2012-07-08

林田紀音夫全句集拾読221 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
221



野口 裕



草野球日が傾けば声を出す

昭和五十七年、未発表句。昭和五十一年未発表句に、「雲の翳しばらく過ぎて草野球」。

昭和五十四年未発表句に、「声が出傾く日射し草野球」。昭和五十一年の句が他人の空似だとしても、昭和五十四年の句とは明らかに関連があり、草野球で一句がものにならないかとあれこれ考えている様子がうかがわれる。作中主体が観客から、次第にプレイヤー側へ移行している点が興味深い。

 

くらがりを幾重にも負い盆踊り

昭和五十七年、未発表句。盆踊りと暗さの取り合わせはよくあるだろう。「幾重にも負い」が紀音夫特有の把握になる。踊りから華やかさが消え、苦役と化す。

 

ハンカチを灯すみずうみひらたくて

昭和五十七年、未発表句。風呂敷と水平線や海・みずうみ(紀音夫の表記は漢字ではない)を取り合わせる句が、以前に存在する。

  風呂敷につつむ訣れた海の夜(昭和五十年、未発表句)

  風呂敷を結ぶ水平線消して(昭和五十四年「海程」)

  風呂敷を結ぶみずうみ雨けむり(昭和五十一年未発表句)

ここでは、風呂敷の代わりにハンカチを持ち出した。一句だけでは「ハンカチを灯す」がわかりにくく、作中主体の行為なのか、みずうみに対する形容なのかの判断もつかない。先行句からの変容を跡づけると、ハンカチや風呂敷が訣れに対する記憶を包むものと判断できるが、紀音夫の内部ではその含意が自明と化しているように思える。

季語が先行するテキストから汲み出される連想の体系を有しているとしても、季語としてのハンカチからそうした含意を認めるのは容易ではない。言語の持つ連想体系は、主に集団が堆積した歴史性に端を発する。大げさに言えば、無季俳句のありようは、そこに個人の歴史性を投げ込もうとした賭けという面がある。したがって、こうした賭けに失敗した句も散見されることになる。

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