2013-07-07

よみ人しらずの閧を求めて 外山一機『平成』を読む 小津夜景

よみ人しらずの閧を求めて
外山一機『平成』を読む
 

小津夜景


はじめに

外山一機とは「パフォーマンスとしての俳句」を公言し、俳句とは創作であると同時にひとつの出来事であるという認識の下、その出来事を生み出すための方法を前面に押し出しつつ俳句というジャンルへの揺さぶりを試みてきた実作者である。そんな外山が最近『平成』を上梓した。

句集『平成』 付・巻 民代 追悼句集『御遊戯』

この句集は紛れもなくパフォーマティヴな力作であるが、それと同時に見せかけの賛辞にはおそらく耐えることのできない脆弱さを併せ持ってもいる。もっとも、その脆弱さは『平成』での試みが隘路に在ることから来る必然であり、それゆえ詰めの甘い毀貶と出くわした場合、外山は無思慮にも道を阻もうとするその者から静かに身を躱してかまわないのだ。


1 「俳人としての私」

さっそく「俳人としての私」を見てゆこう。この連作は先人の俳句を、その音をほぼ遵守しつつ別の句に詠み替えてしまうといった遊戯から成り立っている。

  馬酔木咲く金堂の扉にわが触れぬ(水原秋桜子)
 
  葦火幸く
  坤道の徒
  俄か
  狂れぬ

  しんしんと寒さがたのし歩みゆく(星野立子)

  信心賭さむ
  坂
  誰の死
  歩み行く

上記の句は、ことばをヘテロフォニックに捉え直すことによって本句の底に蠱惑なる謎として沈んでいるイマージュを掬い上げるといった、言の葉の「香を聞く」ごときレトロな耽美主義とは全く異なる意図に拠っていると見受けられる。元来、ことばという媒質は、不協音的に触知しようとすると一瞬で他界に即いてしまう安易を起こしがちなものだが、「俳人としての私」ではその演出がいかに死の香りに包まれていようとも、その種の馥郁さに寄生する作家にありがちな「不可知に遭遇する主体」が句中に居合わせておらず、また言語を生命のように取り扱うような情念もない。さらに言えば、見えないものに付与される肉感や、技巧という所作から巧まずして立ちのぼるはずの官能も希薄である。

  機首あげて飛ぶ絶望の夕日の国(林田紀音夫)

  義手あげて
  問ふ
  切望の
  雄飛の国

上述の特色を辿ってゆくと、外山の試みは言霊へのナイーヴな傾倒に基づくものではなく、あくまでも①本句を音表象(無意識)の素へと還元し、②その素を語表象(前意識)のコードに従わせつつ、③本句を脱コード化するといった一連の運動、別の言い方をすれば言葉のピクセル化ならぬグラセル化(gram=字/cell=細胞)を介して現実の見え方に手を加えるという、情念を排したところの硬質な作業であることが見えてくる。

この情念の不在は「俳人としての私」のワード・プレイに遊びの本質である軽やかさや享楽が希薄である根拠ともなっている。一見したところ他界趣味を装っているイマージュは、言葉へのフェティシズムや未知とのエロティックな戯れに縁があるわけでなく、脱コード化の時点で任意に放り込まれた趣味的集合の要素にすぎないという訳だ。

  帚木に影といふものありしかな(高浜虚子)

  母
  嬉技に
  鹿毛と云ふ
  喪のありしかな

  いくたびも雪の深さを尋ねけり(正岡子規)
 
  幾代も
  斎きの
  深棹
  倒れけり

ところで、外山の批評活動にしばしば美術用語からの援用があることを考える時、上景のパフォーマンスを現代アートとの共時性において把握しなおすというのは、極めて妥当な行為だろう。またその場合、掲句に比較されうるものとして最も適切なのは、昨今書記芸術にまでその裾野を延ばしているデジタル・アートの一手法である。この一手法とはすなわち①「俳人としての私」において、先行する作品とは異なるメッセージに組み替え可能な情報コードであり、数学的存在論における変数を意味する。②新たに表象(=再現)された作品とは、美学的な変数に相当する。③テクストの表象化は、世界(=あの世とこの世)を与件とせず、本質と現象との差異がなく、想像ないし経験する主体を問題としない場で実行される。④以上の特色から、この連作はプラトン主義とは完全に異質の「情報的還元にもとづく創造のプロセス」に因るものであると言える——といった作品へのアプローチとして説明できる。要するに「俳人としての私」は、アルファニューメリックならぬ「イロハデジタル」宣言のサンプル集として眺めるべき作品なのである。

