2012-08-05

牛の歳時記 第10回 牛冷す 鈴木牛後

不定期連載】 牛の歳時記 第10回 牛冷す 鈴木牛後 夏は牧草収穫など本業が忙しく、なかなか文章が書けない。加えて、少しは暇があっても、俳句集団【itak】 や結社誌の原稿書きなどもあって、こちらのことなど危うく忘れてしまうところだった。 でも、この最近の猛暑。北海道で猛暑といっても、本州以南の方には鼻で笑われるかもしれないが、それでも、札幌では7月末は6日連続の真夏日だったらしい。当地はそれほどではないにしても、それでもこの6日の間に28度以上の日が4日。猛暑と呼ぶのに十分な暑さだった。 そんなとき思い出したのが「牛冷す」という季語。どこかで例句を見たというわけではないのだが、ふと頭に浮かんだ。夏真っ盛りを表現するこの季語。今、ここに書かなくてどうするのかという感じだ。 加えて、直接に牛を題材にしている、ほぼ唯一と言っていい季語である(他に牛角力が辛うじて歳時記に載っているが)。「牛の歳時記」では、最重要季語と言ってもいいかもしれない。うかうかと見過ごすわけにはいかないではないか。 草原に日と月とあり牛冷す  錫樹智

牛冷す(牛馬冷す) 夏になると農耕用の牛馬を夕暮れ時の川や湖沼に連れて行き、身体に水をかけ藁で丹念に洗ったものである。(中略)昨今、農耕用の牛馬を飼うことはなくなった。そのためこの光景も見られなくなってしまった。(角川俳句大歳時記)
掲句は、「俳句マガジンいつき組」(当時の名称)の雑詠欄で数年前に「天」を取った句だ。正直この句を見て、「牛のことをよく知らないで空想で作った句なんじゃないか」と少し苦々しく思ったことを覚えている。実際空想なのだろうが、今ではこの句は私の愛唱句となっている。句の持つ雰囲気が抜群にいいのだ。 「草原」とは北海道の牧野かもしれないが、おそらくはアフリカあたりの草原のことではないかと思う。沈み掛けている太陽と、上がったばかりの月と、ほんの少し涼しさを感じる草原。それに、背が高く弓矢を持ったアフリカの牧夫。この組み合わせは最強だ。 でも実際は、今の日本から見ればこの句は極めてファンタジックに感じる。でもそれでいいのだと思う。「牛冷す」というような古い季語をファンタジーとして楽しむ、それも俳句の楽しみ方のひとつなのだから。 さて、歳時記の解説にもある通り、今では「牛冷す」という光景は稀だ。数十頭も飼っている牛を川や湖沼に連れて行くことはできない。現在の暑熱対策は、牛舎ごと冷すというものである。大型の換気扇を取り付けたり、屋根に散水したりしている。牛舎内に細かい霧を発生させるという装置もあるらしい。季語にするとすれば「牛舎冷す」だが、もはや「牛冷す」の時代のように牛を飼うことはどこでも見られる風景ではない。歳時記に載ることは決してないだろう。 時代が変わったと言えばそれまでだが、牛を引いて川へ行き、牛とともに水浴びをする光景にほのかな憧れを抱きながら、私は今日も換気扇の音が響く牛舎で働いている。 生家にいまだ牛冷すほどの水  牛後

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