2013-02-10

【週俳1月の俳句を読む】藤幹子


【週俳1月の俳句を読む】 
酔ってしまう

藤幹子



あっという間にひと月をすぎ,暦の上では春ですよ,などと俳人が言って嫌がられる二月になってしまった。すでに懐かしき正月の悦びを取り込んで気持ちを上向かせるべく,新年詠を読ませていただいた。


初晴の道にふくらむ家族かな  柏柳明子

どこへ出かけるやら家族は並んで歩いている。正月休みであまり車も通らないから,何となくはみ出しているが気にはかけない。晴れてはいてもまだ寒いから,着込んだ彼らはどこか丸いシルエットでゆっくりと歩いていく。
ふくらむ,という言葉のイメージが文字通り豊かにふくらんでいく。満ち足りる,とはこういうことなのだろう。


見渡しておほよそ赤し福袋  西原天気

近所にふらっと出かけてみれば,めでためでたの赤い色だらけ。これはきっとどこかの商店街。ファッションビルや大きなモールでは,赤い福袋の方が珍しいはずだ。当たり前の事を詠んでいるようでいて,実は消えゆく風景なのかもしれない。


乾杯のごとく羽子板重ねけり  野口る理

酔ってしまう。それは乾杯という言葉だけでなく,羽子板遊びを今にもせんとしている二人,上気した二人をとりかこむ情景が,正月の空気が,上質の酒となって漂うごとく思われるからだ。宮沢賢治『ひのきとひなげし』の中で,悪魔が美容の薬と偽ってそこらの空気を赤く,また蜜色に波立たせるのだが,そんな光が見える気がする。


歯並びの美しき獅子頭かな  村上鞆彦

乱杭歯の獅子頭があるかどうかは知らないが,踊りくねりながらやってくるお獅子,伸び上がってがちりと噛んだ瞬間の白く(あるいは金?)太く並んだ歯,躍動感のある美しさ。作者は目のつけどころを外さない。


さて嬉しい楽しいめでたい大好きお正月,という雰囲気が,裏返る瞬間もある。祝祭の中にいて,ふとそこにいる事に不安を感じる時。自分だけが次元を横滑りして,別の宇宙に入り込む違和感。めまい。それらを捉えてくれるのもまた,新年詠だ。


雑煮餅のまわりの空気が変である  金原まさ子

お餅になにが起こったか。椀にどろりと沈む物体に疑問を感じてしまったら,もうそこからアウターゾーンへ突入してしまう。漱石の猫よろしく,かぶりついて困惑し,猫じゃ猫じゃを踊るしかない。


魂魄のはみ出してゐる雑煮かな  小林千史

あるいは上記の句の答えであるかもしれない。魂も魄もはみだした無防備さが恐ろしく,まだしだらなく淫靡である。魂魄どちらをも失ったなら消滅の未来しかない。この雑煮を全て食べつくしたらどうなるのか。食べる事へ誘惑するしだらなさをどうしたらいいのか。


この中に贋の新年詠がある  福田若之

――『福田青年探偵の言葉に,並居る人々はシン,と黙り込んでしまった。沈黙をやぶり,一人の勇気ある者が,とうとう震え声で問うた。「な,なんですト,それでは此処に,この週刊俳句倶楽部に,贋物が紛れ込んで居ると…」』――

戯れはともかく,誰もが胸を押さえたのではないか。(「鷹」と最初読んでしまって,なんと挑戦的な句よ,と思ったのは内緒です。)はてさて,私含め皆様が投稿したのは本当に新年詠だったのか?そも新年の季語さえ入れれば全てが新年詠となるのか?(結局はそうなのだと思うが)


宝船沈めて渦やうすびかる  堀田季何

なんとも悪魔的な句である。薄く光っているのは消えた金銀財宝か,届くはずだった初夢の残滓か。メエルシュトレエムの底へゆっくりと呑まれていく宝船のイメージが鮮やかだ。


おせちとる長子の皿にそつと母  渡辺ねね

一見,和やかな新年の朝の句だ。素直に読むならば,長子の皿へ母がおせちをとってやった,というほのぼのとした情景のはずなのだ。だが,もっと語順通り素直に読んでしまったなら。
そう,長子が長い取り箸でおせちにの一品を皿にとった,と思ったところが,皿の上に小さな母が乗っている。黒豆が母。数の子が母。伊達巻が母。かまぼこが母。田作りの一尾一尾が――母。夢に出てきそうな恐ろしさ。ああ,母が来る,母が来る…
このような斜めな姿勢で句を読み解いた事を作者の渡辺ねね氏に謝しつつ,本稿を終えたい。)


第298号 2013年1月6日
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