したがって上の句を読む読者は、ことばの言外の意図をさぐろうとしてそのイマージュに分析の刃を入れることよりも、むしろ作者がイマージュそれ自体を変数的なものとして把握しているという事実に意識を向けることが望ましい。なぜならイマージュではなくこの変数的把握の方こそ、俳句という体系に囲繞された作者がそのシステムの内部に自己投企的なメカニズムを発見するための方策として読者に投げかけてきた実直なるパフォーマンスの本体だからだ。またこの「イロハデジタル」的アプローチは、こうした本体が見極められることによって、ようやく前世紀の(オリジナル(本物)とコピー(偽物)の対概念を主題に引き込むだけで「知的」たりえた)サンプリング・アートのごとき微温な観念主義と混同されることもなくなるのである。


2 「上毛かるたのうた」

「俳人としての私」に見られた「情報的還元にもとづく世界の創出」は「上毛かるたのうた」でさらに独自の展開を見せることとなる。ここでは箴言めいた他界の意匠が跡形もなく脱ぎ捨てられ、情念なき産出作業がより徹底して押し進められた結果、作品は俳人自身によるものではなく、俳句それ自体のもつ自律的産出プロセスの結果であるかのごとき姿にまで順化してしまう。そして各句は、不断の産出のくりかえしの中でとらわれのない調和を養い、個性の枠を超えてゆくと同時に類型という法則美を強く捉え、単純な造形にあっさりと収まり、一切が露出しているが故に偽装もなく、いかにも「よみ人知らず」の民衆歌といった風情の、さながら柳宗悦の述べる民藝のごとき領域へと踏み込んでゆくのだ。

あ…浅間のいたずら鬼の押し出し
お椀の舟に箸の櫂
御旗立てむは
鬼遊び

い…伊香保温泉日本の名湯
手癖の悪き妹も
堅緒擦れこそ
里土産

う…碓氷峠の関所跡
ねんねこお守はどこへいた
ねんねん峠は
こはからう

え…縁起達磨の少林山
だるまのお首は
何見てはねる
十五夜お月さん見てはねる

お…太田金山子育て呑龍
おろろんばいおろろんばいよ
小沢昭一
的こころも

これらの句を眺めたのちに、例えば林桂の多行句を読むと、私はそれらが美術家のなした銘のある工藝であるかのごとき印象を受ける。また例えば大岡頌司の「しばのとを/たたきつづけて/われとなる」「ものみな枯れて/いばりうながす/ねこぐるま」「葱の値を/呼ばふ男と/生れ来し」「村の端を/走りて廻す/かざぐるま」などに見られる世界は決して郷愁性を希求しているのではなく、郷愁の舞台からこちらを覗き見る不気味なもの、すなわち抑圧されたものの回帰が主題であることを再認識させられる。銘も、不気味なものも、それらはすべて主体の再我有化への欲望に基づく創作態度であり、また一般に各作家の固有性を培うのはその欲望をそれぞれ達成せんとする際の「決まり手」にあることは言うまでもない(またその「決まり手」が自らに対する暴力以外の何ものでもない事実を当の本人が自覚していることが、創作における安全上のルールであることも)。ところが「上毛かるたのうた」ではそうした作者の「決まり手」が一切繰り出されず、銘や不気味なものとかかずりあう自己愛はすっかり拭い去られている。そうして、ただ創造のみが閉ざされたシステムの中で自己組織化的に働き、一方その創造からはみだした当の作家はといえば、まるであべこべに、もはや己の署名に拘泥することなく「他力の美」(柳宗悦) へと己を開ききって憚らない。

