2012-05-06

空蝉の部屋 飯島晴子を読む〔 5 〕小林苑を

空蝉の部屋 飯島晴子を読む 〔5 〕

小林苑を


『里』2011年6月号より転載


われをよぶ父よあかるく蛭と泳ぎ    『朱田』


晴子には父を読み込んだ句が多いと 上杉晴一郎という方が指摘している。このブログ〔※1〕では、晴子の句をキーワードごとに数えていて、父の句は『蕨手』十一句、『朱田』四句、『春の蔵』三句、『平日』一句だと言う。

誰にとっても父母はキーワードとなる一語であり、多くの句集に父の句、母の句を見出すことができるので、とくに多いとは言えない気もするが、これを見て初期の句集に父の句が多いことに気づく。また、〈やつと死ぬ父よ晩夏の梅林 『蕨手』〉〈 鯉の尾のふゑゆきて父冷ゆる板戸『朱田 』〉にみられるように、直接的ではなくとも、その多くに病と死の匂いがする。

晴子にとって父はどんな存在なのだろう。「ギャンブル」というエッセイ〔※2〕 には、女学校時代にポ―カ―に凝った話が出てくる。相手は父親。自身が述べているように、その頃、家族でポーカーをするのは珍しいことで、洒落た家庭だったのだ。それどころか、朝はオートミールにベーコンエッグを食べる。オートミールなんて、娘世代である私にとっても、海外の小説に出てくる謎の食物だった。

一方で、母親とは「台所の暗い板の間に坐って京都風のお惣菜、たとえば切干大根と油揚げの煮つけ一菜」だけの昼食をとる。教育熱心な、京都の西陣で生まれ育った母親は、真夏でも、だらしないのは嫌だと、木綿を着て帯を締め、考えただけで汗だくになってしまいそうな恰好に襷掛けで働く人であったという。

このエッセイは晴子の育った環境を知る上で貴重なもので、現俳協青年部の勉強会〔※3〕でも、田中亜美氏がこの家庭環境を晴子のアンビバレントとして語っていた。

ただ、私は、晴子にとってこうした家庭は、気持ち一寸得意であったろうと思っている。言い方が悪ければ、この環境を好いていたと感じる。父のハイカラも、母の旧弊という伝統も、晴子の血肉でありセンスの元であった。それぞれに価値を認め、どちらも腑に落ちることが、日本という国の教養のあり方なのだ。

口煩い母に比べて、父は一人娘と共謀する仲間でもあったのだろう。文章から、弾んだ気持ちが伝わってくる。その後の夫との関係、男性俳人との交流を見ても、父とのよき関係が偲ばれるのだ。

ところで、揚句だが、これを書いていて「泳いでいるのは誰 ?」と疑問が芽生えた。父か、作者か。「泳ぐ」ではなく「泳ぎ」である。泳ぎながらわれをよぶ父、と倒置しているのか、父の声を耳に泳いでいるわれか。前者と取るのが自然な気がするが、断定はできない。こういうとき、判然としないのは失敗作なのか。でも、私はこの句が好きだ(このことは改めて考えるべきことのひとつかもしれない)。

蛭は、かっては田圃などに当たり前に生息しており、噛まれた話を聞いたりしたが、私には蛭体験はない。すぐ思い出すのは映画『スタンド・バイ・ミー』だ。森の奥の湖で少年のひとりが蛭にまみれる。何匹も何匹も吸いついて大慌て払うシーンが印象的で、この句からもあのわさわさいるのを思う。

ほとんどが淡水生(つまり水に棲み)、 動物の血を吸う害虫(実際には噛むだけで吸わない上、噛むのは数種のみらしいが)であり、ぬるぬるとした姿かたちも嫌われ、吸いついたら離れない蛭のようだというのは相当な悪口だ。

そんな蛭のいる沼で泳ぐ父は「あかるい」。自分を呼ぶ声が聞こえ、しかし、父は幻想の蛭とともに異界にある。だから、「父よ」と呼びかけても届きはしない。

もし、泳いでいるのが作者であったらどうだろう。危うい沼を泳ぐ耳に父の声が聞こえる。禁断のようにあかるく輝く世界。作者はあの世へ通ずる場所にいるのだろう。父恋の思いが、作者をその場所に連れて行く。いずれにしても、父と子の間には結界が張られている。この句はこの世とあの世の交信の句、夏の真昼の幻影だ。

年譜によれば、晴子が神戸の田中千代服装学院在学中、十九歳のときに、父・山本清太郎が死去。服装学院のあった神戸と言う街を晴子は気に入っていたようだ。それは、父の持つ雰囲気に重なるものでもあったろう。

仲の良かった父と娘。早くに父を喪った晴子の「父」像は、その多くが弱々しいが、この句では(かっての父のように)溌剌としている。溌剌としているが、その体には蛭がまとわりついている。それは私に、イザナミの蛆を思い出させる。沼は黄泉ととってもいいのたかもしれない。

もちろん晴子の作句法から言えば、句の中の父母は現実の両親ではない。「わが俳句詩論」では、「言葉を独り歩きさせて、私は後からついていくことを覚えたとき、私は、私が育った時代を一応後にしたといってよいだろう。そうして、実作者としての私は、ここにやっと始まった」〔※4〕 と語り、だから「父」にせよ「母」にせよ、それは言葉としてあるのだが、それでも、父という一語には実在の父の影が濃い。どんなに独り歩きさせても、言葉は作者を投影することこそ、句に個性の生まれる所以なのだろう。


※1「俳句鑑賞・その六 飯島晴子」『Poem Law Haiku Picture』二〇〇三年
※2『飯島晴子読本』収録。『鷹』一九八一年を再録
※3シンポジウム 『藤田湘子とその系譜 ―「伝統」というフロンティア―』二〇一〇年一〇月 
※4『飯島晴子読本』収録。『俳句研究』一九七七年

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