2013-06-16

朝の爽波71 小川春休



小川春休





71



さて、今回は第四句集『一筆』の「昭和六十年」から。今回鑑賞した句もまた、昭和六十年の夏の句。同年の「俳句四季」八月号の「俳人アルバム」に爽波が登場、幼少の頃からの写真二十六葉と自ら記した略歴で構成され、「青」十一月号でも読後感の特集が企画されたとのこと。ちなみに「俳人アルバム」に自選した時代別代表句五句は、〈金魚玉とり落しなば鋪道の花〉〈夜の湖の暗きを流れ桐一葉〉〈鶴凍てて花の如きを糞りにけり〉〈ちぎり捨てあり山吹の花と葉と〉〈天ぷらの海老の尾赤き冬の空〉でした。

猫の尾の夏書机に立ちにけり  『一筆』(以下同)

夏書(げがき)とは、夏安居中に経文を写すこと。当然その机は、椅子を用いる洋風のものではなく、文机とでも呼ぶべきもの。机の脇にぴーんと立った猫の尾からも、机の高さが見えてくる。猫の様子からは、夏と言ってもまだ涼しい、朝の時間帯が想像される。

水を打ち打ちて辛夷の木に至る

一つ目の「打ち」は、単純にその場所で水を打ったという意だが、続けて「打ちて…至る」とあることで、その動作が幾度も繰り返され、少しずつ移動して行ったことが読み取れる。そうした時間の経過をたっぷりと内包しながら、ゆったりと大らかな印象の句。

寺にゐてががんぼとすぐ仲良しに

「寺にゐて」とは、法事や法要などの何らかの目的があるのではなく(もしくはそれらが終わった後に)、ただ寺にいる状態。ぽっかり空いた無為な時間であればこそ、ががんぼと仲良しにもなれたのであろう。身ほとりをよたよたと飛ぶががんぼが愛らしい。

甚平や鳶や鴉の空の下

木綿あるいは麻製で、軽快で風通しの良いことから、夏の間の室内着として用いる甚平。室内着と言っても、当然庭や近所ぐらい出ることもあるが、家を一歩出れば空も風も紛れもなく大自然の一部と気付く。「鳶や鴉の」と畳み掛けて、空の広大さを生き生きと感じさせる。

夕べ干し投網は鼻をつく匂ひ

川魚を一挙に獲るのに用いる投網。そうした漁法を川狩と言い、夏季としている。漁に用い濡れている間でも臭いはあるが、干して乾きかけの状態になるとさらに凝縮された臭気を放つ。時刻は夕暮から夜へ移り変わりゆく頃、生々しくも生活感を感じさせる臭いだ。

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