ま…繭と生糸は日本一
日本一の口三味線も
鳴いて血を吐く
ほととぎす

み…水上・谷川スキーと登山
四十九日は
冷めたる下駄の
私をすきいに連れてつて

む…昔を語る多胡の古碑
夜伽の祖母の懐に
見しこともあり
豆右衛門

め…銘仙織出す伊勢崎市
祖母や忘るる長持の
帯は短し
襷は長し

も…紅葉に映える妙義山
女乞食も千早んずれば
夜ごとくくれる
紅葉鮒

上記の「うた」は故事や川柳、映画、枕絵、浮世草子、諺、和歌、落語そして季語(!)といった数多の典拠に裏うちされつつも、都々逸の調子のもたらす脱力的連想の流れの果てで、あまねく簡素で純一なパターンに落ち着いている。滋味は飾り気のない着想から抽出され、作為は反復と循環の過程でいつしか押し流され、個の封印を解かれてなお放たれつづける閑吟はまるで心任せの独り言のような「顔のないさびしさ」をたたえている。ここで瞠目すべきなのは、この作品の類型性がいささかも反動を意味していないという点だ。「上毛かるたのうた」は決して読者の郷愁を満たすことがないようあくまでも「形式的」に書かれている。その修辞は古典と故郷を行き交いながらもしっかりと虚構に付き、私情や土着の想念を少しも負うておらず、ロマン主義的な俗気と十分クールな距離を保っている。

ここにおいて外山の「イロハデジタル」な句作環境は、サイバネティックスのごときオートマティズム&フィードバックの場と化すに至った。オリジナルとコピーといった対立概念はなめらかに追いはらわれ、代わりにモデルとパターンといった(つまり表と裏のない)循環概念に基づく環境が「よみ人しらず」的アプローチによって申し分なく前景化されたのである。

一般に、このような質の有機性は、そう易々と手に入れられるものではないだろう。読者が目撃することとなった、戦略的な逆行ともいえる外山のパフォーマンスは、自らの創作動機と辟易するほど向き合わない限り腹をくくることなどできない捨て身の技なのだ。とはいえ、そもそも都々逸や連句にはそれ自身をパスティッシュしつつ異化するといった自己組織系の側面があることや、かつて織物(テクスト)がデジタル技術の象徴であったことなどを思い起こすならば、「イロハデジタル」ないし「よみ人しらず」の方法論が、その更新の過程でデジタル・アートの一極北としての民藝的様式を試みることになるといった事態は、ひょっとすると必然的なハプニングだと言うべきなのかもしれない。


3 「平成去勢歌」

さて、ここで話が終わるなら『平成』は単なる知的な好著でしかない。しかしまだ「平成去勢歌」が残っている。この連作は既述の二作とはうってかわって表現がサンボルの操作に留まっており、またそれゆえ外山のパフォーマンスも失速しているように見受けられる。とはいえこの失速は、この作者の思惑がひそかに辿った足跡をなんとかして確かめたい読者にとって非常に意味があるのだ。

    平成六年歌会始御製歌
  波立たぬ世を願ひつつ新しき年の始めを迎へ祝はむ
  
  名も立たぬ
  遠音(とほね)交(か)ひつつ
  可惜(あたら)
  子規(しき)

    平成七年歌会始御製歌
  人々の過しし様を思ひつつ歌の調べの流るるを聞く

  異人(ことひと)の
  簾越(すご)し
  四座(しざ)舞ふ
  尾は五つ

    平成二十年歌会始御製歌
  炬火台に火は燃え盛り彼方なる林は秋の色を帯び初む

  魏(ぎ)よ
  遐代(かだい)に
  悲話(ひわ)も餌(ゑ)か理(り)
  仮名(かな)手馴(たな)る

「俳人としての私」と同型の手法による上の句は、より彫琢された技によって趣味的な完成度をさらに高めているようだ(ちなみに私個人は、この連作がいちばん好みである)。しかしながらこれらを「平成去勢歌」という題と照らし合わせて判断した場合、その意図が実現されているかどうかは全くもって疑わしい。そもそもこの作者は、厳密な法則の内部でこそ活力を漲らせうる体質を有しており、また制約の中に個を潜伏させることで自由を謳歌するタイプの作家である(また余談だが、外山は『御遊戯・巻民代追悼句集』のあとがきで「巻民代の名で俳句を作るとき、まるでいくらでも作ることができるような恐怖と快楽とにしばしば襲われていた」と告白する。これは「俳人としての私」から「上毛かるたの歌」への歩みからも伺い知れるように、外山にとって他人の銘の内に己を匿すといった戦術は、牢獄のごとき「私という先験的モデル」からの絶対的な解放と、それに伴う「オールラウンドな創造パターン」を手にする自由とを意味しているのだ)。にもかかわらず「平成去勢歌」では、イマージュの喚起力を高めることにのみ作者の意識が向かったのか、御製歌というモデルを作品産出のパターンとして取り込む作業が上手くいっておらず、またその帰結としての作品は、自然人為の両刀を意のままとする天皇のリアル・パフォーマンスと比べて志操が低く、構えと勢いの点でもそれを御していない。さらにそれだけでなく、両者を見比べてみた時、全くもって無瑕な御製歌に対し、外山の作品の方には自由を思考することを忘れた芸術特有の傾き、あるいは頽落さえ感じられる。

