2012-09-02

【週刊俳句時評70】身の詰まった同人誌の気合い 『ジャム・セッション』『第2次 未定』『面』 関悦史

【週刊俳句時評70】
身の詰まった同人誌の気合い
『ジャム・セッション』『第2次 未定』『面』


関悦史


夏バテがひどくて読み書きする気力もおよそ失せているのだが、身の詰まった同人誌が続けて届いたので、その気合いにあてられ、3冊ほど紹介する。


ジャム・セッション』創刊号(2012年8月)

「ジャム・セッション」は江里昭彦と中川智正による新しい同人誌。14ページほどの小冊子で、年2回発行。

創刊号はゲストに齋藤慎爾を迎える。

中川智正はオウム真理教の元幹部で、昨年死刑が確定(同姓同名かと思ったが本人だった)。被告の頃から短歌・俳句の実作を始めた。

江里昭彦が医大に勤務していた頃の医学生だったという。現在は既に面会不能となっており、隔靴掻痒の即興演奏というところからこの誌名がついた。


木の葉髪纏ひて己が身の葬り   齋藤愼爾

木の草の根にとどきけり吾が眠り

春眠といふ漣にをる齢

笑われつつ裸足で踏みしインドかな   中川智正

ギーギギギッ蝉食わるるか闇の奥

絶滅危惧種の白虎が見せる肉球よ

海凪いで雲おしみなく日矢降らす   江里昭彦

讃美歌や沖に呼びあう島ふたつ


齋藤慎爾は10句を発表。句集『永遠と一日』の延長上にある、象徴的な表現で、命の涯を見つめる作風だが、昂ぶったところが薄れて、より沈潜してきた様子。

中川智正の18句は獄内で見る蜘蛛、蟻、月などに心境を託した(いわば獄中俳句の定番的素材の)句もあるものの、この「インド」「白虎」のごとく、柔らかく、はにかんだような感性が素直に出た句のほうがむしろ多い。やや予想外ではあった。

江里昭彦の7句も外連味を排し、かといって常凡な写生とも異なる、光景の中に恩寵や超越的なものの臨在を見出し、それと一体化するような句が並ぶ。祈りや悼みといってもよいが、己の思念を押し出すよりも、己を虚しくして広大な光を呼び入れているようで、そこが崇高さを生む。


第2次 未定』第94号

高原耕治発行の「第2次 未定」第94号は、特集・森田雄追悼としてその100句を掲載している。

「未定」は第90号から多行形式のみに特化したが、この森田雄100句は第89号以前に書かれたものばかりなので、例外的に一行形式の句を掲載したと、編集部の断り書きがある。


死神に憑かれ菜の花畑まで   森田 雄

とりどりの鸚哥が飛んで戦へり

晩春のいま孵へりつつ箱のなか

祖母の忌の蟻まみれなる飴の玉

招き招ける手はからくりの秋扇

老いらくの母かくしもつ葱の鞭

踏み外す雲の真下の花談義

胆石と乳歯を鏤(ちりば)め初画集

傷痕はすでに笹色性行為

天軸地磁気 南無復活の微調整

思ひ出せぬ/塒/はて/明治の桑港


森田雄は昭和6年(1931)生まれ。「俳句評論」準同人を経て「未定」参加(のち退会、再参加)。昨平成23年( 2011)死去。79歳。「俳句研究」の第12回50句競作に入選という経歴。

《祖母の忌の蟻まみれなる飴の玉》の無惨美、《とりどりの鸚哥が飛んで戦へり》《胆石と乳歯を鏤(ちりば)め初画集》の綺想と豪奢、《死神に憑かれ菜の花畑まで》《招き招ける手はからくりの秋扇》の何ものかに突き動かされる肉体の怪しい律動感が、全て端正な句姿の中に納まり、呪念やルサンチマンとは明確に一線を画した充実を見せていて見事。


』第114号

高橋龍発行の「面」第114号は、山本鬼之介の誌上句集「マネキン」200句を掲載。

高橋龍の後記によると、山本鬼之介は、西東三鬼門下の実兄・山本紫黄に兄事したという。これまで句集を持たず、今回の特集でその句業が見通せるようになった。


 マネキン(昭和46年~50年)

漣や明治の父の磯あそび

山ざくら屋根師は遠き東より

土を這ふ昼の蝙蝠つつがなく

朽ちてなほ王の剣ぞ青嵐

満月に石の象やら駱駝やら


 動乱(昭和51年~60年)

櫱が樹になる頃の二人かな

人間の足跡浅し春の砂

お供物の鯛の反り身や雪解光

行く雁の頸筋潔し肘枕

春燈の影を横切るチェスの馬

木杯にのこる歯型や夜の秋

五色豆を線路に並べ秋うらら


 雪中航路(昭和61年~平成7年)

衣桁より墨染落つる菊日和

夕時雨つひに燃え出す炙り出し

いつかは終らむ貨車の入替へ雲の峰


 忠治の山(平成18年~)

君に玉露をぼくは紅茶で柏餅

三鬼が叫ぶ紫黄よく来た忠治をやれ

仕込み杖あらば絵になる野分原

婆かはゆし案山子に深くお辞儀して

銅像の人馬の絆秋しぐれ


「明治の父」や「三鬼が叫ぶ」の回想や、「君に玉露をぼくは紅茶で」「婆かはゆし」の人懐かしさをたっぷり含みつつも、それらに溺れず、かといって非情につきはなしもせず、歳月に鞣された素材の旨みをたっぷりと残す。

「土を這ふ昼の蝙蝠」「木杯にのこる歯型」の低声ながらしかと世に在るものたちの滑稽味、「人間の足跡浅し」「行く雁の頸筋潔し肘枕」の生き物たちの可憐さは、偽りのない等身大のままでの世の摂理の受容を現しているようで、みどり児の柔軟さと老人の叡智に同時に触れるような快楽をもたらしてくれる。



ウラハイ 【俳誌拝読】『面』(第114号/2012年8月1日)

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