2013-07-07

置き去りの街 今井肖子句集『花もまた』の二句 西原天気

置き去りの街
今井肖子句集『花もまた』の二句

西原天気



ビートルズに「ロッキー・ラクーン」という曲があります。ラクーン(Raccoon)はアライグマなのですが、この曲、いつもタヌキを頭に描いて聴いていました。アライグマとタヌキは違うものですが、イメージ的・キャラクター的にはそう遠くない。ロッキー山脈に棲むタヌキというのも、日本に暮らす私からすれば、そう突拍子がないこともない。

  紙芝居狸はいつも不幸せ  今井肖子

紙芝居に出てくるタヌキとは、どんなタヌキでしょうか。特定もヒントもないので、読者がそれぞれ「お話に出てくるタヌキ」を思い浮かべることになります。カチカチ山や文福茶釜がよく知られるところでしょう。落語なら狸賽(たぬさい)でしょうか。

あるとき不幸せ、というわけではなく、「いつも」不幸せなタヌキ。

そう言われると、どのタヌキの顔も、のほほんとはしていますが、少し哀愁を帯びている気がします。人間を化かす点で同じキツネと比べても不幸な感じです(キツネは結末の如何にかかわらず毅然としていそうです。タヌキは事がうまく運んでいる最中でさえ、不安げな感じがします)。

ところで、「ロッキー・ラクーン」という曲に登場するのは、じつはタヌキでもアライグマでもありません。そう呼ばれる若者のバラッド(物語唄)です。この若者の顛末がまたとても悲しいものなのです。




もう一句。この時期に年末年始の句、というのもなんなのですが。

  年の瀬の街置き去りにして離陸  同

お正月を毎年海外で過ごされるのか、たまたまその年そうだったのかで、読者の羨望・嫉妬の具合は違ってきますが、そういう、しもじもの者たちの負の感情は置いておくとして、句そのものに爽快感があります。昂ぶりも伝わります。「年の瀬」の「瀬」も効果的で、この語と末尾の「離陸」とで垂直感、それも実景・実感に根ざした垂直感が出現しています。


句集『花もまた』には、ほかに、《笑ひたる山から空の広がりぬ》といった気持ちのいい句、《赤緑赤赤緑唐辛子》といった愉快な句もあります。《梅雨深し東京タワー消えてゐる》はふだんから東京タワーを見慣れている人(見えてはじめてそこに東京タワーがあることに気づくのではない)の都会的な句。《金星と火星のあはひ秋の行く》。惑星を詠むと、浮き足立ってスペイシーな句になりがちですが、この句は「秋の行く」で抑制が効いています。

作者は、今井つる女を祖母に持ち今井千鶴子氏を母に持つ「ホトトギス」同人。プロフィールからは「伝統中の伝統」を想像しがちですが、『花もまた』に収められた句の着想やタッチは幅広い。爽快な読後感の得られる句集です。



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