2012-04-15

朝の爽波 12 小川春休


小川春休





12

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twitterで一句ずつ鑑賞している関係上、140字の字数制限は避けられません(鑑賞を途中で2件に分ける手もあるにはありますが、かっこ悪いので却下)。が、この字数制限、デメリットばかりでなく、メリットもある。いや、実感としてはメリットの方が多い。字数制限に収めるために無駄な箇所をカットしたりする過程で、本質が見えてくることも。

それと、twitterだと、鑑賞が掲載されてすぐに、御意見や御指摘が直で私宛に寄せられるのも、ざっくばらんでスピーディで良いですね。今回鑑賞した句の中にも、お寄せいただいた御意見・御指摘をもとに、鑑賞に修正を加えたものがあります。感謝感謝。

さて、今回からついに第二句集『湯呑』に入ります。第Ⅰ章は昭和29年から34年。これは、第一句集『鋪道の花』収録された年の翌年から爽波の師高浜虚子逝去の年までという区切りとなっています。6年間から47句しか収録しないという厳選(平均すると7.8句/年!)のため、珠玉のような句が並びます。爽波の代表作と言って良いような句もちらほら。

本あけしほどのまぶしさ花八つ手  『湯呑』(以下同)

『湯呑』冒頭の句。小さな花を、隙間の多い房状に付ける花八つ手。そのかすかなまぶしさを「本あけしほど」と喩えた。この場合の「本」は、頁に占める文字数の少ない、詩集や句集などを想像する。一読、本の光と花八つ手の光に、視界を満たされる思い。

レールより雨降りはじむ犬ふぐり

変わりやすい春の天気、まだ雨は降らぬかと思ったが、気付くとレールにはほつほつ雨が落ち始めているようだ。これから空模様は崩れてゆくのか、それとも持ち直すのか。犬ふぐりはそれまでと同じく、いや、小さな雨粒を載せてそれまで以上にきらきらと、野を明るいものにしている。

秋草の中や見事に甕割れて

凛とした姿の花の多い、秋の草花。そんな花が、誰が植えるともなく自生する野を思う。そこで一際異彩を放っているのは割れた甕。見事な割れ様とはどのようなものか、とにかく「見事」としか言いようのない割れ様なのである。花よりも、割れ甕の方に華がある。

シーソーの尻がうつ地の薄暑かな

初夏の好天のもたらす薄暑、公園で遊ぶには最も良い時期かもしれない。シーソーも、ゆったり乗る分には足で着地できるのだが、本気でばったんばったんやると、勢い良くシーソーの尻が地を打ち、それと同時に体が少しシーソーから浮いてしまったりする。

セルの袖煙草の箱の軽さあり

セルとは、薄いウールを用いた夏向けの和服のこと。爽波は家ではほとんど和装だったらしい。ちょっとした立ち振舞いの折に、セルの軽快さを感じて心も軽やかになる。軽い煙草の箱の存在を意識するのも、セルが軽ければこそ。さ行音とか行音の響きも明るい。

美しやさくらんぼうも夜の雨も

さくらんぼの紅を更に輝かしいものにする夜の雨。いや、瑞々しい夜の雨にさくらんぼが一点の彩りを与えていると見るべきか。そんな問いへの、懐の深い回答が掲句なのであろう。「美し」というストレートな形容は、ホトトギスの先輩京極杞陽を思わせる。

日盛や乗り降りなきにドア開く

すーっと自動ドアが開くが、乗る者も降りる者もない。こういうことはバスでも稀にあるが、おそらくは電車であろう。開かれたドアからは、強烈な日射しに時が止まったかのように静寂に包まれたホームの光景が、否応なく乗客の目に飛び込んでくる。

隙間風さまざまのもの経て来たり

外を吹く風が人家に侵入したその瞬間、「隙間風」という不名誉な呼称で呼ばれることとなる。ぱっと見どこから入り込んだのか分からないが、そのかすかな風音が隙間風のたどってきた経路を想像させる。そして想像は、人家に入る前の風の来し方へも及ぶ。

ことごとく空に触れゐる冬木の葉

爽波の愛した季語である「冬空」、その冬空の広がりの下、健気に枝を拡げて立つ一樹。葉がかなり落ちたせいだろうか、一枚一枚の葉まで「ことごとく」よく見える。寒く張り詰めた空気の中、空を背景とした樹の姿が、その輪郭の細部までシャープに目に映る。

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