2012-03-25

朝の爽波 9 小川春休


小川春休





9


…「東大ホトトギス会」OBの俳人たちと新宿で飲んだときのことだった。
 さんざん食べて飲んで盛り上がった頃、飲みすぎた俳人の寺澤一雄が、気持悪そうに立ち上がった。オヤ、困ったナ、大丈夫カナ、と私が思っていると、周りにいた五、六人の仲間達が口々に、「ナンダ!! 寺澤、『鋪道の花』か?」と叫んだ。「鋪道の花」って? なんのことか解らない私をのこして、寺澤は新宿ゴールデン街の小ぎたないバーの外へ出て行った。しばらくして戻ってくると、彼はもうすっかり気分が直ったようにケロリとしているので、みんなまた、「鋪道の花、鋪道の花」と叫んだ。
 聞けば、それこそが、波多野爽波という俳人の処女句集の名だという。そして、その題名になった句が、

  金魚玉とり落しなば鋪道の花  爽波

という句だった。…(辻桃子『季語って、たのしい』)

いよいよ題となった句〈鋪道の花〉の登場です。この句といえば思い出すエピソードを、師辻桃子のエッセイ集から。

さて、だいぶ終盤に入ってきた第一句集『鋪道の花』。今回も昭和28年の句。28年9月にいよいよ「青」創刊(10月号)、主宰となります。創刊号には、虚子の五句、三島由紀夫の小文も寄せられました。創刊号の爽波の発表句の中には何と〈金魚玉とり落しなば鋪道の花〉も見られます。第一句集の表題にして主宰誌創刊号を飾った句、非常に象徴的な一句だったんですね。

目刺焼くラジオが喋る皆ひとごと  『鋪道の花』(以下同)

どこまで「ひとごと」と読むかで印象が大きく変わる。自ら目刺を焼きながらラジオを聞くのか。それともどこかから目刺を焼く匂いと、ラジオが聞こえてくるそぞろ歩きであろうか。茫洋とした孤独を感じさせながら軽やかでもある、後者の読みを採りたい。

入学の朝ありあまる時間あり

いつもとは全く違ったタイムスケジュールで進む一日。決して遅刻しないようにと必要以上に早起きしたりしてしまう。男親の方は準備といってもスーツを着るぐらいで普段と変わらないが、女親と子供の準備は中々に大変。爽波の父親としての姿が窺われる句だ。

夜桜の下自転車が迅く通る

月明かり、もしくは街の灯の反映なのだろうが、夜桜は、花自体が蛍光しているような不思議な明るさを湛えている。その明るさの中をすーっと通り過ぎる自転車は、闇から現れて一瞬にして闇へと消えて行くようだ。静と動の対比が鮮やかであり、緊迫感を感じる。

学帽はかぶらず出でて春月に

制服に学帽というきっちりした姿から、学帽を取ることの解放感、そこには一日の学業を終えた充足感も感じられる。そんな心のままで、春の夜のそぞろ歩きへと出かけて行く。「春月に」という余韻を残す結句が、浪漫的な雰囲気をより印象深いものにしている。

藤の雨子叱る暗き母の顔

子を叱るということは、中々に複雑な心情を含んでいる。ただ注意するだけに止まらず、価値観の共有を迫るような、親と子の濃密な関係をベースとした行為であるように思う。「暗き母の顔」には、妻としての顔とは異なる母としての表情を見出した驚きも窺われる。

踏切を越え早乙女となりゆけり

「早乙女となる」とは、無論そのいでたちのこともあるが、決してそれだけに止まるものでもない。内面的なある種の精神状態を伴って、初めて「早乙女となる」のであろう。田までの道に存在する踏切は、精神状態の切り替わる場所として、象徴的に現れる。

金魚玉とり落しなば鋪道の花

薄い硝子の球形の中に、たっぷりの水と金魚。あくまで「とり落しなば」という仮定の上での「鋪道の花」であるが、実際に割れてしまった景よりも、落とせばたやすく粉々になるものを持ち歩く張り詰めた感覚の方が、より一層迫真性を持って読み手の心を掴む。

0 コメント: