2013-04-07

林田紀音夫全句集拾読 260 野口裕


林田紀音夫
全句集拾読
260

野口 裕





紅梅の枝の先まで雨の粒

平成元年、未発表句。たとえば代表句のひとつ、「黄の青の赤の雨傘誰から死ぬ」、あるいは「雨の糸よ買ひに行かねばアドルムなし」などと比べて、変貌の度合いは如実に見て取れる。いいたいことをぐっと我慢しつつ描写に徹して季語を活かすというよりも、いいたいことがなくなり、外部の景が直接言葉に跳ね返ってきている結果として季語が召喚される、と取れる。「まで」という措辞に、特にそれを感じる。取りようによっては、満ち足りた老後である。

 

雪片の鏡を閉じたその後も

平成元年、未発表句。作者が女性であれば、コンパクトの鏡越しに見ていた雪を、コンパクトを閉じてから直接目にする景の移り変わりは自然であろう。女性の行動に視線を借りての作句か。紀音夫自身が、鏡を閉じる動作をするのは想像しにくい。いずれにしろ、雪に仮託した想念は余韻を持って伝わる。


椿落ち昨日の雨の地に灯る

平成元年、未発表句。落椿を光源を見立てた趣向。それ自体はよくあるだろうが、紀音夫が作者であると、椿に託した落剥の思いは戦後の思い出に繋がってゆくだろう。かつてほどの強いつながりではないが。

 

散る前のさくらの下に箸使う

平成元年、未発表句。要するに花見の弁当というところだが、「箸使う」と言われるとあれこれと考えてしまう。「晴と褻」という観点から見るなら、晴の現場に褻の褻たる所以の物が飛び込んできた、となるだろう。箸に意識があるなら箸はさくらと没交渉だが、箸を使っている人はそうは行かない。さくらと箸を意識しつつ、現在という瞬間を感じていることだろう。

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