2012-12-09

【落選展2012を読む】 落選展よ水戸橋よ(其の二)  島田牙城

落選展2012を読む
落選展よ水戸橋よ(其の二) 

島田牙城



水戸橋なんて安易な名だし、小菅の橋以外にもあるだらうと調べたのだけれど、どうも水戸市周辺にもなささうだつた。

ありさうなところに無いといふのも、俳句作りに通じるのではないか。

今さう言ふ人がまだゐるかどうかは知らぬが、そのかみ、俳句を「ひねる」と言つてゐた時代があるらしい。僕の回りにもさのやうに言ふ人はゐなかつたけれど、吉田拓郎は「旅の宿」といふ歌でたしかに

「ああ風流だなんてひとつ俳句でもひねつて」

と歌つてゐた。

で、これ、結構当たつてゐると思つてゐる。

ありさうなところにありさうなものを置いたところで、俳句は成就しない。少しひねつて、ありさうもないところに水戸橋を作るから俳句なんだよ。うん、やはりこのタイトルは嵌つてゐるのだといふ、自画自賛である。

では続ける。



春暁やパートタイマーこゑ甘く  小早川忠義
レシートや要るも要らぬも卒業生  同


≫読む ≫テキスト

やはり五十句といふ長丁場を読ませようとすると、はじめの五句はすごく大切だと思ふ。駄目な出だしだと、一句で見限る選者はゐないだらうけれど、三句で見捨てにかかる人はゐるし、五句で確実に引導を渡されることになる。極端な話、残りの四十五句がどんなに素晴らしからうとだ。

「つかみ」といふ業界用語があるらしいが、「旗日」一連はこの二句で「つかみ」には成功したのではなからうか。

〈春暁→甘く〉は緩いけれど、朝・昼・暮・夜のどれでもなく暁であることの「危険」を感じて、僕など、背徳の香りを嗅ぐ。そして舞台設定がパートのをばさんの働く場であることが示される。

〈レシートや〉は意表を衝く。まさか天下の切字「や」に「レシート」はなからうといふ読者の隙に捩じ込んでくる。

〈要るも要らぬも卒業生〉といふのも、卒業したての若者の「浮かれ」を一気呵成にこちらへ届けてくれる表現だ。

これにて、舞台設定は完璧。春暁にをばさんが働いてゐてレシートを出す学生の立ち寄る場、それはコンビニ。

さうか、となると、をばさんではないかも知れぬ。若いおねえちやんかも知れぬ。でも、四十路のをばさんあたりのはうが、背徳感はあるか。

そして五句目に〈花守やいらつしやいませこんにちは〉があり、四十八句目に〈流し来ぬいらつしやいませこんばんは〉がある。

この二句はまつたくもつてゆるゆるではあるが、なんとなくコンビニで徹底させたいんだよといふ作者の思ひは伝はる(「流し」といふ季語を久々に見た。このコンビニのある街の風情をこの季語一つが十全に伝へてくれてゐる)。

それなのに、残念ながら〈朝寝して互ひに旗日生まれなり〉とか、これはコンビニ俳句ではないよね、といふのが混ざる。摑んだ客を逃がしてしまつた五十句といふべきか。

うららかや捨てねばならぬお弁当〉〈半ズボン姿の男立ち読みす〉など納得の句もあるので、惜しいなあ。



大柄な向日葵の種蒔きにけり  ハードエッジ
空蟬を水にながしてやりにけり  同
ソーダ水深きところを吸はれけり  同
のし餅ののされぐあひを押してみる  同


≫読む ≫テキスト

これからの人なのだらうけれど、上の四句などはさりげない慈しみの目線が感じられて好感が持てる。



その男ぶらんこに鳩あつめたる  嵯峨根鈴子
嘘もすこしまじれるさくら吹雪かな  同


≫読む ≫テキスト

のやうな句には物語が詰まつてゐて、ふはりふはりとその世界に入つてゆけさうなのだけれど、いざ入らうとすると、作者に「入らないで、私の物語よ」と拒まれるのではないかといふ危ふさがある。

反面、

葉桜や小さく明り取りの窓  嵯峨根鈴子
触れて消す電気スタンド青葉木菟  同


が抱卵してゐる物語は、作者を離れて自由に読者が孵してやることができる。

いろいろなポケットを持つ俳人といふことだらう。



マフラーの中で少しく唄ひたる  神山朝衣

≫読む ≫テキスト

幸せに俳句と出会ひ、幸せに俳句を作つてをられる人なのだらう。その気息がこちらに伝はつてくるのだから、こちらも幸せになれる。掲句はそんな中でも類句の少なさうな幸せな句。

秋の蠅の死中国の壷の中  神山朝衣

を自身の中でどう処理してをられるのだらう。他の句と相当違ふ句の姿なのだが。そして僕はこちらの方にこそ未来が開けてゐるのではないかと思ふ。

〈マフラー〉の句は俳句が貴女を救ふ。〈秋の蠅〉の句の方向性といふのは、貴女が〈俳句〉を幸せにする。



胎にゐて止まぬ吹雪を聴いてをり  中塚健太

≫読む ≫テキスト

胎児に聞かせてゐる俳句といふのは五万とあるのだらうが、胎児が聞いてゐる俳句といふのはどうなのだらう。胎児が蹴つたりはするけれど。

周囲に子供俳句があるわけでもなく、とすると、胎児となつたのは作者自身か。



サンドバックの奥に窓その奥に月  谷口鳥子

≫読む ≫テキスト

作者の性別といふのは、その句を読むときにどれほど大切な情報なのだらうか。

とりあへずこの作者名を「とりこ」と読み、女性であらうといふ先入見を持つて読み始めた。先づ十句ボクシングジム俳句が続く。荒いが強烈だ。続いて鉄工所での労働句が続く。どの句も「語つてしまつてゐる弱さ」はあるけれど、内容に気圧される。

そこから少し、恋も混ざる日常詠が続く。日常と言つても、ウェブで株価を見たり、パチスロへ行つたり同棲相手の舌の動きを詠んだりと、生々しい。そして介護俳句を続け、〈夏星の配線だけをつなぎ去る〉で締めくくる。

この人は別に社会性俳句を書かうとしてゐるわけではない。ありのままの今を書いてゐるにすぎない。その意味で、幸せなありのままの今を書く神山朝衣とおなじスタンスなのだ。「今」の中身が百八十度違ふだけ。

この五十句は、力技でしょう。

今現在の俳句界に突き出して、議論させるべき句群でしょう。

三カ所関西弁が出て来る。焼酒(ソジュ)は朝鮮か。古酒(クース)は泡盛、沖縄だ。そのへんから察するに、関西でも大阪か。

ちぎれ栄螺ほじくり引き出すまで見つむ  谷口鳥子
革軍手灼けるレンチに変色し  同
古酒(クース)の夜はじめのメールだけ消して  同
髪六日洗えずと祖母待ちいたる  同


今、これだけ力の漲つた言葉を使へる新しい俳人が他にゐるだらうか。

今の僕には、鳥子が男であらうが女であらうが、どちらでもよくなつてゐる。

〈とりこ〉さんならどろどろの恋に落ちるも良し、

〈てうし〉さんならとつ組み合ひの喧嘩でもしながら酒を呑みたいな、何処で? つてねぇ、水戸橋のたもとで、といふのはどうね……。

(つづく)

0 コメント: