2013-02-03

【句集を読む】つかのまの湧出物 高山れおな「三百句拾遺」 小津夜景


つかのまの湧出物
高山れおな「三百句拾遺」(『俳諧曾我』所収)を読む

小津夜景


「三百句拾遺」は「詩経」をその底本として編まれた句群である。虚にして澄明、それでいて体温をもつ作品が多く、その印象は韜晦を差し挟むことなく読者に対しつねに明快に差し出されている。またその外観に反して大変読みやすくもあるが、その理由は民謡に謳われる天地人の具体的な関係を神(shen)の視角から翻すという作者の趣向が、冒頭句から途切れることなく繰り出される「神の旅 - 迷宮 - 針の山 - 修羅 - 枯野 - 悲の廚(秘事的空間の異界性)- 霧の流域(境界なき閾域)- 葱(「夢の世」と「極楽」を跨ぐ素材)- 麟の趾 」等といった仙境的な語群とその使用法によってあっさりと開示されている為だろう。私はこの美しい一冊を、その原典との軽妙な関係や擬古的ともいえる装いから、かつて小池純代によって試みられた李賀長詩の連句による翻案(この拾遺には「覚えなき鵲の巣が泣き濡れて」「秋雲に乗って譖りに行くところ」等、思わず長句が欲しくなるような句が少なくない)を思い出しながら読んだ。とはいえこの作者の句には語とイマージュとの関係において小池のそれとは異なるいくつかの特色がある。

以下、このエッセイでは両者の相違を話の糸口としつつ「三百句拾遺」の方法論を三つの句から簡単に解き明かしてみたい。


豊年

姉いつまで地に醴を流す旅

この句において「詩経」に起源をもつ語は「醴」の一字である。にもかかわらず、酒の「白さ」と「甘さ」並びに神を介した「実り」といった原詩の情景が「乳と蜜の流れる地」という聖書の文句を連想させることから「地」と「流れる」という二語は非常にすっきりとした正当性を保っている。もっともこの句にほどこされた工夫が原典と掲句を媒介するこうした脈絡の援用のみであったならば、作品はありきたりな借景を逆しまに誇示するのみだったに違いなく、思うにこの句が優れている理由は「あね」「いつまで」「あまざけ」という範列の連鎖が引き起こす語彙素(この場合は音素)の「地すべり」の狭間に「地」と「流す」の二語が姿を覗かせている、といった全体の配置に起因しているのだ。言い換えれば、この作品は「あまざけ」を世界の現象する契機とし、この単語と親和性のある範列の「地すべり」的作業とその範列を元にした詩的統語への「地ならし」的作業に同時に持続する中、まさぐられた地の肌からふと露出した遺留品のごとく前述の二語を表出させているのである。

「拾遺」ではこうした「地すべり/地ならし」による生成 - 構造作業が句におけるイマージュの可塑変形と分ちがたく結びついている作品が多く見られ、またそのイマージュというのが間主観性的な記憶(歴史と言っても差し支えない。それはつまるところ解釈の古層を旅することに外ならないのだから)と頻繁に関係している点で、言葉遊びよって韻律の表面を無意味(意味の消尽)へ向けて滑走し、かつその帰結として作品に対応するイメージが常に不在である小池の観念的な翻案との明確な差異をもっている。

「三百句拾遺」は言葉を世界の全てとする類の抽象性へとは向かわず、句中のシニフィアンとシニフィエはいつでも回想(reminiscence)的対応を孕んでいる。言うまでもなく回想とは(確定的出来事であるはずの歴史もまた)再認の叶わない過去の出来事の再生であるがゆえにこの世界における指向対象をもたない。加えてそれは自分だけの専有物ではなく他の誰かの物でもあり、常に自己意識に回収する事のできないズレを伴っている。そうしたズレがそれとなく句中に顕現している点もまた、高山の俳句と小池の連句との明確な差異だと言えるだろう。


汝墳

葱喰ふやふと夕暮れは赤尾敏

この句が原典と共有する字は「尾」の一字であるが、朱熹の注釈を読むと「魚労則尾赤」との記述があり、つまり「赤尾敏」はそれとの観念連合で召喚されているらしいことがわかる。この句でもっとも重要な語は「ふと」である。この語は「くふや」「ゆふぐれ」と響きあう全体の雰囲気を統整するために必要なのではなく(それだけではこの微妙な副詞の妥当性は諾われにくいだろう)、固有名というものが常に一種の回想としてしか存在しえないものであることを明示する役割を担っていると考えられる。ロラン・バルトによれば、固有名には本質主義化の効能 (名は唯一無二の指示対象を名指す)、引用の効能(名に籠められた本質を自由自在に召喚する)、冒険の効能(名の画定する境界を記憶と共に拡げてゆく)といった三つの機能があるが、句の素材として「赤尾敏」と偶然遭遇した作者は、そこから一句全体を「地すべり/地ならし」する過程においても、この右翼運動家の名を間主観性への契機となる潜在的表層として想起しつづけていた筈であり、またそんな意識のあり方をはっきりと物語るために「ふと」はその姿を現したのではないだろうか。勿論この「ふと」は読者にも波及する。すなわち我々はこの副詞の影響を受けて、固有名に敷衍される回想の旅(もっとも主体には記号のヘゲモニーを握る事が不可能である以上、それはバルトの言う固有名の本質主義を否定するための冒険となるだろう)へと無意識に押し出され、かくして「夕暮れ」時の「赤尾敏」は、「葱」のもつ枯淡のイメージに身をやつした作者と読者とを誘いつつ果てしなき迂路を辿ることとなるのだ。


