2013-01-27

朝の爽波52 小川春休



小川春休





52



私は「童子」の辻桃子主宰から、いかに爽波が不遇の作家であったかという話を前々からよく聞かされていたので、昨今の爽波再評価の兆しを感じるにつけ、嬉しいんですが同時に何か不思議なような、そんなちょっと複雑な気持ちがしています。爽波さんはあの世で、どんな感想を持つでしょうか。もしかするとこんなことを思っているのではないかなぁ、と私がふと思い出した対談の一節を御紹介しましょう。
波多野 ぼくは自分のことを例に出して物言いするのは嫌いなんですけども、若い人が今度の『骰子』という句集を評価してくれているということは、一面、危険性もあると思うんです。若い人が早い時期に、まだ技が練れていないのに、季語の使い方もまだもうひとつなのに、いわゆる面白い俳句のほうに突っ走っちゃったら、大変な結果になると思ってね。
茨木(和生) 浮いてしまうか空中分解してしまう。
波多野 ええ。若い人から評価を受けるのはうれしいけれども、今度もしそういう人たちに会う機会でもあれば、決してあんな句はあなた方は作らないで、あれは爽波だけの領分だと思ってやってくれとね。
茨木 だけど、その若い作家たちは、俳句スポーツ説を下敷きに置きながら認めているんじゃないでしょうか。だからその世界に至り着きたいと熱い思いをもって見ている作家が爽波作品を大きく評価して、それを吸収しようとしているのだと思うんですが。
波多野 ただ、技が伴わないことには駄目なんですわ。
茨木 それはもう当然ですが……。
波多野 それから、さっきの人に帰する問題という中に、生来その人が生まれながらに持っているもの――それは赤ん坊のときからという意味じゃなくて、要するに、二十代ぐらいまでの間に俳句の上での人格は形成されるんだということを言う人もいるし、ぼくもそうだと思います。そういうものがある人はいいんだけれども、誰も若いときから俳句専門じゃないからね。いろいろ人生の荒波にもまれながらの俳句作りでしょう。
 そういう中からだんだん、人としての広さとか深さを――精神論を聞いてそうなるというじゃなくて、努力して技を磨いて、その上で誹とか諧とかいうところを目指すというのなら、まだしもだけど、面白い句、面白い句ということで若い人がストレートに突っ走るとすれば、ほんの何人かの例外を除いては、余りいいことではないんじゃないか、と思いますね。誹とか諧とか、決して狙って成し得るものじゃないんだから。
(波多野爽波・茨木和生対談「季語の力」・「俳句」昭和六十一年九月号発表)
さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十八年」から。今回鑑賞した句は、昭和58年の春から初夏にかけての句。6月一杯で藤沢薬品工業の監査役を辞して退社、俳句オンリーの生活に入る、と年譜にありますが、そうしたゆったりとした心持ちが表れたのが〈鉄線花家居に黒き足袋を履き〉ではないかなどと想像させます。

亥の年の淡雪ふるに居を正し  『骰子』(以下同)

「還暦を経て」と前書。爽波は大正十二年、癸亥(みずのとい)の生まれ。昭和五十八年が還暦に当たる。爽波生誕の日も淡雪が降っていたか。若くして両親を亡くした爽波の胸に、どのような想いが去来したか。居住まいを正したその姿勢から、推し量るばかり。

淡雪のして楓林と言ふべしや

春の雪は、冬の雪と違って解けやすく、降るそばから消えて積もることがないので淡雪ともいう。降る雪は、落ちてはすぐ解けて、楓の樹に土に潤いを与える。その楓の林の瑞々しい様を愛でての句だが、ついつい口ずさみたくなる響きの良さを持った句でもある。

青饅を食べて奇計を案じけり

さっと茹でた葱・分葱・浅葱などを、魚介類といっしょに酢味噌で和えた青饅(あおぬた)。酒でも酌みながらゆっくりと、その味覚と彩りを一口ずつ味わいたい。奇計を案じるとは少々生臭いが、これもまた青饅のおかげで、飄々とした軽妙な印象を帯びている。

こつぽりの高さや地虫出でにけり

啓蟄の頃、冬眠していた虫たちが巣穴から出てくると、春の到来を強く感じる。「こつぽり」はぽっくり下駄の別称、黒や赤の漆の塗りの艶やかさと土の対比もさることながら、殊更に高く感じるのは、履いている少女がまだ幼く、小さいからではないだろうか。

花満ちて餡がころりと抜け落ちぬ

桜が咲き揃う頃には、浮き立つような明るさが世を満たす。「ころりと」から伝わるのは、饅頭の内側に少しの欠片も残さずに抜け落ちた、纏まり良く丸くつやつやとした餡の質感。そして餡の抜けた後の饅頭の空洞が、あっけらかんとした空虚さを漂わせる。

目が笑ひゐるこでまりの花越しに

四月末ごろから白色五弁の小花を手毬状につける小手毬。春から夏へ向かう時期の、明るい日差しを思わせる花だ。「目が」と特定するのは、頬や口元は小手毬の花の連なりに隠れて、目だけが隙間から覗いていたから。小手毬の明るさ、ボリューム感が印象的。

鉄線花家居に黒き足袋を履き

五、六月頃、中心に暗紫色の蕊が密集する花を開く鉄線。その蔓の強靭さから鉄線の名を持つ。儀礼的な場で用いられ、畏まった印象の白足袋と異なり、黒足袋(それも繻子などではなく木綿であろう)はいかにも寛いだ印象。爽波の家庭での姿の浮かんでくる句だ。

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