2013-08-18

気仙沼紀行〔前篇〕 近恵

気仙沼紀行〔前篇〕

近 恵


一通のメールが届く金曜日。7月26日18時。生ビールと美味しそうな肴の写真とともに、「こっち雨ですー」なんて呑気なセリフと翌日の天候など書いてある。気仙沼にひと足先に到着し、あさひ鮨で一杯始めている菊田一平さん、池田のりをさん、太田うさぎさんの三人からだ。くくーっ、こっちはまだ仕事中だよっと唸りながらも、今夜から向かう気仙沼に思いを馳せる。

今年もこの季節がやってきた。「第二十五回気仙沼海の俳句全国大会」と、それにかこつけて集まり、地元の産物をもりもりいただくバーベキューや浜遊び。私も月曜日まで休みをとってすっかり夏休み気分。

毎年8月の上旬に行われる「気仙沼みなとまつり」の一環として開催される「気仙沼海の俳句全国大会」は、毎年7月の最終日曜日に気仙沼港の目の前の崖の上にあるホテルで行われる。震災の年こそお休みしたものの、昨年夏「復興祈念」と冠を打ち再開、今年は25回目の開催である。

初めて気仙沼に行ったのはあの大地震の前年の夏だった。その年は12月にも行く機会に恵まれた。殊に気仙沼大島は緑が本当に美しく、海の物も当たり前のように美味しい。何より迎えてくれる人たちが皆暖かかった。蛍もいた。鬼やんまも沢山いた。牡蠣船にも乗せてもらった。それが翌年3月のあの大津波で…。


金曜の夜23時、同じく気仙沼大島出身で一平さんの同級生の小野寺清人さんの運転で車組が出発。齋藤朝比古さん、飯田冬眞さん、篠崎央子さん、それに近恵の5人というメンバー。それにしても天候が心配。果たして天気予報はこういうときはよく当たる。東北自動車道群馬県館林付近。最初は前方で見えていた稲妻が、気付けば頭上でひっきりなしに。その横の雷雲の途切れたところには星が見えるという不思議な光景。そのうち雨がどしゃどしゃ降ってきて、道路のラインも見えず50キロ規制がかかっている。こんな恐ろしいドライブは初めてだ。しかも気仙沼付近も雨がひどい模様。一ノ関から出ている大船渡線も止まっているらしい。翌日電車で来るメンバーが心配になる。今回の気仙沼、波乱の幕開けだ。

早朝一ノ関で高速を降り山越えをする途中では、川という川が増水し、茶色の泥水がぐんぐん流れている。どうやら夜中に土砂が崩れたところや冠水したところもある模様。震災の傷も癒えぬ間にと思うと悲しくなる。でも雨は上がってきた。朝6時気仙沼駅に到着。そこで「避難勧告解除」というエリアメールが入る。後で聞いたところによると、呑気に寿司屋からメールをくれた3人は、港も大雨で水が出たためにタクシーが来てくれず、大将が車を出して送ってくれたのだとか。ああ、晴れてよかった。

▼気仙沼駅ではピカチューがお出迎え

▼気仙沼観光キャラクター『ホヤぼーや』の央子さん


地元の同級生のお宅に立ち寄り朝食をごちそうになる。やはり昨夜の豪雨で近くの道が冠水したと言う。その後あの津波で陸に乗り上げた「第18共徳丸」を見にゆく。一年ぶりの再会。雨ざらしで手入れのできない船体は昨年の夏よりも痛みが見える。船の周りはロープが張られ、近くにはコンビニが建ち、新しい電柱が立ち、電線も通っていた。それでも殆どは去年とあまり変わらない光景。家々は土台を残したまま、夏草ばかりが茂っている。「第18共徳丸」の保存か解体か、そこに住んでいた人達、行政側、観光協会、船主さん、みなそれぞれに思いや思惑がある。未来にとって何が一番いい方法なのかは誰にもわからないのだ。

▼塗装が剥げ始めている船体


一行は気仙沼大島に渡るため船へ。先に来ていた3人と船上で合流。

それにしても海霧がすごい。海面も上昇している。昨晩からの大雨が海に流れ込み、海も随分と濁っていて、木の枝やらなにやら漂流している。

▼海霧の港。温泉の湯気のよう。
真ん中に出っ張っている4本の柱は以前の桟橋の柱。
あの地震で1.4mも地盤沈下した。


気仙沼大島への連絡船。海霧に岸辺が掻き消え、何も見えなくなった。心細くもあったが、やがて海霧という大きな風呂敷にすっぽり包まれ、自分が贈り物のように大切に運ばれていくように思われた。静かな安堵の中に身を沈めると、餌を貰おうとひるがえりひるがえりずっとついてくるカモメの必死さに、心が震えた。小田島渚