ここで私の言う頽落とは、自由の思考の欠如に加えて、この作品が内包する予弁法めいた「暗さ」を指している。曰く、実験精神にあふれるその外見をつぶさに観察してゆくと、むしろ厭世にも似たそれへの孤疑を垣間見せられ、その美技に感嘆しようとすると、本句の音との微妙なずれに作者のかすかな息切れを聞かされ、その批評意識を持ち上げようとすると、政治性を欠いたその実像に足をすくわれてしまう、といったような。

一方、御製歌の側にはそうした「暗さ」がない。もっともそれは当然である。なにしろ今上明仁とは、天皇という概念装置を外したところで詠むことのない運命を負い、自己の声がすぐさま歴史=物語になるという稀有の体系を生き、私性の問題を超克する詩作を暗黙のうちに要求され、またそれを切れば血の出るリアルな世界においてパフォーマティヴに体現しつづけている類まれな歌人だ。またこの平和主義者は世の平安を虚心に歌いつつも、決してその目線を低くするばかりでなく、時にはパフォーマティヴな交歓の一環として国民に「臣下」と呼びかける大胆さも持ち合わせた手練でもある。

天皇陛下と琉歌によるやり取りを経験した第26次本土派遣沖縄豆記者の高良宣孝さんは、次のように、その感激を語っている。《石なごの石の 大瀬なるまでも おかけぼさへ めしやうれ 我御主がなし》 この歌の意味は「小さな石なごの石が、大きな岩となるまでも、わが王様は長く王位につかれてお栄え遊ばされるようにお祈りいたします」という意味です。僕が最もうれしかったのは、僕の歌に対して皇太子殿下(現、天皇陛下)がお返しの歌を御披露して下さったことです。 《戦世も終て みろく世もやがて 嘆くなよ 臣下 命ど宝》 この歌の意味は「琉球の天地をくつがえす戦いは終わった。今のこの苦しみを越えれば、やがて平和で豊かな世がくるであろう。人々よ嘆かないで下さい。命を大切にするのです」という意味です》(天皇陛下御即位奉祝委員会編『千古(せんこ)の雅(みやび) 平成2年10月10日)

琉歌とは、上句8・8下句8・6の30音からなる歌謡である。さらに明仁は沖縄について以下のような琉歌も詠んでいる。

    沖縄戦終結の地である摩文仁(まぶに)の丘

  花よおしやげゆん人知らぬ魂戦ないらぬ世よ肝に願て

 (読み ハナユウシヤギユン フィトゥシラヌタマシイ
  イクサネラヌユユ チムニニガティ)
 (訳 花を捧げます 人知らぬ御霊に
  戦いのない世を 心から願って)

  ふさかいゆる木草めぐる戦跡くり返し返し思ひかけて

 (読み フサケユルキクサ ミグルイクサアトゥ
  クリカイシガイシ ウムイカキテイ)
 (訳 生い茂る千草の間を巡ったことよ 戦いの跡に
  くり返しくり返し 思いをはせながら)

  だんじょかれよしの歌や湧上がたんゆうな咲きゆる島肝に残て

 (読み ダンジュカリユシヌ ウタヤワチャガタン
  ユウナサチュツシマ チムニヌクティ)
 (訳「だんじゅかりゆし」の歌を 皆で歌ってくれた
  ゆうなの花の咲く島が 心から離れない)

このような、命に即し、己を枉げた痕跡を感じさせず、技巧も捨て去ったかにみえる「巧まざる賜物」を読んだのち、次のような外山の作品を読む読者は、一体いかなる去勢の成果をその句中に見出すことができるだろう? 私が思うに、明仁と比べて、外山の側の「己の定めた枷」に対する尽忠は比較にならないほど弱すぎる。

        平成二十四年歌会始御製歌
 津波来し時の岸辺は如何なりしと見下ろす海は青く静まる

  頭並(づな)み
  腰解(こし)き
  乃木(のぎ)氏へ廃家(はいか)
           躰仁(なりひと)

