2011-11-27

牛の歳時記 第2回 北窓塞ぐ 鈴木牛後

【不定期連載】 牛の歳時記
第2回 北窓塞ぐ


鈴木牛後


北窓を塞ぎぬ獣通ふらし  石井露月

北窓塞ぐ 涼風をもたらす夏の北窓も、冬になると冷たい風の通り道。目貼りをしたり、戸を閉さねばならない。(…)建築様式の変化にともなって、次第に実感の薄らいでいく季語かもしれない。(講談社日本大歳時記)
この言葉は江戸時代から使われているようだ。ガラスなどがまだない時代、北からの季節風を防ぐには、板などで塞いでしまうしかなかったのだろう。東京あたりでもそうなのだから、開拓時代の北海道などは想像を絶するものがある。

特に当地は、真冬には氷点下30度まで下がる、日本でもっとも寒い地域のひとつだ。内陸なので海辺ほどの風ではないが、それでも吹雪になると恐怖を感じることもある。すべての体温を奪おうとする冷気、あたりを覆い尽くそうとする雪。自然が剥き出しでそこにある。

アルミサッシがまだない時代、北海道では窓にはすべてビニールを外側から貼り、寒気を防いでいた。つい十数年前の私が住んでいた住宅も、そのようにしていた。それでも、常に暖房をしていないと家の中が凍り付き、暖房のできない風呂場ではいつもシャンプーが凍っていたものだ。

しかし、歳時記の記述にある通り、アルミサッシが一般的となって隙間風というものがなくなり、北窓を塞ぐ必要はなくなった。今となっては、心象風景の象徴としてこの季語が使われるにすぎなくなっているのかもしれない。その、現実として使われているこの季語の、数少ない季語の風景のひとつに、古い畜舎がある。

うちの牛舎は大部分にはアルミサッシが入っているのだが、それでも古い建築の部分は、窓に当たる部分には何もなく開放されている。冬が近づいたら、そこにはポリ波板(透明な波板)を貼ることにしている(そこは方角としては北ではないので、正確に言えば北窓ではないが)。

こうやって牛舎を閉め切るのは、牛が寒いからというわけではなく、ひたすら人間側の都合である。作業するときにあまりに寒いのは辛いし、何より水道管が凍って水が出なくなってしまう。時には、氷になるときの膨脹で、水道管が破裂してしまうこともある。農場によっては、水道に凍結防止の措置を施して、牛を真冬でも運動場に出せるようにしているところもある。そういう農場を見ると、どんなに寒い日でも晴れてさえいれば牛は外で寝ている。それだけ牛は寒さには強いのだ。

しかし我が家では開口部に波板を貼り、運動場への出入り口も塞いでしまうので、牛たちにはもはや外はないのと同じだ。牛というのは、環境への適応性に優れていて、それだからこそ家畜として長い間人間に飼われているのだろうが、外に出られなくても、外が見えなくても、特に不満を抱いているようには見えない。餌が与えられ、水を飲むことができればそれで満足してるように思える。

かくして、牛舎の内外は隔絶され、出入りしているのは人間と猫だけ。人間と牛の距離は夏に比べてずっと近くなるが、それでもペットのようにベタベタするわけではなく、畜主と家畜としての距離を保ちつつ、長い冬をともに過ごしているのだ。

北窓を塞げば大き牛の耳  牛後

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