2013-02-10

朝の爽波54 小川春休



小川春休





54



さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十八年」から。今回鑑賞した句は、昭和五十八年の夏から冬にかけての句。九月、木曽灰沢へ一泊吟行。〈出穂の香や大ぜい蕎麦を食べてゐる〉はその折の句です。同月、東京句会鍛錬会のため箱根へも行っています。「青」は十月号で三十周年、十一月には三十周年記念大会を催しています。

汗かかぬやうに歩きて御所の中  『骰子』(以下同)

じっと動かずにいても、夏の暑さの中では汗がにじむ。京都御所はぐるりに塀を巡らし、建礼門、紫宸殿、清涼殿、その他数多くの建造物、庭、池などを備えた広大な宮殿。強い日差しが、濃い影を広げる。その中をゆっくりとゆっくりと、歩を進めてゆくのだ。

吾を見て雨の障子を閉めし人

片側にのみ和紙を貼り、光を採り入れつつ寒さを防ぐ障子。開かれていた障子の間から、ふと人の姿が見え、見るとはなしに目が合ってしまう。そこには若干の気まずさもあろう。元々そのつもりだったのか、すっと障子は閉じられ、一人雨の中に残されてしまう。

水澄んで形崩れずパナマ帽

パナマソウの葉を細く裂いた紐で作られるパナマ帽。戦前は紳士用の正装として夏に愛用されたようだが、掲句制作当時でもクラシカルな出で立ちという印象だったのではないか。夏も過ぎ、残暑も落ち着き、水の澄む頃。往時のままに時代に取り残されたような趣だ。

出穂の香や大ぜい蕎麦を食べてゐる

「木曾」と前書あり。実った穂が垂れ、黄金色に輝く秋の稲。辺りにその香りが立ち込めるほどとは、稲穂の強い生命力を感じる。蕎麦は木曽の地の大きな蕎麦屋か、中七下五の表現は単純なようでいて、大勢の人々の生命力への驚きが率直に表れ出ている。

根釣翁虚子先生に似てをられ

私は写真でしか虚子を見たことがないが、どこか超然とした、動じることのなさそうな、そんな印象がある。虚子の没年は昭和三十四年、掲句の制作が五十八年。師の没後二十四年を経ても爽波は師の面影をしかと覚えている。そのことが少し切なく感じられる句。

井戸の辺をすり抜け屏風運ばるる

今では実用品というより装飾品として利用される屏風だが、本来は仕切りや風除けのための道具。隙間風の多い昔ながらの家屋での暮らしの工夫だ。掲句も、冬に備えて蔵から屏風を出して来る、その一瞬の景。その描写から、辺りの庭や家屋の様子も思われる。

おでん煮えさまざまの顔通りけり

今ではコンビニでも売られているおでんだが、掲句はおそらく屋台のもの。おでんの具が煮え揃ったばかりの、比較的早い時間。もしかすると、その屋台で今日最初の客だったかも知れない。家路を急ぐ人の群を尻目に、さて今日は何から頼もうかと心が弾む。

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