2012-10-07

俳句の自然 子規への遡行07 橋下直

俳句の自然 子規への遡行07


橋本 直           
初出『若竹』2011年8月号
(一部改変がある)
≫承前 01 02 03 04 05 06


前回、明治二〇年代において「自然」という語のもった問題を取り上げた。では子規は、どのように「自然」を使っていたのであろう。たとえば、
〈暖國ハ自然に調子長く(中略)寒國は自然に調子短く〉(明治二一年筆。「言語と人気、気候」講談社版『子規全集』第十巻・初期随筆「筆まか勢 第一編」)
これは、アクセントの長短の理由を論じた短文であるが、「自然」は文字通り「あるがまま」の意味で用いられており、今見てもなんら特別違和感はないだろう。

注目したいのは、明治二三年一〇月に着手された「評語集録」(同『子規全集』二一巻所収)である。「詩文評・絵画評・人物評」の三部に分けて漢語の評語を字数ごとに収集分類したもので、一字から二一字(絵画評は一六字)まで多くの語を集めている。

「詩文評」はどこから集めてきたものかはっきりしないが、二字のところに、晩唐の詩人司空図(し・くうと 837-908)の作とされる詩論「二十四詩品」の評語が引用されており、この中に「自然」がある。その前の分類中にも「縦横」と「恠譎」の間、「婉切」の下端に「自然」が分類されており、その他に三字には「極自然」、五字には「極巧極自然」、八字には「不走平淺、却近自然」(四字に「天然俊麗」がある)という具合である。ここで使われる「自然」は、近世以前からある「あるがまま」の意味だと思われるが、それを文学作品の評語として何らかの価値評価をするために使う、という積極性をもたせようとしているのである。

子規がなぜこのような分類収集をしたのかについて直接の動機は書き残していない。当面の批評の興味の対象であった三種について使えそうな言葉をとにかく集めたものか。それにしても、これまで見てきた俳句や漢詩と同様に、松山藩の藩儒であった祖父大原観山の薫陶をうけた彼にとって、比較的親和性の高い漢籍の教養をもって批評に対応する準備を進めていることには注目していいだろう。使いこなす自信があったのだろうと思う。

このころの子規は、まだ洋学を充分応用できているとはいいがたいが、すでに試みは行っている。明治二〇年代前半の子規は、後の旺盛な執筆活動への準備期間であったと言っても良いだろう。例えば、明治二二年に執筆された「詩歌の起源及び変遷」(初出、常磐会回覧雑誌「真砂集」。同前『子規全集』第九巻所収)。

ここで子規の言う「詩歌」とは、「詩歌俳諧の類を総称して云ふ」もので、その中には狂歌や都々逸まで含めるという広いものである。文字をもつ前の口誦から詩歌がはじまったとする子規の考えにはじまり、古い言い方をするならば、本朝、唐土に天竺ならぬ西欧の詩歌の様々を引用しつつ、いわゆる「新体詩」批判など、様々な話題を展開する。そこにはスペンサーの美学による「心力省減説(エコノミー・オブ・メンタル・エナージー)」や「錯列法(パーミュテーション)の定式」の引用もなされるが、論の補強の為に引用してはあるはずなのに、実際のところ論旨の展開上なくても良いものであり、子規はうまく使いこなせていない。あるいは、それほど重きをおいているように見えない。論理的実証というよりも、言いたいことを書き連ねた随想とでも言った方が良いものである。

ところが、その三年後に執筆された「我邦に短編韻文の起りし所以を論ず」(初出「早稲田文学」第二六号。同前『子規全集』第十四巻所収)は、内輪の雑誌に載せたのものと、公の場で読まれるものとの違いと言うこともあるだろうが、同様のモチーフをもちながらずいぶん進歩している。前号で触れた問題に関連するが、子規は明快に創作における人間と自然の二項対立を意識している。文中で日本の韻文が短編なのは、叙景を主としてきたためであるとした上で、

〈偏に山光水色若しくは花木竹草の如き幾多の長時間に微妙の変動を成就する客観的の万象が直接に吾人の心理に生じたる表象を取りて、これに極めて僅少の理想を加へ以て一首の韻文を構造するに過ぎざりしを以てなり〉
と述べている。「僅少の理想」とは、前号で述べた人間の想念(イデー)に相違なく、「叙事文」の言葉で言えば「多少の取捨選択」である。つまり、子規は先の文とこの文を執筆した間の三年に人間内部の知的作業とその外にある世界を分けて論じる思想を身につけている。さらに、この文中には「天然」に対して「ネーチュア」とわざわざルビが振られてもいるのである。子規が前回触れた巌本と森の論争を踏まえてこれを書いた、という明確な証拠はいまのところないが、同論争か、同様の文脈を知り得ていたと思われる。

さて、この文章では nature を「天然」であらわした子規だが、翌年同じ「早稲田文学」(第三一号)に書いた「文学雑談」では、冒頭から「天下の事物を分ちて二とす自然と人事是なり。自然は人工を用ひずして生成存在する事物を謂ひ、人事とは人間の作用を以て作為し思考する事物を謂ふ。」と書き出している。つまり「天然」ではなく「自然」を nature の訳語としている。そして、はっきりと自然と人事の二項対立を前提に論をおこしてもいる。このころの子規は、日本的詩歌のイデーを考えているのである。それを、日本文学の独自性の模索と呼んでも、おそらく差し支えはないだろう。


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