2012-05-27

朝の爽波 17 小川春休


小川春休





17

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今回〈菜虫とる顔色悪き男出て〉を鑑賞しながら、虚子の〈酌婦來る灯取蟲より汚きが〉を思い出していました。爽波は、虚子の名句としてこの〈酌婦來る〉を挙げ、草田男の名句としては〈母が家近く便意もうれし花茶垣〉を挙げていたそうです。ソースは吉本伊智朗「反骨の美学」。この〈菜虫とる〉にも、そうした爽波の志向がありありと窺われますね。

さて、第二句集『湯呑』は引き続き第Ⅱ章(昭和35年から48年)から。昭和44年には三和銀行四条大宮支店長となり京都にお引越し。この時期「青」は毎月の刊行が困難で、三度も合併号を出している。45年には徳島支店長となりまたお引越し。「青」編集・発行の一切を京都の野口喜久子さんに託し、新天地の徳島で、職場の阿波踊りの連の中心となって練習に明け暮れる日々(?)を送っていたのですが、11月25日、学生時代からの知己である三島由紀夫自刃の報を受け、呆然自失となってしまいます…。

墓参より戻りてそれぞれの部屋に  『湯呑』(以下同)

生者には、それぞれの部屋。死者には、墓という居場所。家族も、子供が大きくなると徐々に一堂に会する機会は減ってゆく。生者死者が一所に集まる墓参というものの特殊さが、その後の日常と地続きでつながることで、より一層浮彫りとなって感じられる。

掃苔のみづいろに張る夕空よ

掃苔とは、元々は墓の苔を取り除くことであったが、転じて墓参りのことを指すようになった。墓参りは盂蘭盆の行事として、初秋の季語。戦後、盂蘭盆と終戦記念日とは切り離せない関係になってしまった。爽波はどのような思いで、この空を見上げただろうか。

見上げれば吉野は障子破れをり

名高い桜の名所である吉野だが、掲句は冬の景。満開の桜の吉野山のおもかげを胸に、冬の吉野を訪れる。辺りに人も少なく、見上げれば障子が破れ、黒々と傷を見せている。花盛りの吉野が夢であったかのような、侘しい様子がありありと描き出されている。

菜虫とる顔色悪き男出て

農の暮しを創作上の重要なモチーフとした爽波。掲句、菜虫の駆除は、あまり日の当たらぬ地味な作業。それに携わる男にも、日々の暮しもあれば体調の悪い日もあろう。そうした窺い知れぬ生活というものを、その顔色の悪さが一瞬、まざまざと垣間見せてくれる。

海渡りきて末枯に時計見る

はるばる海を渡って降り立った地は、草の葉先から枯れの始まる、末枯れの野であった。「時計」は腕時計であろうか、何気ない動作であるが、海と陸とでは時間の流れが異なり、この旅人が時間の流れから少し遊離した存在であるかのような、そんな雰囲気が漂う。

茸狩の帰り着きたる月の屋根

「茸狩」と「月」との季重ねであるが、より時期の特定される季語である「茸狩」の方を、主たる季語として読むべきだろう。満天の月に照らされての帰途、日中の天気も絶好の茸狩日和で、予想以上の大収穫だったのであろう。童話のように幸福感に満ちた景だ。

耳に来し虫ふり払ふ冬芒

冬に入ると芒は枯れてしまうが、枯れた後の穂には秋とは違った趣がある。穏やかな昼の日差しに、虫がふわりと舞い上がる。耳近くに来て初めてその翅音に気付かされるような、微細な虫が目に浮かぶ。虫というディテールが、冬の芒原の実感を豊かに肉付けしている。

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