2012-08-26

朝の爽波 30 小川春休


小川春休






30


私自身、闇汁という催しに参加したことがなく、思い浮かぶのはオバケのQ太郎が「固いなぁ」とか言いながら下駄か何かを食べている絵ぐらい。今回、闇汁の句を二句鑑賞しましたが、これらの句の制作時点で既に、闇汁という催しは廃れつつあるものだったようですね。爽波自身は次のように述べています。
  闇汁に甚だ齢を距てけり

 昔は冬ともなると必ず闇汁句会をやったものだ。この頃は闇汁の句にもとんとお目にかからないし、そんな誘いも受けたことがない。
 本来、闇汁などというものは男たちの集いであったわけだ。そして食物にもこんなヴァラエティのある今日のような時代には全くそぐわない存在なのかも知れない。
 昔は食物と言ってもずっと限られていたし、第一、俳句会などというものは男たちばかりの集まりで、もっと粗野で骨っぽいものであったのだ。だから毎年闇汁の句を一句でも作ることによって、己が魂に焼き(原文では「焼き」に傍点)を入れることも必要なのだと思う。…
(波多野爽波「『湯呑』自句自解)
さて、今回は第二句集『湯呑』の第Ⅳ章(昭和52年から54年)から。今回鑑賞した句は53年の冬から54年の年頭にかけての句。期間が短いこともありますが、年譜上特に記述が見当たりません。「青」25周年記念大会を10月に終え、ほっとして過ごした年末年始だったのではないでしょうか。

水涸れて木に宿り木の高さかな  『湯呑』(以下同)

冬に入ると水量が減って水は涸れ、木も多くは葉を落とす。そんな木の枝に、養分や水分を吸い取って青々と丸々と育っている宿り木。中七下五は、「木に宿り木」と「宿り木の高さ」の二つの要素が屈折を孕んだまま一つに繋がった、密度の高い独特の表現だ。

掛乞に椋鳥群れとぶは賀茂あたり

年の瀬も押し迫った頃、売掛金の回収のため取引先を回るのが掛乞。掲句では、京都中の取引先を売掛金回収に回る途上だろうか。ふと目をやると、椋鳥の群れが飛んでゆく、あれは賀茂辺りか、という感慨も束の間、次の取引先へと向かわなくてはならない。

大文字は好きな山なり草つらら

盆の送り火で有名な京都市東方の如意ケ岳、大文字山。『湯呑』には〈雪兎作つて溶けて如意ケ嶽〉も収録されており、爽波にとって愛着のある山だったようだ。掲句は遠景ではなく、実際に冬の大文字山を散策した際に目にした草の葉先の小さな氷柱であろう。

闇汁に甚だ齢を距てけり

灯を消した室内で、各々持ち寄った物を伏せたまま鍋に入れ煮て食べる闇鍋。廃れつつある風習で、私自身も食したことはない。「齢を距て」とは、若者と闇鍋を共にしたのだろう。その場に寄り集まったいろんな世代の人々が、一つの闇鍋を囲む。また楽しからずや。

闇汁の狭き厠に身を容るる

闇鍋はどこかちゃんとした会場を借りるようなものではなく、参加者の内の誰かの自宅で催されることが多い。この「狭き厠」から、その住居の佇まいも自然と目に浮かんでくる。下五は句に動きを導入するだけでなく、「身」が狭さを具体化する働きをしている。

霙ふる刻を違へず訪ひ来しが

霙の降る中、約束の刻限通りに先方を訪ねる。それだけならただの報告で終わるところだが、句末の助詞「が」によって、急に一句は不穏な調子を帯びる。果たして何が起こったのか、何か予想外の事態としか推測できず、ただ霙の降る空の暗さだけが実感される。

炬燵より放生池の立札を

放生池とは、捕らえた魚類などを放してやるために設けられた池。そのようなものがあるのはやはり、放生会を催す寺社か。池に放された魚が健在か、気にかかるところではあるが、それを確かめるのは後のこと。まずは冷え切った身体を炬燵に寛がせることとしよう。

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