2012-02-26

『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会 (2)

新撰21』『超新撰21』『俳コレ』リンク総括座談会(2)

参加:筑紫磐井、高山れおな、対馬康子、上田信治、西原天気

日時:平成24年1月18日
場所:帝国ホテル鷽替の間

≫承前 (1)


特徴的人選
「ぎらぎらとしていたのは誰か」

筑紫:『新撰』では1月から4月にかけて3人でいやとなるほどメールの会議をしました。仲が悪くなるほど悪口雑言が飛び交いましたねえ(笑)。その理由は、『新撰21』が『超新撰21』『俳コレ』と続くとは思いませんでしたから、これ1回限りでインパクトのある本にしたかった、いきおい、伝統から前衛まで網羅して激しい内容の本にしたいと思っていました。

湊圭史さんが、「『俳コレ』が・・・全体の印象はリラックスした「個性」の展示というおもむき。『新撰』シリーズにあった、俳句史と対峙してやる、みたいなエッジはなさそうですが」と書いているのは納得しました。

上田:『俳コレ』は今そこにある俳句に対するレスポンスという性格が強いですからね、特に俳句史に「対峙」はしてないかもしれません。

結果的に俳句史の一部を形成したとしても、それは作家さんの手柄だし、第一、俳句史とぶっちがいに明後日のほうを向いてる人の方が面白いじゃないですか。と、これは『新撰』シリーズに対する批判ではなく、ですけど。

筑紫:うーむ、面白いというのがね。面白い先には矢張り歴史があるということじゃありません? 

上田:そう見えたら『俳コレ』は、大成功です。結果オーライで。

筑紫:なるほど。そういう意味でも『新撰21』の人選は、ぎらぎらとしていますよね(笑)。先程、高山氏が述べたように、まず芝不器男俳句新人賞受賞・入選者、俳句甲子園出身で目立った人というところが、最初のイメージでした。あとは、結社誌から選んでゆくようになるのですが、ここから揉めて、北大路翼に至って私は孤立無援になりました。

一方、推薦を辞退された作家もいました。経費こちら持ち、負担なしという好条件なのですが、どうも怪しげな顔ぶれの編者と思われたからかもしれません(笑)。

『超新撰』にいたっては、公募を入れたり、川柳作家を入れたり、編者のぎらぎらしたところが一層よくうかがえますね(笑)。

高山:北大路の人選で筑紫さんが孤立したというの、そうでしたっけ。筑紫さんが孤立したのは谷雄介の応援でしょう。といって谷の名前も最初から挙がっているのでもわかるように、他の2人が反対したわけではなく、単に作品の情報が不足していて最後まで迷ったということです。

山口優夢も同様で、彼が入集しているのは今でこそ当たり前に見えるかも知れませんが、当時の優夢は文章の書き手としてはすでに抜群と思われていましたが、作者としての実力は未知数でした。

優夢は角川俳句賞を獲り、句集を纏めるなど、その後、自分で頑張って作者としての評価を獲得したのです。この場を借りて申し上げておくと、句集に関しては優夢の角川賞受賞のお祝いの会の時に、まだ早いんじゃないの、もう3年くらいかけて数を揃えて、『未踏』を超える程の句集にしたらとかなんとか水を差してしまいましたが、余計なことでした。

上田:それ横で聞いてましたけど、ほんと親身な、いいアドバイスだったと思いますけどね(笑)。

『新撰』は、顔ぶれが発表された時から、すでにネームバリューがあり、かつ新鮮な作家が、つまり美味しいところが入っているなあ、という印象でした。神野さんはテレビに出てたし、他のみなさんも噂の新人だったし。「出る前から勝ったも同然」だったように思いますね。刊行後は、越智さん、関さんというスターも出ましたしね。

筑紫:北大路の件、思い出しました。実は人選に際して、二、三の外部者に相談しましたのですが、その時、意外なほどの拒絶反応に会いましてね。

逆に谷は外部者からの評価も高かったので、余り他意なく推しました。その時の相談とは別に、小澤實氏と早くから『新撰21』の話をし、二回にわたって座談会に参加してもらうことにもなりました。

上田:相談の相手にはAさんも入るのですか。

筑紫:それはなかった。高山さんとAさんとの関係はあまり関心がなく(実は私はAさんと会ったことがないのです)、もともと芝不器男賞を代表する作家として、冨田と関の入集は考えていたわけです。「豈」の発行人として新鋭作家紹介で毎回のように二人を登場させていたことから見ても、私の原則は少しも変わっていないのです。

