2012-07-08

【週俳6月の俳句を読む】「名前」をつける 高崎義邦

【週俳6月の俳句を読む】
「名前」をつける

高崎義邦


最近「名前を付ける」ということの大変さを痛感させられることが多い。

新しいサークルを立ち上げたときやお笑いのコンビを組んだときや作品群にタイトルを付けるときなど、性質は違えどもその度ごとに「命名」の苦しさを体験させられる。あんまり「キザ」な名前は嫌だけど「ダサい」とも思われたくもない。「メッセージ性」は出したいけどそれが「明け透け」になるのは嫌だ。名前をつける際には色々な思惑が錯綜する。

小学生の頃、「自分の名前の由来」を親から聞いて調べてくるという宿題が出されたことがある。みんなが自分の名前に込められた「特別」な思いを得意げに発表していく中で、ある友人が「お父さんに聞いたら、『特に意味はない。ノリでつけた。』と言われました。」と発表した。クラス中がそれを聞いて笑い、彼はしばらくの間そのことで友達に冷やかされたりもした。当時は僕も「え!?ノリ!?」と思っていたが、ことの大小の差は勿論あるが様々な「命名」に携わるようになってからは、なんとなくその友人の親の気持ちも分かるような気がする。先述の通り様々な「思惑」が錯綜する「命名」という行為には、ある意味では相当なプレッシャーが与えられる。ましてや、人の一生を左右される「名前」のプレッシャーは図りしれないだろう。「えい!もう色々考えるのはやめた!自分の直感でつける!」という気持ちにもなるかもしれない。僕は、それも一種素敵な「名前」だと思う。


だいぶ、本題からそれてしまったのだが、今回の作品のタイトルの中にも上手く「いい名前」がついているなぁと思わせるものがあった。


神野紗希 「忘れろ」 


僕はそんなに作品群を読んでいる訳ではないが、動詞の命令形一語のタイトルというのは珍しいのではないだろうか?

「忘れる」という行為はもともとあった思い・記憶などを意識的・無意識的になくすことであり、動詞の中でも特別なイメージを想起させるものだと思う。その動詞を命令形にしたことで、ある種の「暴力性」が浮かびその背後にストーリーの存在を予感させる。「命名」の際に立ちはだかる様々な「思惑」を上手くかいくぐっているいい名前だなぁと思う。


遠泳の白く大きなバスタオル 神野紗希 


水泳の後に用いるバスタオルというのは風呂上りに用いるバスタオルとは全く性質が違う。水泳の後のバスタオルはある種「ゴール」でもある。「水泳」は「楽しさ」や「爽快感」のイメージがある一方で「競泳」「遠泳」など「苦しさ」も存在する。だんだんと体が「日常」から離れていく「水泳」という行為から開放されもう一度「日常」へとつなぎとめてくれ「ゴール」ともなる「バスタオル」という象徴を「白く大きな」という言葉で上手く表していると思う。


忘れろ忘れろ平泳ぎ繰り返す


水泳という行為自体(体の動き)自体は、日常から離れていくものではあるが、それを行っている内面自体は「日常」が支配していることも多い。「友達との喧嘩」や「恋の悩み」など水に入る前の思いが、延々と続く「泳ぐ」という行為・体の動きの中で胸中に膨らんでいくことはよくある。「忘れろ忘れろ」と思い続けながら延々と蛙の足を漕ぎ続けることで逆に「忘れたいこと」が広がっていくジレンマが水泳という行為の特性を生かし描かれていると思う。

二句とも「共感」させる力が強く、「水泳」という行為の持つスペシャルな性質を上手く表し、「夏」を感じさせられた。


みなさま、夏バテなどにくれぐれも注意し、体に気を付け素敵な夏をお過ごしください。


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