      平成二十五年歌会始御製歌
 万座毛に昔をしのび巡り行けば彼方恩納岳さやに立ちたり

  満座(まんざ)舞ふ
  二夫(にふ)が塩路(しほぢ)の
  叫(ひめ)く
  流刑(りうけい)は

とってつけたような単語の操作によって禍々しい残欠感を醸し出すことでなにがしかの去勢をなしうると信じるのは、あまりに他愛のない思いつきである。単純に考えても、超自我や父の名たりえないのが天皇性の原理であり、またその原理を生きる天皇その人が「中心の空虚」から発信する御製歌を去勢するのに有効なのは、それらの歌のイメージの転倒や無化ではなく、むしろその無からはみ出す、ほとんど唯物論的ともいえるような「詠むことをめぐる現場意識」なのではないだろうか。そして、そのような現場意識を表現するには、外山の句にはさしずめ政治的な強度が不足している。いや政治的とまでは言わずとも、外山は「何のための去勢なのか」をいま少し明確に必要があったのだ。さもなくば「平成去勢歌」は去勢ではなくむしろその逆、すなわち明仁のクリアー&ラディカルな歌に庇を借りつつ「見せかけの批判」にいそしむといった、全能感の詐病を患うことになりかねない。

とはいえ(ここで念のため付け加えるが)私はきわめて批評的と目されているらしい外山に対して「御製歌を、反体制的な意図でもって、真正面から解体するべきだった」と主張するのでは全くない。むしろ外山は明仁の歌と真正面から組み合いすぎたのではないか、またそのせいでフットワークが悪くなり転倒や無化におもねらざるを得なくなったのではないか、いっそ作家という鎧をはずしてしまえば身のこなしがずっと軽くなったのではないか、と考えているくらいである。というのも、次作の「上毛かるたのうた」において外山は、実際の探求として作者であることを放棄するというパフォーマンスに踏み込んでゆくのだし、また近年取り組んでいたらしい伊藤園「お~いお茶俳句賞」への文体憑依にしても、その概念の失効を目指しているのが明白であるからだ。

  ぶきような父の料理のあたたかさ

  父さんが帰ってくるまで起きてていい?

  父の日の父は背中で照れている

上のような「お~いお茶俳句賞」への文体憑依によって外山が試みようとしたもの、それは「私(の署名)なき言葉」をめぐるパターン解析であり、またイメージの操作では決して表象することのできない唯物論的な価値の表出ではないだろうか。作者の署名すなわち「私の再我有化」がもたらす暴力を危ぶみ、匿名の詩的空間に目をくばりながら、同時に共同体主義への逆行をも回避するという、審美的態度と倫理的態度との拮抗を生きようとするこの作者だからこそ、私はそのように想像するのである。無論私は「お~いお茶」の文体それ自体に唯物論的価値があると外山が本気で信じている、などとは毛頭考えていない。外山の試みはあくまでも表現者の信念が呼び込む仮想のマニフェストであり、表象の効能を超えた唯物論的な命を句に吹き込みたいと無意識に願うものだけが見るほとんど倒錯的な「夢」である。そしてまた「上毛かるたのうた」の中で、民藝的順応というアクロバティックな技でもって外山が演じきったその「夢」は、まさしく「詠むことをめぐる現場意識」以外の何ものからも生まれない閧の声を含んでいたのだ。


おわりに

以上が『平成』を読んで私が感じたことのすべてである。最後に「私(の署名)なき言葉」をめぐる外山の視線が「上毛かるたのうた」以外のさまざまなパターンにも及んでいた事実に改めて注目し、付記としてそれらを各一言にまとめて分類しておきたい。

①想像・経験する自己に立脚しない「イロハデジタルな句」
②他力の美へと自己を開け放った「よみ人しらずのうた」
③天皇の御製歌が体現する「私性を超克する歌」
④本名を守秘しつつ「巻民代」なる(民草の寓意のごとき)非合法運動風味のコードネームを冠した「非公開名の句」
⑤「お〜いお茶俳句賞」(作者の名に値しない現場)に象徴される「無署名の句」

この先、外山がいかなる戦略によってこの険しい隘路をさらに突き進んでゆくのか、私には想像することもできない。それでもとにかく今ひとりの読者として言えること、それはモデルとパターンを循環する自己組織系に磨きをかけると同時に、我欲の勢いを捨て去ることによって向き合った相手の力を受けながす推手を体得するまでの作者の道程を、読者に余すところなく見せてくれたという意味において、『平成』はパフォーマティヴと評されるにふさわしい句集であった、という明言のみである。

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