ただし困ったのは、関が我々に義理を感じてか、2009年春の段階で、「豈」に入会してしまったことです。「豈」の人間は中村安伸一人にするはずが、二人になってしまった。もっとも「海程」が最大勢力なので許されるでしょうが。ただあとから変な男が、『新撰21』は「豈」ばかり入れていると中傷したのは困りました。私、気が弱いものですから(笑)。

対馬:私も長年、結社誌の編集長をしている性なのか、すでに高い評価をされている人だけでなく、新しい人を育てたい、私にとってこれから期待する人も入れたい、という欲張った思いもあって、人選は最後まで迷いました。難しかった。

その意味で推したのが五十嵐義知さん、『超新撰』の久野雅樹さんです。刊行後、特に『新撰』は「ベストアンダー40」という扱いで期待した以上に反響があり、編者の重さを感じました。一定の人数で切る以上、ジレンマが残るのはしかたがないですが…私も気が弱いもので(笑)。逆に私が知らなかった北大路さん、外山一機さんなど個性的で大いに刺激を受けましたね。

高山:今の会話だけ聞いていると、なんでメールで悪口雑言が飛び交ったかわかりませんね(笑)。なんであんなにヘビーだったのか。

筑紫:この企画はたった二人の密談から始まり、それぞれに展開していったから色々な解釈が出てきます。歴史は事実の集積ではなくて、それに参画した人の意識の総意だと思いますよ。正直、『新撰21』の人選のイメージは、高山、筑紫の間では合意がされていなかったというべきでしょう。

高山:それは確かにそうかもしれません。要するに私は、若手の先頭集団を総浚えにしてインパクトのある本を作ることに主眼を置いていた。評価の高い句集のある鴇田や、すでに俳壇的な地位が固まっている高柳に入集してもらうことを、だからこそ重視していました。

筑紫さんはそうではなかったように思います。つまり、筑紫さんの主眼は、新人のデビューのプロデュースにあったということでしょう。

『新撰』竟宴のトークショウの時、池田澄子氏がこの本が権威になるのはいやねみたいなことを言ったのに対して、筑紫さんがあまりはかばかしく答えられなかった場面がありましたが、当然ですね。あの本を権威にしようとしていたのは基本的には高山で、筑紫さんはたぶんそんなつもりはあまりなかったのですから。

筑紫:高山さんのそのインパクト至上主義に、相槌ぐらいはうったかも知れないが、私自身は、芝不器男賞と俳句甲子園の新人中心の人選だったと思っています。

あと、多様性ね。新撰って題名をどういう意味で選んだのか分かりませんが、まずは、新鮮の洒落であるわけですから。

その後、個別個別つぶしていってあの『新撰』のメンバーができあがったのでしょうが、あの21人の名前をどう解釈するかは、高山さんは高山さんの理解、私は私の理解、読者は読者の理解となるでしょう。今もって異なった理解をしていると思いますよ。

言っておきますが、芝不器男賞と俳句甲子園以外にいい作家がいなかったというわけじゃない。芝不器男賞と俳句甲子園の視点で見てゆくと結社の中にうずもれていた作家が見えてくるということです。

北大路翼なんて結社の軸から見ていたら変な奴としてしか見えなかったかもしれないが、芝不器男賞と俳句甲子園から『新撰』の軸が見えてくるとがぜん光り出した。公募を除けば、北大路と清水かおりが異色のセレクションとしてやってやった!という実感のある作家でしたね。

『俳コレ』なら松本てふこで、よくぞ頼んでくれたものです(笑)。北大路の小論依頼に松本がガッツといい、北大路の作品に触発されて種田スガルがはじめて俳句を書きだしたと言うことからすると、突然変異の宇宙人が降臨したと言ってもいいかもしれない。

高山:筑紫さんと私の潜在的なスタンスの差が、『超新撰21』の場合にはかなり露骨な態度の差として現われましたね。

『超新撰』は、企画としては編者ではなく牙城さんの発案なんですよ。しかし、筑紫さんは終始積極的で、公募枠とか川柳枠のアイディアもみな筑紫さんから出たものです。これに対して、私はじつは全く消極的で、「えっ、ほんとにやるんですか?」みたいな感じだった。

というのも、先頭集団網羅インパクト主義者としては先頭集団のアンソロジーとはいえない『超新撰』に入れ込む(ぎらぎらする)理由はほとんどなく、新人デビュープロデューサーの筑紫さんには大いにあった、ということです。

