2012-10-28

林田紀音夫全句集拾読 237 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
237

野口 裕





紐を編む雪が声なく降る夜の

昭和六十年、未発表句。昭和五十九年「花曜」の、「毛糸編む昼から夜へ影移り」、および昭和六十年の、「毛糸編む怺えて遠い日のために」の関連句か。発表された両句よりは良い。

しかし、編むのは毛糸で、紐は組むか結ぶものだ、というようないちゃもんを句会あたりではつけられるかも。紀音夫は存外そんな反応に弱いのではないかと、想像をたくましくしてしまう。


帆走の軋みを夜に持ち帰る

昭和六十年、未発表句。同年の後半に、「帆走の揺れに似てポプラ近くなる」がある。また、昭和五十九年、未発表句には「帆船の揺れをとどめて日々はあり」。

発表句では、昭和五十八年「海程」に、「帆船の揺れかはかなく昼を寝て」。昭和六十年「海程」に、「帆船の軋みを胸の晩節か」。昭和六十一年「海程」に「帆船の軋みを胸に夜を迎える」。

帆走という言葉が目新しく映り立ち止まったが、帆船をテーマに何回となく試作を繰り返していたようだ。帆走にすると、海上で得た疾走感を夜に反芻するような充実感を秘めた句とも取れ、そう読めてしまうのが気に入らなかったための未発表だろう。


注射器に液体の春もう近く

昭和六十年、未発表句。病を得た人には、注射器は近しい存在になる。健康な人なら、針の痛みに連想が行くだろうが、慣れてしまうとそうでもない。その中の液体が命の補助をしてくれるとなると、ますますそう感じるだろう。

だが、「注射器に液体」とある措辞だけで、当たり前と判断してしまう人も出てきて不思議ではない。トリビアリズムとも言われそうだ。

点滴よりも地味だけに、句数は少ない。日常茶飯事となった場面でふと起こった感興と見えるところがこの句の魅力。「もう」に込められた即興性がそう思わせる。



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