2013-09-08

【特集・俳句甲子園】 愛と幻の俳句甲子園(1) 青木亮人

【特集・俳句甲子園】
愛と幻の俳句甲子園(1)

青木亮人



下記拙文は、「愛媛新聞」9月3日文化欄の掲載記事に加筆・修正を加え、転載したものである(原文は「愛媛新聞ONLINE」で公開→http://bit.ly/1a56lyD)。

大会当日は数多くの出場者にインタビューを行い、またOB・OGや関係者からも話を聞かせてもらう機会を得た結果、記事としてまとめることができた。しかし、紙幅の都合もあり、全てに言及できなかったのは心残りである。

そのため、今後も出場者へのインタビュー内容等を「週刊俳句」で断章風に報告予定であり、今回はいわば第1回目に当たるものとして拙文をお読みいただければ嬉しい。

なお、俳句甲子園に関する拙文やツイッターでの呟き等に目を留めて下さり、声をかけて下さった「週刊俳句」編集者に感謝申し上げます。


1 俳句と青春

これから記すことは今年の俳句甲子園に審査員として参加し、また多くの出場チームや関係者にインタビューした内容の一部とその感想である。

かつて建築家ミース・ファン・デル・ローエが述べた言葉、「神は細部に宿る」を信じつつ、いくつかの断片を紹介することで俳句甲子園の「何か」を感じてもらえればと願う。


ある高校の図書館には句集その他の蔵書がほとんどない。出場チームは文芸部メンバー(好きな小説家は有川浩や西尾維新、神永学など)で組み、

白 蓮 や 水 は り つ め て ゐ る 夜 明 け

等の句で勝負したが、惜しくも敗退した。選句の際にどの句で勝負するか話しあい、俳句甲子園としての作品を選んだが、勝利に結びつかなかったのだ。

一方、ある学校の図書館には個人作家の全句集やアンソロジーがあり、文芸部俳句部門の生徒たちは自由に手に取ることができる。歳時記は先生がプレゼントしてくれた。

部員は何より歳時記を読みこみ、季語の特徴や例句等を学びながら句作に励むことが多い。顧問の先生も熱心に応援してくれる。

大会前は週に2、3回の句会をこなし、吟行にも出かける。ただ、部員が多くないためディベート練習は不足がちだ。多ければ2チームに分かれ、ディベートの訓練もできるのだが、そこまでには至らない。

同じように、あるチームも俳句甲子園に勝つため日々句作とディベートの練習を重ね、顧問の先生も熱心で指導に余念がない。

部員と顧問の問題意識は一致している。「俳句甲子園で優勝するには何をすればよいか?」。それが全てであり、この目標以外はさしあたり「俳句」ではない。だからこそ少々厳しい練習にも耐えることができる。彼らは「優勝したい」と真剣に願っているのだ。

かたやある学校は、勝敗もさることながら「面白いかどうか」で選句を決めることが多く、他校と感覚の違う作品で勝負に出ることもある。

人 類 は 雑 音 ま み れ で す 目 高

これは他チームならまず出さない句だ。「私たちは運動部と違う、面白いかどうかを優先したいし、その方が楽しい」「先輩たちには『句が面白ければ勝てる』という雰囲気があった。だから私たちもそう感じるようになった」。そう言って屈託なく笑う姿が印象的だった。

出場者の多くは過去の先輩の句や大会の最優秀作などを読み、また歳時記を参考に「俳句らしさ」を学んでいく。その中でディベートしやすい作品を詠むように心がける生徒もいれば、自分なりにベストを尽くした句で勝負することに意義を感じる出場者もいる。

今回、その彼らと話して興味深かったのは、「好きな俳人は?」と聞かれて即答した人がほぼいなかったのに対し、「好きな小説や漫画家、ミュージシャンは?」という質問には目を輝かせて答える出場者が多かったことだ。

彼らは桜庭一樹や小川洋子、伊坂幸太郎などを愛読し、マンガ『ジョジョの奇妙な冒険』を読みふけったりする。俵万智が好きという生徒、また佐野元春のファンもいれば、K―POPに夢中の生徒もいた。

出場者の大部分は高浜虚子や中村草田男、高柳重信や阿部完市などの近現代俳句史をほぼ知らない。句会以外に勉強会を設け、昔の俳人を研究するチームもまれにあるが、歳時記の例句を難しいと感じる出場者もいる。

彼らの多くが感動するのは〈夕立の一粒源氏物語〉〈小鳥来る三億年の地層かな〉など過去大会の最優秀作であり、〈つまみたる夏蝶トランプの厚さ〉などの審査員の句である。それで十分なのだ。

これらに対し、「俳句甲子園は狭い世界に過ぎず、それ以外の俳句観もあることを知らない」「勝敗を決めることに問題がある」「作品のレベルが低い」等の批判もある。

しかし、考えてみてほしい。彼らは「普通」の高校生であり、俳句に人生を賭けた俳人ではない。

たまたま学校が俳句甲子園に縁があったため参加したとか、人数が足りないので友人に誘われた出場者もいる。いつもは運動部に所属し、ライトノベルを読んだりJ―POPを聴くような普通の高校生が、出場すると決まったために自分なりに良い句を詠もうと一生懸命になった結果が多くの作品なのだ。

その彼らが大会に出場し、勝利するとガッツポーズを決め、敗北すれば泣き崩れる。当たり前の話だ。出場する以上は大会ルールが何であれ、「勝ちたい」と願うのは出場者として自然の心情であろう。

その彼らに対し、批判する論者は何を求めているのだろうか。

トーナメントがいけないというのであれば、140試合のリーグ制(できれば2リーグ)で優勝校を決めるべきというのだろうか。

作品のレベルが低いのであれば、「廃工場のギリシャ風柱頭まひるの藤 竹中宏」といったアートな俳句を求めているのであろうか?

