2012-07-29

「ミヤコ ホテル」を読む 澤田和弥

「ミヤコ ホテル」を読む


澤田和弥

日野草城の連作「ミヤコ ホテル」10句は昭和9(1934)年「俳句研究」4月号に発表され、昭和10年の第三句集『昨日の花』に収録された。「完全なフィクション」であり、「エロチシズム濃厚なテーマ」を詠んだこの作品は高浜虚子の逆鱗に触れ、昭和11年草城36歳のときに「ホトトギス」同人を除名される。草城は明治34(1901)年、東京生まれ。大正13年(1924)京都帝国大学法学部卒業。保険会社の支局長まで勤め、昭和29(1954)年退職。晩年は病臥のなか、句作に専念。戦前は「旗艦」を、戦後は「青玄」を創刊主宰。昭和31(1956)年、56歳にて没。


「エロチシズム濃厚なテーマ」とは何か。それは、結婚初夜である。くんずほぐれつぐふふふふの結婚初夜である。草城は新婚旅行には行っておらず、「完全なフィクション」とされる。作品を見てみよう。正直、さほどエロくない。私の期待しすぎか。しかし、空想と妄想をたくましくしながら読むと、確かに「エロチシズム濃厚」である。

けふよりの妻と泊(とま)るや宵の春

はじめてのお泊まり。
春の宵なほをとめなる妻と居り

妻は処女。すくなくとも夫はそう信じている。まだ、手は出していない。宵ですもの。
枕辺の春の灯は妻が消しぬ

妻主導型。
をみなとはかかるものかも春の闇

夫は女を知らなかった。すなわち童貞。お互いに初体験完了。しかし試合は続く。

薔薇匂ふはじめての夜のしらみつつ

何戦かののち、ついに朝が。

妻の額に春の曙はやかりき

日が昇る。妻の額にはうっすらと光り輝く汗が。
うららかな朝の焼麵麭(トースト)はづかしく
改めてテーブルを挟んで向かい合うとなんだか、ハズカチー!

湯あがりの素顔(すがほ)したしも春の昼
朝食後に再戦か。昼の湯上り。すっぴん。
永き日や相触れし手は触れしまま
一日中イチャイチャベタベタ。
うしなひしものをおもへり花ぐもり
喪失。



以上、読んだ。それでは身も蓋もないので、少しばかり余計なことを申し上げたい。

まず「薔薇」について。俳句をなさっている方は違和感がないだろうか。「宵の春」「春の宵」「春の灯」「春の闇」「薔薇」「春の曙」「うららか」「春の昼」「永き日」「花ぐもり」。試みに電子辞書に収録されている「ホトトギス俳句季題便覧」で調べてみると、「春の闇」「春の昼」はヒットしなかったものの、「宵の春」「春の宵」「春の灯」「春の曙」「うららか」「春の昼」「永き日」「花ぐもり」は「春四月」のものである。対して「薔薇」は「夏五月」のものである。一つだけ季節が違う。初体験の甘い雰囲気に薔薇は、いかにもイメージしやすい花ではあるものの、10句中7句を「春四月」としておきながら、ここで「夏五月」の季題を連作中に使用することに私はどうしても違和感を覚える。復本一郎氏は「完全なフィクション」と『現代俳句ハンドブック』に記しているが、この薔薇に部分的なノンフィクションを感じてしまうのである。草城は自ら述べるように確かに新婚旅行には行っていないだろう。つまりミヤコホテルで新婚初夜を迎えてはいない。しかしこの薔薇の一景は草城と妻の新婚初夜に実際に部屋内にあったのではないだろうか。その事実が「ミヤコ ホテル」というフィクションの中に組み込まれた。それゆえ「春四月」の設定のなかで、ぽかりと浮くような「薔薇」が登場したのではなかろうか。あくまでも想像の域を出ない。しかしそんなことを考えてしまうほど、「薔薇」が浮いているのである。

