2012-09-30

朝の爽波 35 小川春休


小川春休





35




さて、今回は第三句集『骰子』の「湯呑」時代(昭和32年から54年)から。今回鑑賞した句は、昭和30年代から40年代にかけての作品だと思われます。〈牡蠣舟へ下りる僅かの闇を過ぎ〉がそのときの句かどうかは定かではありませんが、昭和41年1月に酢牡蠣による食中毒で4日間病臥しています。

船窓を内から拭く手遅夕焼   『骰子』(以下同)

日永は春の季語だが、夏には更に日は長く、夜七時を過ぎてもまだ明るいことさえある。「遅夕焼」という耳慣れない言葉からは、夏の日が長い時期の様子がありありと目に浮かんでくる。一日の就航予定を終えた客船は港に戻り、明日に備えて窓を拭かれている。

牡蠣舟へ下りる僅かの闇を過ぎ

江戸時代に大坂で盛んになり、名物となった牡蠣船も、現在ではほとんど残っていないと聞く。川岸の母屋を抜けて、牡蠣料理を供される船へと、簡素な桟橋を渡る。歩数にして十歩もあろうか、暗い夜空の下、暗い川の上を、明るい牡蠣船へと下るのである。

詩稿大きく滲むよ桃の滴りに

詩歌、この場合は俳句に関する物であろうが、書きかけの原稿をひとまず措き、しばしの休憩を取る。桃を皿から口へ運ぶわずかの間にも、桃はその汁を滴らせる。詩稿がただ滲んだのではなく、「大きく」であるところに、大らかさ、桃の瑞々しさも窺われる。

毛虫樹々に満てり散髪後の少年

一か月少々で散髪するとして、十回散髪すると一歳年を取り、六十回散髪すると小学一年生も中学生となる。一回一回の散髪もまた、小さな成長の区切り目と言えよう。殖えて木々に蠢く毛虫の湧き上がるような生命力と、少年の成長とが響き合っているような。

釣堀の四隅の水の疲れたる

池や堀に鯉や鮒を放流しておき、料金を取って釣らせる釣堀。海や川のような波もなく、釣り人もしかと椅子に腰を下ろし、ゆったり釣りを楽しむ場だ。ふと目をやると、釣り人も近寄らぬ隅の方は、水に活気がない。それを「疲れ」と見たところに飄逸味がある。

石榴裂け生涯いくつ時計もつ

拳大の球形の実が熟し、厚く硬い果皮が裂けて鮮紅色の多数の種子をあらわにする石榴。掲句では、その裂け目が時間の裂け目へとつながっているかのようだ。その裂け目からは、時計という時間とつながりの深いものが、長い生涯を凝縮して映し出している。

煙草くさき男北窓開きけり

防寒のために冬の間閉ざしていた北側の窓を開く。寒さが入り込まない代わりに、光も風も入らず空気も淀んでいた窓辺に、瞬時に春が到来する。「煙草くさき」は男についての形容だが、その男の暮らしぶりやその住まいの佇まいなど、読み手の想像を拡げてくれる。

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