『超新撰』竟宴で高山が中座し、パーティーにすら出ないほど冷淡だったのもこのためでしょう。公募枠で種田スガルに飛びついたのは、インパクト主義の最後のきらめきです(笑)。

上田:話それますけど、『超新撰』のとき、ぼくが入集したのはほぼ21人目というか、滑り込みだったという話を、牙城さんから聞いたんですけど(笑)。メンバーみんな、作品的には首を捻ってたんだけど「まあ、インターネット入れとけ」っていう判断で、入れてもらったと。

筑紫:いやあご立派な方で(笑)。でも座談会の時100 句を読んだら本当に面白かったですよ。まるで虚子みたい。

高山:21人目は種田スガルです(笑)。その発言は牙城さんの上田さんへの屈折した愛情表現なのでは。上田さんの名前は結構早くから上がってましたよ。作品には首を捻っていたというより、輪郭がはっきりしていなかったという方が正確でしょう。

『俳コレ』もそうだと思うのですが、作者によって事前に得ている情報の量と質が全然違うわけです。『超新撰』で言えば、杉山久子や柴田千晶みたいに句集のある人は完全に世界を把握できる。上田さんの場合、ネット上や「里」である程度の数は見られたとしても、整理すると印象はがらりと変わるものです。この人、整理して見せてもらった時どんなことになるんだろう、そんな好奇心で選ばせていただいている人が、何人もいるわけですよ。

それはしかし、『俳コレ』でも同じでしょう? 谷口智行、津川絵里子と、雪我狂流、福田若之の事前情報の水準がおなじなんてありえない(笑)。

上田:すいません、よけいな話でした。えーと、『俳コレ』の人選の話ですよね。1月、天気さんと打ち合わせして、まあ、やってみましょうか、という話になって。

西原:信治さんの仕事ぶりは精力的かつ丹念でした。アタリを付けた人については結社誌への投句まで目を通すという態度を貫くなど、正直、感心しながら見ていました。対して私は、自分の遠近法の範囲で、何人かの作家を頭に浮かべつつ、という、どうにぼんやりしたことで。

上田:週俳の生駒さん、村田さんに手伝ってもらいながら、作品資料を集めて、候補作家の20句選を作って、それを元に、主に、天気さん牙城さんとメールで討議しました。多少の踏み込んだやりとりはありつつ、です。

西原:この手のもので人選は大事です。入集作家の人選で出来映えが決まるといってもいいでしょう。一方で、「なりゆき」という部分も否定できない。つまり、これがベストという判断は誰にもできない。「別のメンバーなら、どうだったか」という仮定は今でも成り立ちます。

それでも、なんらかの時点で「このメンツで行く」という最後の決断がいる。それは信治さんに全面的に任せました。『俳コレ』は実質的には信治さんの編集です。それは最初から決まっていた感じで、私もそれが最適だと思いました。

2011年は、週俳で編集する紙の本がこれとは別に『虚子に学ぶ俳句365日』『子規に学ぶ俳句365日』がありましたから、そちらを私が担当するということで、「分担」は自然に決まった部分がありますが、それよりもモチベーションという意味で、また人選をはじめとする編集の大枠を決めていくセンスという意味でも、信治さんしか適任はいなかった。『俳コレ』がなぜ「上田信治編」ではなく「週刊俳句編」なのかという問題については、「スピカ」でしゃべりましたから(*)、省略します。

上田:天気さんには良いように言ってもらいましたが、大枠と言っても、何のあらかじめの狙いもなく、読みたい順に入っていってもらった、というのが本当のところでです。

『新撰』シリーズのレギュレーションで入れられなかった人、という意味で、谷口智行さん、依光陽子さんなどに入ってもらえたのはラッキーでした。一番若い小野あらたさん、福田若之さんは、一年前だったら、ぜんぜん作品が揃わなかったかもしれない。だから、こういうアンソロジーは、続けて刊行することに意味があるのかもしれません。

先日、小野あらたさんにお会いしたところ「ぼく、まだ18歳なんですけど〜〜」と言われてしまいました。何カ所かで「19歳」と書いてしまった気がするのですが、間違いでした。お詫びして訂正いたします。 上田

週俳からの関係だと、岡野泰輔さんは、週俳の落選展への応募と、それをれおなさんが「豈weekly」で評されていたのが、きっかけでした。岡村知昭さんは現代俳句協会新人賞落選展にご応募いただいた30句と、そのあと週俳に書いてもらった作品が、えらいこと面白かった。山田露結さんは、角川俳句賞に5作(50句×5)出してしまう馬力にポテンシャルを感じました。

