2013-03-10

【週俳2月の俳句を読む】開拓・想像・旅 月野ぽぽな

【週俳2月の俳句を読む】
開拓・想像・旅

月野ぽぽな




星間に棲み思ひ出の凍を待つ   竹岡一郎

一読「星間」という美しい言葉が目を惹く。これは星と星の間の空間のことを言い「星間雲」や「星間物質」などのように宇宙物理学に使われる言葉のようだ。それを詩の言葉として発見した目の鋭さ。

さて上五の「星間に棲み」まで来たところで、読み手は掲句が「その場」とする、生物が棲むところとしては現実を越えた舞台へ誘われる。人間が想像し得ることを、いかにそれが超現実的であったとしても、想像し得るという現実に基づいて、たとえば「心の真実」と呼ぶならば、そこを開拓するのも詩の世界を広げる醍醐味のひとつかもしれない。

一方、中七下五の魅力ある詩的表現「思ひ出の凍を待つ」は、 読み手の経験——記憶の中にある何かに恋い焦がれる心——に訴える力を持つ。

上五の超現実的な風景と中七下五の実感との取り合わせが、読み手にある像——それは実景であるかもしれないしある感触であるかもしれない——を結ばせるはずだ。わたしには、何かとてつもなく深くて静かな、茫漠とした孤独のようなものが伝わって来た。



咲きながらおほかみの足跡のゆく   宮本佳世乃

雪の降ったあとかもしれない。「咲きながら」という表現から梅や桜のように五つの花弁を持った花のような足跡が続いてゆく様が見えてくる。「おほかみ」のひらがな表記のやわらかさ、A音のおおらかさと句跨がりが生む独特の韻律が相まって、読後にある神々しさが香った。



ときどきは夢に咲(わら)ひもして冬眠   照屋眞理子

「冬眠している動物たちはときどき夢を見て笑っているかもしれない」とは素敵なイマジネーション。わらうの「咲う」という表記は、それが大笑いやもちろんあざけるような笑いではなく、やわらかい微笑みであると想像させる。下五の軽い字余りもチャーミング。冬の地中は動物達の咲くような微笑みに満ち春を待つ。



東風に吹かれて薄薔薇色の墓の辺へ   皆川 燈

長い冬の終わりを告げる東風。誘われるままに旅することを望む心は、遠くは芭蕉のおくのほそ道の一節「いづれの年よりか、片雲の風に誘はれ漂泊の思ひやまず、」にも見られるように、世代を越えて人間の深いところで共通のものなのだろう。句中の風の言うままうっとり歩いてゆくと「薄薔薇色の墓の辺」という美しい言葉と色と風景に辿りついた。近くて遠い遠くて近いユートピア。一句も読むという一つの旅の快感。



分乘に見る春雨の右左   中原道夫

団体の旅行だろうか。「分乗に見る」と「春雨の右左」いう省略の効いたドライな二つの措辞が過不足なくお互いに作用し合い、大勢がいくつかの乗り物(たとえばバス)に分乗して旅路をゆくその左右の窓から春雨の風景を見ているという様子を提示する。ここには芽吹き出した木々にやさしく降る春雨を愛でるという日本人の普遍の心が見え、しかも団体で愛でているという俳諧味がその心に新しみを与えている。さらに、目的地の所在やそこに近づくに連れて変化する人々の様子など、読み手が想像に遊べる余裕を、掲句に見る。



石段を掃き下りつつ春寒し    岩田由美

神社や寺院に通じる石段、その朝の掃除だろうか。石段を掃く人の姿が「石段を掃き下り」という的確な表現によって見えてくる。埃が舞い上がらないように、それを一段の角に寄せ集めてから下の段に掃き下ろしてから自分も共に一段下りる。ていねいに丁寧に。 春は名のみの空気の冷えが石段に伝わり、その石段をゆっくり下る体内に溜まってくる感じ、わかる。冬だったら一段目で一気に冷えきってしまうだろう。冬とは違う春の日差は確かにそこにある。


第302号 2013年2月3日
竹岡一郎 神人合一論 10句 ≫読む
宮本佳世乃 咲きながら 10句 ≫読む
第303号 2013年2月10日
照屋眞理子 雪の弾 10句 ≫読む
第304号 2013年2月17日
皆川 燈 千年のち 10句 ≫読む
第305号 2013年2月24日 
中原道夫 西下 12句 ≫読む 
岩田由美 中ジョッキ 10句 ≫読む

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