2013-06-16

【週俳5月の俳句を読む】しなだしん 描写と世界観

【週俳5月の俳句を読む】
描写と世界観
 

しなだしん


去る5月、「紫」山﨑十生主宰の招きにより、「第九回彩の国秩父俳句大会」の講評をさせていただいた。
選句した句の中に「書初の墨の匂いの体育館  高野ほのか」があり、講評のあとこの作品が小学5年のものと聞かされ、驚きを覚えたと同時に選句できた喜びも湧いた。
当日の様子が以下のブログにアップされていた。
http://blog.goo.ne.jp/epilogue_001/e/e27764a7323a68045b95f7d5aba54e45

俳句大会の選者、評者を担当させていただくのははじめての経験だったが、無事に役目を終えることができた。大変楽しい一日を過ごさせていただき、大会関係者の皆様に改めて御礼申し上げます。

さて、週刊俳句5月の作品を見てゆこう。



にぎやかにしやがみホームの遠足子   菊田一平

駅のホームで時折、この句のような遠足の景に出くわすことがある。この句からは幼稚園児、保育園児を想像した。
「遠足」の句は甘くなりがちで、私などは作句を避けてしまうが、この句は遠足の団体のひとつの動きの描写で構成されていて、無駄がない。フラットに詠うことで、「しやがむ」という動作の少しばらけた感じも想像され、園児それぞれの個性さえも見えてくるようだ。



金亀子ダミアの唄のすり切れて   金中かりん

ダミアは、フランスのシャンソン歌手であり、映画女優。ダミアを詠んだ俳句に「神田川ダミアの唄は冬に似る 小園葉舟」があり、ダミアの代表曲『暗い日曜日』の《声を殺してすすり泣いた 木枯らしがうめき叫ぶのを聞きながら 暗い日曜日》という歌詞から冬のイメージも強いのかもしれない。だが、めくような巻き舌の歌唱は、短夜の頃のじっとりした夜の空気感が似つかわしいようにも思える。
掲出句では「金亀子」がとり合わされており、「唄のすり切れて」からは、得も言われぬ“けだるさ“が伝わってくる。「すり切れ」るという感触と、艶やかな「金亀子」との対比が鮮明で、不思議な世界観が滲む一句。



人のような向日葵が来て泊まるかな   金原まさ子

さて、解釈の難しい句。字面通りに「人のような向日葵」が家に来て、「泊る」は比喩であるのか。「泊る」を信じて「人のような向日葵」は“向日葵のような人”の裏返した詩的表現と読むべきか。“向日葵のような人”は、底抜けに明るく、元気なひと、という比喩に使われることがあるが、生命力の充電器のような向日葵も、状況や状態によっては哀しみの象徴のように見えることもある。一方「人のような」が向日葵の比喩とすると、ひょろりとした痩せた男のような向日葵が想像され、元気のイメージからは遠いようにも感じられる。
いずれにしても、「人」であっても「向日葵」であっても、「泊る」という非日常は、ミステリーのような、ファンタジーのような、一つの世界がここにあり、様々な想像が広がる。



第316号2013年5月12日
菊田一平 象 10句 ≫読む

第317号2013年5月19日
金中かりん 限定本 10句 ≫読む

第318号2013年5月26日
金原まさ子 セロリスティック 10句 ≫読む

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