次に童貞について。「をみなとはかかるものかも」という感想は自分も初体験、つまり童貞であったことを物語る。少なくとも明治以降、「結婚には処女を」という制約とでも呼ぶべき慣習があった。それが2句目の「春の宵なほをとめなる妻と居り」に反映されている。個人的な感想だが、この句は「妻は処女なの、まだ処女なの」という説明がましいところがあって、なんだか鼻につく。特に「なほ」に対しては「で?」と言いたくなる。やっかみではない。妻が処女ということを2句目に述べて、なぜ4句目で「自分もはじめて」ということをアピールするのか。たとえば東北などの一部の農村・漁村部では「よばい」という慣習があった。夜、女性宅に忍び込んで、ことに及ぶというものである。かなり自由な恋愛活動が行われていた。私もしたい。いや、なんでもない。よばいの慣習があったところでは、処女は妻帯者など性経験のある男性によって野外で破瓜が行われた。対して童貞は下足番として「先輩」のよばいに付き従い、土間より先に上がらせてもらうこともなく、その方法を覚えさせられた。また当時は、家族全員が同じ部屋に寝ていたことから、両親の夜の行動を見つつ聞きつつして、覚えたという場合もあった。そのような自由な恋愛空間にありながら、結婚まで処女を守り通したという例もあったようである。この関係において処女は重要視されるが、童貞は竿の先にもかけられない。しかし、童貞が美徳であった時代があるのだ。ここでは、渋谷知美氏の研究を参照させていただきたい。渋谷氏は日本における「童貞」の言説について、詳細な分析を行っている。そのなかにおいて、1920年代の大学生、予科生やそのイデオローグたる知識人の多くが「童貞は新妻に捧げる贈り物」という童貞=美徳論の立場をとっていたという。この研究の基礎となる調査は同志社大学予科、京都府立医科大学予科、京都帝国大学夏期講座、京都帝国大学社会科学研究所、東京帝国大学にて1922~1926年に行われたものである。1924年京都帝国大学を卒業している草城はまさにこの範疇にある。ゆえに草城の認識としては「童貞は新妻に捧げて当然」であっただろう。それがこの4句目「をみなとは」に反映している。ここで注意が必要なのはあくまでも「1920年代の大学生、予科生やそのイデオローグたる知識人の多く」のことであり、社会一般がそうであった訳ではない。たとえばやや時代は下るが、「ミヤコ ホテル」発表の前年、昭和8年1月20日に、東京・四谷の番頭が結婚式場から行方をくらました。理由は「童貞だから恥ずかしい」とのこと。数日後、実兄の説得により無事に式を挙げるという事件があった。また、同年2月28日には熱海のホテルにて新婚初夜を迎えた23歳の新妻が、性的なことを知らずに31歳の夫の行為にショックを受け、失踪。3月4日無事解決ということもあった。こちらは当時の「新妻は処女」という認識を象徴するかのような事件である。以上のように、「1920年代の大学生、予科生やそのイデオローグたる知識人の多く」に属していた草城には「童貞=美徳」「童貞は新妻に捧げるもの」という認識があり、それが自らの童貞を主張する「をとめとは」の句に反映したものと考えられる。これは、草城がインテリ層と呼べる上記の範疇に入っていなければ、「をみなとは」の句は生まれなかったとも言えるかもしれない。
このコードで読んだ場合、10句目の「うしなひしもの」は妻の処女というよりも、自身の童貞のことではなかろうか。そういった感想も持った。

ここでは「ミヤコ・ホテル」論争に言及しない。あくまでも「ミヤコ ホテル」という作品を鑑賞して、思ったことを記した。さらなる考察や、草城におけるエロティシズムの意義については別稿とさせていただきたい。

余談ではあるが、都ホテルの隣のホテルに女性と泊まったことがある。何もなかった。都ホテルに泊まっていれば、何かあったかもしれない。惜しいことをした。

【参考文献】
生出泰一『実話 みちのく よばい物語』(改訂版) 昭和57年 河童仙
齋藤愼爾・坪内稔典・夏石番矢・復本一郎編『現代俳句ハンドブック』 平成7年 雄山閣出版
日野草城『日野草城句集』 平成13年 角川書店
渋谷知美『日本の童貞』 平成15年 文藝春秋
下川耿史編『性風俗史年表 大正・昭和[戦前]編』 平成21年 河出書房新社


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