虚で終わらない。

――この句はポリフォニック(多声的)でもありますね。箪笥の環が鳴るように狐が啼く、と譬えるのではつまらない。それを「環に手をかけて」ということで、絵とともに、環の鳴る音と狐の声がいっしょに聞こえてくる。

うさぎ●複数のことを同時に伝えてくるような作りです。

――木枯さんにはイディオムに近いフレーズもよく出てくるのですが、それを別の語できちんと引き締める、受け止めています。

紗希●例えば、

  とほのきし昭和の夏や深轍

「轍」と「遠のく」がちゃんとつながっていて、しかも、「昭和の夏」が実際にゴトゴトと動いていったような。

――「とほのきし昭和」というフレーズはどうということもないのですが、「深轍」で引き締まりますね。轍だけだと比喩的。

うさぎ●「深」いことで、目の前のモノ、実体になります。

紗希●下五で受け止める句は、

  遺されし我にも死あり凝り鮒

も、そう。途中までは観念。それを凝り鮒で受け止める。思いを述べて下五を季語で締めるというのは、俳句でよくやられることだけど、それを正しくやっているのが木枯さんの句。そういう句は多いですね。パターンと言うと、悪いことのようですが、きちんと完成度が高い。けれども、それが「木枯さんにしかない魅力」かというと、そうではなくて、やっぱり、〈月光が釘ざらざらと吐き出しぬ〉や〈黒揚羽ゆき過ぎしかば鏡騒〉のような〈虚実〉の句になると思います。

――「木枯度」が高いのは、月光の句や鏡騒の句ということですね。

うさぎ●それはやはりそうなるでしょうね。


プレテクストの召還

紗希●最初に話題になったのですが、漢字を通常とは違う読み方をさせるケースも多いですね。ルビがなくて、ふつうに読んだのでは音数が合わないという。

うさぎ●「葱」を「ねぎ」と読んだのでは、

  葱や男は音を立てて死ぬ

は字足らずになってしまう。だから「葱」は「ひともじ」と読むんだろう、とかね。

紗希●「指」を「および」「おゆび」と三音で読ませる句もありますね。ルビがないので読みを調べて確認しているときに、「雨月物語」の「夢応の鯉魚」という話のなかで「および」と読む例が出てきたんです。僧侶が死にかけて夢の中で鯉になって、最後は包丁を入れられる。そのとき、「および/おゆび」で目をふさがれる。その話を知って、

   蝶つまみぬるりとしたる指かな

という句を読むと、また違うおもしろさがある。「および/おゆび」と「夢応の鯉魚」の繋がりがどの程度スタンダードなのか、私にはわからないんですが、古典風の音を使うことで、プレテクストと呼び寄せる効果がある。それもさきほどのポリフォニックの効果といえそうです。

うさぎ●句自体は、素直な句だけどね。

紗希●「および/おゆび」と読ませることで、感覚的な把握に終わらせないような気がするんです。

――いまは使われない「および/おゆび」をあえて使えば、読者はその読みが使われていた時代まで遡ることにもなります。昔は多くの人が共有していたであろう教養を、今の私たちは知らないけれど、読みを辞書で調べることで、古典を参照していることにもなるというわけですね。

うさぎ●ルビを振っていないのは、そういう効果を狙ったのかな?

紗希●インテリが「ふん、これ知らないの?」と感じ悪く蔑むのではなく、「これ、知ってるとカッコいいよ」みたいな(笑)。それこそ「粋」な感じで。

うさぎ●ルビを振ってあるところもありますね。

――振らざるを得ないところにだけ振ってある気がします。「麥粒腫=ものもらひ」は「ばくりゅうしゅ」と読まれてたくないから。「獣肉=ももんじい」は間違っても「けものにく」ではいけないということで。

紗希●「けものにく」じゃあ、普通(笑)。「ももんじい」は、獣肉を食べるのが禁止されていた頃に、「ももんじ屋」の看板で肉を食べさせていた店があったそうですね。語源はモモンガ? モモンガのお爺さん?

うさぎ●なんかぜんぜん美味しくなさそう(笑)。モモンガの肉、食べたくない(笑)。

紗希●この句、

  ろくぐわつをあくせくと生き獣肉

ふつうの肉だったら、ああ、精をつけるために焼き肉を食べたのか、で終わっちゃうところが、「ももんじい」で飛びますよね。言葉のテンションが変わる。

(次号につづく) ≫後篇


※一部、原句の旧漢字を新漢字で表記しています。

(司会進行・記事まとめ:さいばら天気)

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