成分表55 トマトジュース
上田信治
「里」2010年11月号より転載
小瓶のトマトジュースをたくさん買い置いてあったが、いつの間にか肌寒くなってしまったので、朝、ボウルに移してスープ代わりに飲んでいる。
電子レンジに二分ほどかけると、上のほうは熱いが、下のほうはぬるいと冷たいの中間、という状態になる。ボウルを傾けて啜ると、口に、はじめ温かいものが、遅れて冷たいものが滑りこんできて、口の中で入りまじる。
これが、とてもおいしい。
トマトジュースの温度によって変わる二通りの味を、同時に味わうことがめずらしく、さらに、粘度と重さをともなった冷たいものが、熱いものの「下から」「やや速く」すべり込んでくるという、流体力学的経験とでもいうか、その頭の混乱をともなう複雑な感覚が「おいしい」のだ。
鐵橋に水ゆたかなる冬日和 飯田蛇笏
この句においては、「鐵橋」の語が示す高さをともなった空間と、ゆたかな水量が、すき間なく密着しせめぎ合っている。
「冬日和」は、空気のその全量と光線と温度をもって、いわば宇宙的な高さから水面を抑えつけているが「水」の凍えるような冷たさは不変である。
「鐵橋」を定点とする力感あふれる接触面の運動がそこにあり、さらにかすかな危機感がある。見かけの単純さを裏切る、情報量の多さと複雑性にはめまいを感じるほどだ。
高低がつくる二層構造といえば、スペインの三つ星レストラン「エル・ブジ」の名声を高めた、グリーンピースのスープがある。というか、温めたトマトジュースから、蛇笏の句と「エル・ブジ」を同時に思い出した。
それは実験器具を思わせる細長い器に入ってきて、一息に飲むように指示される。上が熱く下が冷たく、最後にミントの香りが残るのだそうだ。
そのバカバカしいような煩雑な手続きに意味があるとされるのは、ガストロノミーの世界では、複雑であることが決定的に重要だからだ。
それは「産地でとれたてを食べるのが最高」といった素朴さから遠く離れて、料理を芸術とみなす場所に成立する価値感であり、対象への審美的態度によって生まれる基準である。
そして、もともと、人の感興と複雑性には切り離せない関係がある。
俳句が、もっとも簡素な表現によって、おどろくべき複雑性を実現することは、蛇笏の句に見られるとおりだ。
しかし、「エル・ブジ」のグリーンピースのスープの複雑性は、文化的記憶の総体から導きうるもっとも遠いところを通過する軌道を描き、生物としての人間、身体としての人間が感じる「おいしさ」という出発点に、急速に帰還するのだろう。
だとすれば。
そこにある言葉と認識のアマルガムを帰納的に分解しそれを再統合(あるいは縫合)し、見たこともないようなしかし結局はこの現実を生きることへ帰還するような、そういう言葉を生むことが、俳句には可能なのではないか。そういうことを夢想するのです。
日凍てて空にかゝるといふのみぞ 高浜虚子
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