どの方も、何年か分の結社誌の作品を確認して、上り調子かどうかみたいなところを確認してます。望月周さん、阪西敦子さんは、直前の新人賞の作品より、結社誌に書いているものが実は良くて。こういう方は、撰者が大事かな、と(笑)。林雅樹さんや矢口晃さんは、ずっと注目してた人。こういう人こそ、アンソロジー向きで、ストリートファイターっていうか、100句出せば、腕が分かるみたいなところあるじゃないですか。

候補作家をしぼっていくうちに、全体として、顔ぶれがなんらかのメッセージを発してたほうが面白いな、ということを考え始めました。つまり、作家の方の個々の作品を楽しんでいただきたいことは、もちろん、そうなんですが、本としての面白さ、というメタレベルをこしらえたくなってきた。それで、最後のぎりぎりの段階で、本として面白くなりそうなチョイスをした、ということはあります。そのへんで、週俳らしさは、出てしまっているかもしれませんね。

筑紫:なるほど。芝不器男賞と俳句甲子園が『新撰』の基調を作りだしとしたら、『新撰』が教師と反面教師の役割で『俳コレ』に影響をあたえたと言えるでしょうか。ただ、『超超新撰』だったら無条件で入れた人と、こういう発想はないなという人と、両方いましたよね。松本てふこの選と小論を引き受けたのは、ぴったり合っていたからです。おかげで「めずらしく情がある」なんて言われてしまいました(笑)。

上田:まさかの『超超新撰』(笑)。でも、機会があったらぜひ、お願いします。結社が近すぎたり、作風がかぶったりで、泣く泣く入れられなかった作家も何人もいらして。ここで、その人たちのいい句を発表したいくらいなんですから。

西原:人選について意見は出しました。「意見は言うが、最終的には信治さんが決めてください」と伝えながら、推薦もしました。私が入れたくて入らなかった人もいます。結社・同人のバランスから洩れた人はいると思っています。今だから少し言ってしまえば、「豆の木」という私が所属していた同人から、もうひとりくらい、という感じ。私がやめれば推薦しやすいという思惑もあって「豆の木」をやめましたが、まったく効果がなかった(笑)。

上田:「銀化」が3人になっちゃったのは、ほんと偶然で、矢口さんと小野さんが「銀化」に入るなんて知らなかったですよ(笑)。

話戻しますと、昨年、ウラハイで天気さんと、週刊俳句200号を振り返る対談企画をやった時、こちらとこちらの俳句に水路を引いて、ひとつの視点でくらべてみたい、的なことを話したんですが、まさにそういう形になったような気もします。

自分の価値基準で読みうる俳句の作り手の最右翼から最左翼まで入ってもらえた、というかんじ。誰が右で誰が左とは言いませんが、みなさんほんとに素晴らしい。そのへんが、ラストの座談会で、選者による温度差のはげしい『新撰』シリーズと違うところです(笑)。

あと、直近で第一句集を出されていたり、出ると分かっていた方の場合、その句集のダイジェストを掲載してもしかたがないと思って、入れられなかったりとか。御中虫さんがまさに、そうだったんですが、あの方の去年一年の活動を見ると、入っててもらうんだった!と、思います。

西原:句集の有無、とりわけ近い時期の句集刊行の有無は、むしろ、もっと重視してよかったと思っています。句集を出していない人を優先するという傾向をもっと強く出してよかったんじゃないかと。例えば「依光陽子さんは句集がまだないので、『俳コレ』で読めるのはありがたい」という声を実際に聞いたとき、やはり、そうかと。

上田:それで、やっと人選が固まって、さあ依頼状をと邑書林に依頼して、まだ送らないうちに地震が来てしまってですね。

どうしましょう〜〜って天気さんにメールしたら、「まあ一と月、様子を見ましょう」と。ほんとね、天気さんは、つねに正しい(笑)。

西原:あの時点なら、誰だって、ああ言いますよ(笑)。余震と原発と世間の空気を眺めつつ、という判断。

上田:地震前に、依頼状出してたらずいぶん断られた気もするんで、結果オーライでした。予定のスケジュールより一月遅れでスタートして、ラスト、かなりギリギリになったんですけど、年末のパーティーと、紀伊國屋書店新宿本店のフェアが決まってたもんですから、無理矢理間に合わせてもらいました。

(つづく) ≫第3回

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