2013-01-13

空蝉の部屋 飯島晴子を読む〔 8 〕小林苑を

空蝉の部屋 飯島晴子を読む

〔 8 〕


小林苑を


『里』2011年9月号より転載

旅客機閉ざす秋風のアラブ服が最後   『蕨手』

八月半ばを過ぎて、待っていた一冊の本が届いた。

平石和美著『畳ひかりてー飯島晴子の風景―』〔※1〕である。「幡」に三年間にわたり連載されていたということで、出版されると知って楽しみにしていたのだ。平石は晴子の作句の現場を訪ね、その土地に自身が立って句を鑑賞するという方法で晴子を語る。

冒頭に置かれているのが揚句。作句の場である羽田空港の様子からロンドンのアラブ人の話、〈空港のロビー遍路杖突きをさめ〉の句へと話は展開し、高知空港の明るさ、土佐の気風に触れるのだが、ここで平石は、晴子の「見ることを面白がる資質」に着目し、「よく歩いてよく見た、晴子の足跡を辿りたい」と章を終える。

「見る人」と、永嶋靖子も晴子をそう呼ぶ。「鷹」にあって、晴子の傍で長く句作を続けてきた永嶋の俳論的エッセイ集『秋のひかりに』には数編の晴子論がある。いずれも、俳人・晴子を最もよく知る人のひとりとして、晴子句への深い洞察と愛情が溢れている。
「晴子の句作の原動力は、何よりも日常を踏み出して歩き、よく見る(見るに傍点)ことにあった。日常性よりの離脱は、俳句に限らずあらゆる詩作のエネルギーの一つであると私は思うけれども、ともあれ、晴子の句作衝動はまず吟行へと向かうのであり、仲間との吟行の他に、毎月最低一度の一人吟行を欠かすことはなかったのである。自身ではそれを儀式とか禊ぎとか称していたし、私共はよく『飯島さん、今月はもうお祓いを済まされましたか』と尋ねたものだ」〔※2〕

見るという行為が非日常への、言い換えれば言葉の世界への一歩なのだということを、この一文から教えられた思いがした。同時に、飯島晴子という人を身近に感じることができた。

晴子の自句自解〔※3〕によれば、揚句は、(いつものように一人吟行をしたときなのであろう)、羽田空港でブラスバンドの歓送を受けてアラブ服の人がタラップを上り機内に消えたのを「見た」ということである。さらに、翌日の新聞に「クエ―トの工業大臣の帰国が報じられていた」と結ぶ。

句が作られた昭和四十年頃の羽田空港は特別な場所だった。旅行と言ったら列車という時代で、飛行機は気軽に乗るものではなかった。

まして国際線は日常的ではない。いまならふらっと海外へ出かけ、また大勢の外国人がやっても来る。街で外国人に出会うことは珍しくもなんともない。それでもアラブ服は目立つのだから、当時の国際便の旅客機、そこに立つ中東の人には相当なインパクトがある。

実は、最初、この句を到着した旅客機だと思い込んでいた。乗客がつぎつぎとタラップを降り、最後にアラブ服が降りる。すべての乗客を降ろした旅客機がその後ろで扉を閉じたのだと。そんなにすぐに扉を閉めたりはしないでしょうと言われればそうなのだが、異国に降り立ちタラップの上で冷たい風に吹かれている、戸惑うような、それでいて睥睨するような眼差しの人を思った。

晴子読本で自句自解に出会ってエッとなった。この句を読むと、私には、中東の浅黒い光る目を持った男と纏っている白服が見える。そのアラブ服は秋の澄んだ風をはらんでいる。つまり、こちらを向いていた。私の誤読は、た語句の順序に関係しているのだろうが、もうひとつ、この句が持っている雰囲気がそう読ませたのではないかと感じる。なぜなら、そうではないのだと了解してなお、その背中は振り向こうとしている。

ネット上でよく知られた『新・増殖する歳時記』に清水哲男の掲句鑑賞(2001年10月17日)がある。
作者には一瞬彼の後戻りを期待する感じがあった。そういう意識がほとんどわけもなく働いたからこそ、この句ができた。「最後」というのは、当人の意志がどうであれ、どこかに逡巡の気を含んでいるように見えるものだ。そしてひとたび扉が閉められたからには、もはや彼はその白い服のままで、この異国で寒い季節を過ごさねばならない。否応はない。かつてこの句に阿部完市が寄せたコメントに『そのひとりの人の姿は、その内側の有心を仄みせていて、確かにまた飯島晴子その人のことである』とある。
クエートの工業大臣帰国の景なのだから、このアラブ服の人は清水の鑑賞のようにこれから寒い冬を過ごすわけではない。しかし、この句を清水はそう読んだ。寒そう、という体感がもののあわれを招くからだ。

俳句は短い。僅かな文字からさまざまなものを受け取る。読む人それぞれが、新たな思いを重ねる。清水の鑑賞は、「ああ、こんなことは書きたくもないがー略―飯島さんは、みずからの『旅客機』の扉をみずからの手で『閉じ』てしまわれたのであった」で終わる。つまり、自死した晴子という心象と重ね合わせずにはいられない、このとき「後戻りを期待する感じ」は読み手である清水の側にある。これもまた、読み手に委ねられた句の世界である。

秋風というさりげない季語は、アラブ服と組み合わされて古来から詠われてきた、極めて日本的なる風となって吹く。「旅客機閉ざす」のあと、「最後」という強い言い切りまでの長い措辞を一気に読ませることで、閉じられた扉に異国にあることで深くなる寂寞が残像として見えるのだ。


〔※1〕『畳ひかりてー飯島晴子の風景―』 ふらんす堂 二〇一一年八月
〔※2〕『秋のひかりにー俳句の現場―』 紅書房 二〇〇八年一〇月
〔※3〕『飯島晴子読本』収録。「自解一〇〇句選 飯島晴子集」一九八七年再掲
 

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