2012-04-29

牛の歳時記 第8回 春光 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記
第8回 春光


鈴木牛後


春光に生れたての牛立ち上がる  土川照恵

春光 春の景色、春の様子である。春の日光でなく春の風光であるが、ふつう陽光のかがやかしさの意をこめて用いる。(講談社日本大歳時記)
生まれたばかりの子牛が立ち上がるという明るさ、それはまさに春光に相応しい。春光のイメージはまさにそんな感じだろう。

北海道の地にもようやく春らしい春がやってきた。ニュースでもたびたび報道されたように、今年は近年まれに見る豪雪だった。おまけに3月の寒さで雪融けも遅く、うちの牧草地もやっと4分の1くらい地面が見えているくらいだ。(この原稿を書いた4月21日時点。あれから暖かい日が続いて、今はほとんど雪はなくなりました)

だが、春の光という点では、この融雪直前が一番輝かしい。春分もとうに過ぎて太陽の力がかなり増している上に、雪の照り返しが強烈だからだ。「雪焼け」という言葉があるように、ちょっと外に出ているだけでかなり灼けてしまう。

ちなみに、「雪焼」は冬の季語となっているが、北海道の感覚では明らかに春である。冬の陽光は弱くて、なかなか雪焼けはしない。それに比べて春の日差しの強いこと。

ところで、以前から疑問に思っていることがある。このような雪の照り返しを表す季語はあるのだろうか、ということだ。ちょっと前まで「雪解光」というのがそれに当たると思っていた。「雪解光」は「雪解」の傍題で、私の持っている歳時記には解説が載っていないのだが、Weblio辞書には「雪解水のため、光が異常屈折をおこしておこる蜃気楼のこと」とある。こんな蜃気楼は見たことはないが、少なくとも私がイメージしていたものとは明らかに違うようだ。

読者の方で詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教示下さい。

さて、本題の牛の話。長い冬の間、当然ながら牛舎はほとんど閉め切っている。たまに暖かい日があっても窓は凍り付いていて、簡単には開けられない。窓は光が入るからまだいいが、出入り口のシャッターは光も入らず、暗く閉ざされている。

そして、春。4月になればシャッターを開けっ放しで搾乳できるようになる。私にとって春はこの瞬間のことだと言ってもいいかもしれない。うちの牛舎は東西方向に長いので、端のシャッターを開けるとちょうど夕方の搾乳時間に強い西日が射してくる。

牛には表情がほとんどないので、牛の感情表現は、もっぱら目、舌、耳、そして尻尾で行われる。尻尾は落ち着いている時にはゆっくりと、興奮しているときには激しく振られる。激しい尻尾は顔を叩かれたりするので歓迎しないが、搾乳が終わってリラックスしているときに、西日を透かして静かに揺れる尻尾はいかにも牛らしいと思う。

春光は弾かれ牛の尾から尾へ  牛後


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