2013-05-05

朝の爽波65 小川春休



小川春休





65



さて、今回は第三句集『骰子』の「昭和五十九年」から。今回鑑賞した句は、昭和五十九年の冬の句。どうやら次回で『骰子』の作品鑑賞も終わりそうです。名残惜しい。

冬ざるる酒盃はとうに置きあるも  『骰子』(以下同)

恐らくは宴の席、膳の用意も既に整っているが、まだ開宴の時間に間があるのか、メンバーが揃わぬのか、膳を目の前にしばし待たされている。冬のこととて、道中冷えた体を早く酒で暖めたいところだが、そこをぐっと堪える。酒好きの爽波ならではの句だ。

見も知らぬ男が枯萩の庭に

馴染みのある萩の庭、冬に訪れるとそこはすっかり枯萩の庭となっている。見知らぬ男の存在が、萩の庭の変質を強く印象付ける。『鋪道の花』冒頭の〈羽子とりに入つてきしは見知らぬ子〉の明るさと比べると、どこか不吉な、不穏な影のようなものを感じさせる。

疎遠かな萩の刈株眺め立ち

花期が終わると、翌年の発芽を良くするため、萩の株を根元から全部刈り取る。萩の盛りの頃から思えば、何とも淋しい姿だ。それを眺める二人の人、互いに一言も言葉を交わさず、立ち尽くしている。孤独というものを具体的に、正面から見据えたかのような句だ。

靴はいてから屏風絵を今一度

本来風除けなどのための道具であった屏風だが、今ではどちらかと言えば装飾品の趣が強い。掲句の屏風も、立ち去る前にもう一度しかと見ておこうと思わせるような、立派なものが想像される。人にどのように扱われるかによって、物の存在感が裏打ちされている。

冬ざるるリボンかければ贈り物


人との繋がりを確認したくなる季節ということなのか、クリスマスだけでなく、歳暮、年玉と、冬は贈り物のシーズン。物を贈り物に変えるのは、リボンであり、リボンを掛ける贈り主の思いでもあり。掲句にはそういう贈り物の本質がさらりと詠み込まれている。

この人の才能は未知おでん酒

芋・蒟蒻・大根・はんぺん・竹輪などの種を煮込む冬の味覚おでん。おでんで腹の中から暖まり、酒も進むと、思わぬ一面を見せる人も現れる。弟子の田中裕明は爽波の句について「人間への関心から生まれた句が多い」と述べたが、掲句もまさしくその内の一句だ。

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