大島の港に近づくにつれ、一平さんの実家があったあたりが見はじめる。今は一軒も見えない。集落が全部津波で流されてしまったのだ。港にあった土産物屋さんもなく、草木が生え、今はそこに建物があったことすらわからない。

時折雨がぱらつく中まずは小田浜で行われる海開きへ。遅い海開きだが、短い夏がやっと始まったのだ。地元のTV局が来ていたりして、なぜか慌てて夜通しで崩れた顔を作り直す。更衣室なども建っているが、この時期にしては涼しく、また雨水も随分と海に流れ込んでいるのでこの日は海に入る人は誰もいなかった。今年はまだ梅雨も明けていなかったのだ。

▼中央、祝詞をあげる神主さん。
手前は朝比古さんと清人さん。



「神職は島に一人よ海開」。相性が良いのか、去年に続いて柏原眠雨特選。今回も被災地の方から元気を頂いてしまう。あの前向きな姿勢は見習わねばと思う。齋藤朝比古

その後、バーベキュー会場となる清人さんの弟さんの自宅へ。そこは少し高台にあり、津波の被害は免れたが、その下の海際にあった清人さんの実家は被災し、今はもう取り壊して草が伸び放題になっている。天気が良くないので、近くの小屋をお借りしてバーベキューの支度をしつつ新幹線組の到着を待つ。当の弟さんは大雨の被害があったため、市の災害対策本部へ出勤していていない。さっそく慣れない手つきで火を起こし、サザエのつぼ焼きを始める。

▼火を起こす一平さんと、のりをさん、朝比古さん。

▼蓋だけでも直径4センチはあるサザエ。


バーベキューには焼き奉行。サザエの壺焼は汁が噴出したときが食べ頃ではない。噴出した汁は一気に貝殻の中に引いていく。それが合図だ。芥ゆかり

12時半を過ぎ、大船渡線は不通のままだったので一ノ関からバスに乗ったりして無事新幹線組が到着。伊藤伊那男さん、伊藤政三さん、竹内宗一郎さん、戸矢一斗さん、天野小石さん、芥ゆかりさん、今井麦さん、小田島渚さん、こしだまほさん、笹木くろえさん、三輪初子さん。今回の豪華メンバー19人がここに勢ぞろいである。

▼この小さな小屋に19人もが出たり入ったり。
暑いし煙たいし。大雨にならなかったことに感謝。


▼夏牡蠣を蒸し牡蠣で。冬に訪問した際に牡蠣剥きなどをやらせてくれた、地元で蠣養殖をしている方の差し入れ。津波で牡蠣筏も加工場も全部流されてしまったが、再開し出荷ができるまでに復活。震災の翌春、養殖再開のことを私はNHKの番組で偶然知った。家族も皆無事だった。安堵感からテレビの前で泣いた。


「火を焚きて夏牡蠣の殻積むる小屋」美味しかったです天野小石

▼差し入れの魚を焼く一平さんと伊那男さん。


これだけの個性が気仙沼に集うという奇跡。地元の皆さん(出身者も含む)の企画力、実行力とホスピタリティに感激。メガ栄螺、メガ牡蠣、魚の幸、本当に美味しかった。竹内宗一郎

美味しかった。ひどい雷や大雨の中、夜通しの運転で疲れ切った心身に沁みました。小野寺清人

サザエの他にも牡蠣やら牛タンやら魚やら気仙沼ホルモンやら、ビールにワインに日本酒。皆幸せそうである。雨足も弱くなっていたので、清人さんの実家の前の海に行ってみることに。地盤沈下の影響で以前よりも海が深くなっているのに加え、大雨で流れ込んだ土砂の影響で海底があまりよく見えない。

▼いつもは透明な海もこの日は大雨の影響で濁っている、
にもかかわらずハイテンションな女性陣。


美しい緑やダイナミックな自然に圧倒され、柄にもなく泣いてしまった。笹木くろえ

その後、ほぼ徹夜でやってきた車組の数名が居間に上がり込みトドのように激沈。かくいう私もすっかり寝入ってしまい、お家の方に起こされたときはすでにとっぷりと日が暮れて、民宿に移動した皆から一人取り残されていた。半分寝たまま民宿に到着。食事が自慢の民宿『海宝』では食べきれない程の夕食が出るのだが、完食。そういえば昼間はサザエ一個、牡蠣一個、牛タン一枚しか食べた記憶がない。道理で腹に入る訳だよ。

民宿の夜は早い。22時消灯。そんな中薄暗い民宿のロビーで同世代の小石さん、うさぎさんと風呂上りのビール片手に語り合う。女三人の秘密の会合状態。そんなふうにして気仙沼の夜は更け行くのでありました。

(後篇につづく)

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