2013-01-13

朝の爽波50 小川春休



小川春休





50



さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十七年」から。今回鑑賞した句は、昭和57年の秋から冬にかけての句。昭和57年10月から毎週担当していたNHKの講座を半減させ、月二回としています。結構たいへんだったんでしょうね…。「青」は12月号から発行所を神戸市須磨区へ移しています。

机寄せ白布で覆ひ秋の瀧  『骰子』(以下同)

水量も多く、見る者に涼を感じさせることから滝は夏季とされる。しかし、実際に滝を訪れる者の数で言えば、山の行楽シーズンたる秋の方が多いかも知れない。そんな行楽客のためか、茶店の外に臨時の席が設けられている。机に被せた白布がいかにも爽やかに映る。

柿吊し終り井水があたたかく

渋柿の皮を剥いて、縄に吊して干す。手仕事に汚れた手を、庭の井戸の水で洗う。井戸水の水温は気温よりも地温の影響を受けるため水温は年間ほぼ一定、夏には冷たく感じ、寒くなる時期には相対的に温かく感じる。端的な描写から暮らしぶりの見えてくる句だ。

墓守と共に高きへ登りけり

登高とは元々中国から伝わった重陽の行事の一つだが、今では単に秋に高い所に登ることを指す場合が多い。墓守と共に登るのは、やはり守るべき墓のある山であろう。麓の人々の生活を見守り、死すればそこに葬られる、穏やかな佇まいの山の姿を思い浮かべる。

手で煙払ひて入るや梅もどき

秋になると赤や朱色の実が色づく梅擬。観賞用に庭園にもよく植えられ、葉が落ちた後も鮮やかな実が長く枝に残る。室内から漏れ出るこの煙は、吸い込むことを厭うて手で払っていることから、煙草などの煙であろうか。どこかたおやかさを感じさせる手ぶりだ。

ここと坐りて焼藷を食べはじむ

冬の日に売り歩く石焼藷。冷たい風の中で熱々の焼藷が買えるのは嬉しいものだ。「ここに」ではなく「ここと」である点に注意して読めば、気に入りの場所に辿り着いて「焼藷を食べるのはここでなくては」という強い決意のもとに食べ始める様子が見えてくる。

掛けてある籠を覗けば泥落穂

高い所に掛けられ、中の見えない籠。中身は何かと近づいて覗いてみれば、詰められていたのは泥まみれの落葉。どこかにまとめて捨てる気か、それとも何か使いでがあるのだろうか。多くの人の見落としそうなポイントを句に仕立てる自在さ、瞬発力が窺われる。

水涸れて疎んぜられてゐたりけり

冬になると降水量も少なくなり、沼や川の底が見えたり、滝も細くなり、ついには止まることもある。疎んぜられているのは誰だろう。歯に衣着せぬ真摯な発言で、敵視されることも多かった爽波その人のことではなかろうか。そう思うと、切なさの増す句だ。

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