甫田

古米やひそかに混じる霊と雲

これは極めて漢詩的なフォルムを持った句である。ざっと眺めてみるだけで、白色の「米/雲」の間に無色の「ひそか/霊」が挟み込まれていたり、それら各々の組み合わせが物質的な循環を感じさせたり、「ひねごめ/ひそかに」の連続がプロソディ的な共振性を、「混/霊/雲」の連続がイデオグラム的なホモロジーをそれぞれ形成していたりと様々な技巧が尽くされており、まるで杜甫のように(といっても作者がこの詩人をどう思っているかは謎だが)密度が高く内省的である。とりわけ注目に値するのは「混」という陽の両端に「古米」と「霊雲」という陰が配され、その陰陽全体を「甫田」という大きな田んぼ、すなわち中心の虚が包み込んでいる点だ。つまりこの句は詩の構造がそれ自体において詩的桃源郷を実現している好例となっている訳だが、とはいえこの詩的桃源郷が決して歴史の否定としてのユートピアではないことは、作者が秋の収穫を謡い上げる原典をより抑制された美意識によって風韻に翻しつつも、その内容と真正面から対立する「古米」の語で理知的に迎え撃っていることからおおよそ見当がつく。

言うまでもなく「古米」とは神に捧げるものではなく人が食するものである。またそれは個々の日常性と結びつくと共に他者への触手を互いに伸ばし、間主観的な記憶へと還流する血の通ったメタファーとして機能する。たしかに「甫田」の原詩は四言特有の大らかな慶事性や牧歌的な包容力を具えた佳品ではあるが、それはあくまでも形式上の品格であり、読者はこのにぎにぎしい祝祭詩において讃えられる「我田」が紛うことなき公田であり、またもてなされるのが本当の農神ではなくその「曾孫」と称される為政者でしかないことを決して見逃してはならない。仮に高山の選んだ語が「古米」ではなく原詩のイメージを素直に補完する「新米」などの類であった場合、個々の人間のもつ体温や俗なる生に宿る霊性はこの句から喪われてしまったに違いなく、もはや作品は記憶にも歴史にも無関心な言祝ぎ、神格化された虚像をのびのびと尊ぶ無邪気な精神と判別のつかないものとなっただろう。

以上のように「三百句拾遺」は、間主観性の成層をめぐる実践的解釈にその視座を置いていると考えられる。最後にこの本を読むにあたって留意されるべきことを付け足しておくならば、ひとつは(論の繰り返しを含むが)いかに完全無欠な外見を具えていようともこれらの句群が回想の力を借りた「地すべり/地ならし」の過程に析出されるつかのまの湧出物であり、それ故それらの句には別の世界、別のあり方、別の美しい一句が潜在しているという点、またもうひとつはこの本の趣向が『俳諧曾我』に収められた別の本のそれとも当然比較されねばならないという点だろう。とりわけ「パイク・レッスン」との間には興味深い差異があると私は考えているが、それについて述べるのはまた別の機会としたい。



1 コメント:

高山れおな さんのコメント...

小津夜景様

拙著「三百句拾遺」を論じてくださり、まことに有難うございます。このように鋭く濃やかな読解を施していただけるとは、作者冥利に尽きます。一句一句の制作の実際ということで見ると、お書きのような現代思想的な整然たる理路で考えていたわけではもちろんなく、ああしようかこうしようかの暗中模索の連続でした。しかし、例えばなぜ「新米」でなく「古米(ひねごめ)」か、といった語の選択のうちには、どの程度意識的だったかはともかく(もう何年も前で確かには覚えていません)、御指摘のような配慮が働いていたように思います。

また、「地すべり/地ならし」という総括は、作者としての実感からしても言い得て妙という他ありません。その上で、貴文の最後の一節、

これらの句群が回想の力を借りた「地すべり/地ならし」の過程に析出されるつかのまの湧出物であり、それ故それらの句には別の世界、別のあり方、別の美しい一句が潜在している

という部分のご慧眼には恐れ入りました。この「三百句拾遺」は、「開題」に記しましたように、計画のみに終わった第四句集『三百句』の残骸です。それはつまり現時点での詩経全体の「地すべり/地ならし」を放棄したということですが、今度の句集出来の前後、もう一回最初から全部やり直そうかという夢想を抱かないではありませんでした。「別のあり方、別の美しい一句が潜在している」のは、私としてもはっきりと感じていることだからです(すでに一茶や兜太によって顕在している部分もあるわけですし)。ただ、今すぐそれに取り掛かるのは少々後ろ向きかなと思い直し、さしあたりは別のことをしようと考えておりますが。

重ね重ね御礼申し上げます。ではでは。

高山れおな拝