2013-09-29

朝の爽波86 小川春休



小川春休




86



さて、今回は第四句集『一筆』の「昭和六十一年」から。今回鑑賞した句は昭和六十一年の初冬の句。十一月頃であろうと思われます。昭和六十一年十一月には、「青」の東京句会鍛錬会のため七沢温泉へ。なお、「青」二月号から連載開始の「枚方から」、十一月号はこんな感じの回想を主とした文章の後、「素十俳句抄」として新潟時代の句から八十句抄出しています。
(前略)高等学校時代の終わり頃、京極杞陽さんのお宅を屡々訪れて素十俳句の面白さを教えられ、兄弟に来て田畑比古、粟津松彩子の良き先達二人に伴われて京都の周辺や近江などへ足を伸ばして、俳句とは「何々を見に行って作る」ものという考え方に、急速に傾いて行った訳である。
 勿論、そうしているうちに素十俳句が面白くて堪らぬ、そして素十俳句を学ぶことが即ち写生を勉強すること、という確信が一本身裡を貫くようになったのである。
 「猟夫」のくらし、「炉」のあるくらしを写生しにと雪深い洛北の雲ケ畑や花脊へ連れて行って貰ったり、「黐流し」の一部仔細を見るために、厳寒の琵琶湖の夜半や早暁を舟の上で過ごしたり、とても一人では行けない所、見られない物などに引っ張って行って呉れた比古、松彩子のお二人には、今以て感謝の念で一杯である。
 それもこれも「ホトトギス」に続々と発表される素十の新潟俳句、そして戦後間もなく待望の句集『初鴉』が出て、改めて素十俳句の全貌に触れ得て益々この道に勇気づけられてのことであった。
 そして「歳時記」とは日本の「農耕文化の所産」なりとの確信もまた深まったのである。
(後略)
(波多野爽波「枚方から・写生とは(その三)」)

髭剃りしあとに血の粒簗崩れ  『一筆』(以下同)

秋、産卵のために川を下る鮎を獲る仕掛けが下り簗。晩秋にはその簗も役目を終え、崩れかかっているのを目にする。上五中七、非常に個人的な事柄が詠み込まれているが、この時期特有の冷え冷えと乾いた朝の空気を、読み手にも体感的に感じさせる描写である。

多すぎるとおでんの種を叱りけり

蒟蒻・大根・はんぺん・竹輪などの種を煮込むおでん。その作り方は、地域毎、家庭毎にも差異がある。掲句では罪のないおでんの種が叱られているが、これもひとえに叱った人とおでんを作る人とが異なるおでん文化の中で育ったことに起因するものであろう。

鉄階を下りきて枯るるもの高き

建物の側面の鉄階段を下り、地に足が着いた時に初めて、枯草の高さに気付かされる。野の枯草の丈が高いというのは継続的な状況であるが、その事に作中主体が気付く瞬間に焦点が絞られていることがこの句の眼目であろう。枯野に響く鉄階段の響きも印象的。

芭蕉堂庵主外套黒眼鏡

この芭蕉堂は恐らく、江戸時代中期に加賀の俳人・高桑闌更が芭蕉翁を偲ぶため、芭蕉にゆかりの深い京都東山の地に営んだことに始まる芭蕉堂か。 掲句は何代目の庵主か、堂からの外出か堂へと帰着したのか、外套に黒眼鏡でビシッと決めた姿にぎょっとさせられる。

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