2012-04-08

朝の爽波 11 小川春休


小川春休





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一月から開始した本稿も、三ヶ月が過ぎ、四月に突入。この四月から私の通勤経路も変わり、バスではなく市内電車での通勤となりました。街中をぐねぐね曲がりながら運行していたバスと違って、市内電車のルートは〈まつすぐな道でさみしい〉。車窓の景色も単調なので、乗り過ごしそうで怖い。

さて、第一句集『鋪道の花』は、京極杞陽の跋文も含めて、とうとう今回で終了となります。本稿の連載期間、何となく半年間ぐらいかなぁ、などと最初思っていたのですが、この調子で爽波の全ての句集(句集未収録の句にも採り上げたい句が少々)を読んでいくと、丸一年ぐらいかかりそうですね。『朝の爽波-爽波入門365日-』とかいうタイトルで書籍化してみてはいかがでしょう、出版関係各位。

巻尺をもてはたはたの地を測る  『鋪道の花』(以下同)

巻尺で土地を測るのは測量士か。その土地は「はたはたの地」、バッタたちの飛び交う、草むらのような土地。お互いに無関係なようでいながら、測量士とバッタとが渾然と一景を成している。後年の〈巻尺を伸ばしてゆけば源五郎〉と味わい比べてみるのも面白い。

芭蕉葉の破るる空にある日かな

名詞化した「破芭蕉」と、動詞で「芭蕉葉の破るる」と表すのとでは趣きが異なる。後者は今まさに破れる様子、そこには大きな芭蕉の葉を吹き破る強風も言外に描き出されている。「空に」は日の強さだけでなく、高々と成長した芭蕉の大きさをも思わせて的確。

ベル押せば冬空に足音おこり

在宅かどうか分からぬほどに静まり返った空の下、おもむろに玄関のベルを押す。すると家の奥からたたたた、と起こる足音。冬空に広がるその足音の、音の抜けの良さ自体も心地良いが、訪問先の在宅を喜ぶ心情が、その足音の響きを明るいものにしている。

戸あくれば冬空に帽とりて客

一句前の〈ベル押せば〉とは逆の立場の句。「戸あくれば冬空」というだけでも、暗から明への転換を鮮やかにかつシンプルに描き出しているが、そこに現れた礼儀正しい客人の、冬空からふっと出現したかのような不思議な存在感が、掲句を独特なものとしている。

下るにはまだ早ければ秋の山

秋の山の行楽、日が傾き始め、そろそろ帰り仕度を始める人たちもちらほら見受けられる。しかし、この楽しい行楽を終りにしたくないという心情と、そんな心情を起こさせる山の様子や気候とが、自然と読み手の心に浮かんでくる。京極杞陽による跋文に採り上げられた句。

次回から第二句集『湯呑』に入ります。お楽しみに。

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