2013-08-04

朝の爽波78 小川春休



小川春休




78



さて、今回は第四句集『一筆』の「昭和六十一年」から。今回鑑賞した句は昭和六十一年の春、恐らくは三月頃の句。「青」二月号から連載開始の「枚方から」、三月号は次のような内容でした。熱いです。
(前略)その中で「青」のみんなに共通して大巾に欠けているものと言えば、「多読多憶」であろう。
 先人の名句の数々、それもいま俳句を志す者として当然識っておらねばならぬお手本ともなるべき名句の数々に関して、体内にその蓄積が全く無いか、無いに等しい人が余りにも多いのだ。
 これはただ「青」だけの問題ではなくして、俳壇全般にも相通じる大きな問題ではなかろうか。
 「てにをは」の問題をも含めて俳句表現のさまざまの型の習得やひいては想像力喚起の問題など、句づくりの一番の原動力となるものも結局のところこの蓄積に負うところが頗る大きいのである。
 斯く言う私にしたって、先人の名句の数々から多かれ少なかれその切れっ端を拝借して、それを曲りなりにも噛み砕いて消化吸収し、恰も自分独自の発想、表現であるかのような顔をして何とか罷り通っているのだと思う。

(波多野爽波「枚方から・業(わざ)を磨く」)
哺乳瓶洗ひ野焼の灰つきぬ  『一筆』(以下同)

草の生育を良くし、害虫を駆除するため、春先に野の枯草を焼き払う野焼。多くの人出を要する野焼だが、例えば乳飲み児とその母親など、参加しない者もある。しかし、窓を開けば焦げ臭い匂いが、窓際に置いた哺乳瓶には灰がひとひらどこからともなく飛んで来る。

徳利立つ朝の膳や鱵(さより)

春の味覚の一つである鱵は、細長い体で、その身は淡白で美味。海面近くを泳ぐので発見はたやすいが、素早く逃げ回るため、鱵漁はなかなかに困難なのだとか。朝の膳に付いた徳利で、漁師たちが景気付けをして、すばしっこい鱵に挑もうという所。

女将以下このいでたちも磯遊び

今では単なる磯での行楽についても言う磯遊びだが、掲句のものは言わば磯祭とも言うべき、地域の行事としての磯遊びが思われる。女将以下仲居がうち揃い、磯遊びに一際華やかさを加える。ある種、その地域の顔とも言えるような、立派な旅館ではなかろうか。

いと古き石蓴籠にてありにけり

石蓴(あおさ)は日本各地の海岸で見られる海藻であるが、掲句は石蓴採りに用いる籠だけに焦点を絞った、「もの俳句」と言えよう。石蓴籠の古さは即ち、その磯近くに住み、暮らしてきた年月の長さを思わせる。ものと季語とが、多くの事を想像させてくれる。

やどかりの中をやどかり走り抜け

柔らかい腹部を守るため空の巻貝などに住まうやどかり。やどかりの群を見ても、犬などの哺乳類のようなコミュニケーションは乏しい。走り抜けるやどかりも走り抜けられるやどかりたちも、お互いに対して無関心に、好きなように行動する様子が目に浮かぶ。

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