そもそも勝敗で分けることがいけないという場合、たとえば松山の大街道商店街に出場者一同が集い、全員が俳句を披露しあった後に肩を組んで「みんな違つて、みんないい」と朗読するような「癒し系俳句大会」が良い、となるのだろうか。

繰り返すと出場者の多くは「普通」の高校生なのだ。スポーツならまだしも、平成期の日本で俳句にこれだけ一喜一憂する高校生の大会があることがどれほど凄いことか、簡単に批判する論者はその意義を実感できないのではないか。

加えて、「勝敗を決めるのはよくない」というのであれば、新聞俳句欄や結社主宰の選に一喜一憂することもダメなのだろうか。各出版社や地域が定めた賞はどうなるのだろう? といったことも関係してくるだろう()。

俳句甲子園での「勝敗」の是非と、俳句(と短歌)特有の「自選ではなく、主宰等の『他選』が重んじられる」世界観は重なる点もあり、これについて個人的に感じることはあるが、今回は省略する。

ところで、これは(たぶん)誰も指摘していないが、大会出場者は多様な感性を秘めており、たまたま勝利に結びつかないか、本人が気付いていないだけで、実は豊かな可能性を秘めた場合が多い。

それは決勝まで進む学校の句や優秀句等のみ眺めるのでなく、負けた句や大会で披露しなかった作品(全チームは勝ち進む場合を想定し、決勝までの句を用意している)も併せて鑑賞すると、さまざまな感性が渦巻いていることに気付かされる。

ある初戦敗退チームが出した句を見てみよう。

蓮 の 花 み ど り の 池 に 浮 い て ゐ る

この句はかの高浜虚子率いる昭和期「ホトトギス」を彷彿とさせる作風で、具体的には藤後左右(とうごさゆう)の「写生」句に近い。たとえば、「ホトトギス」昭和5年11月号雑詠欄に入選した左右の作品を見てみよう(この号で、彼は最大の栄誉とされる巻頭の次に相当する第二席に入選した)。

萩 の 野 は 集 つ て ゆ き 山 と な る
噴 火 口 近 く て 霧 が 霧 雨 が
う た ひ ゐ る 声 の 二 重 や あ ぶ ら 蝉
曼 珠 沙 華 ど こ そ こ に 咲 き 畦 に 咲 き

先の「蓮の花」句の「写生」とユーモアは、高浜虚子が高く評価した上記作品に通じるセンスが感じられる。

惜しくも勝利には結びつかなかったが、「蓮の花」句と「夕焼や千年後には鳥の国」(今年の最優秀句)とをフラットに並べて鑑賞する時、俳句甲子園の今一つの可能性が見えてこないだろうか。

ただ、これは研究者の視点なのかもしれない。一般的に「蓮の花」句は佳作と見なされないだろう。

そもそも、出場者に大切なのは俳句甲子園という「場」であり、そこで勝負し、多くの人と語りあったという記憶である。

彼らの中には高校卒業後も俳句に打ちこみ、俳人を目指す人がいるかもしれないが、多くは俳句甲子園が懐かしい思い出となり、平凡な日常を暮らす社会人になるはずだ。

ある出場者(3年生)は大会後にツイッターでこう呟いた。

「私がこれから俳句に触れるのは俳句甲子園のOB・OG会くらいしかないと思うの。俳句が好きというより俳句甲子園が好きなんだと思う」。

高校生のある時期にさまざまなきっかけで句作に熱中し、四国の松山で笑い、泣き、喜びと悔しさとともに仲間と出会い、俳句について語り明かしたということ。

大会が終われば俳句とともに過ごした日々はほぼ戻ることなく、それゆえ大切な思い出となる。俳句甲子園はその意味でまさに「青春」なのだ。これ以上、何を望むことがあろう。


決勝戦で開成高校が7度目の優勝を果たした翌日の夕方、高柳克弘氏(審査員)と神野紗希氏(松山東OG)、また甲子園OB・OGの皆さんと句会を行った。いずれも2日間に渡る俳句甲子園に関わったメンバーで、大会の余韻を漂わせての集いである。

道後温泉駅近くのカフェで各自3句提出し、全員の句から5句選ぶ。一人ずつ自己紹介しながら選句を読み上げる際、沖縄の高校OBの一人が「憧れの俳人は高柳・神野両氏です」と言った。

正面からの告白に高柳氏は微妙な表情を浮かべ、神野氏は照れている。私が「どう好きなんですか」とツッコミを入れると、OBは「それは言えません」と赤面した。一同、笑いに包まれた。

今年の大会出場者もそうだったが、彼らの中で神野氏は憧れの存在であり、特に「カンバスの余白八月十五日」(2001年の最優秀作)は大会史上の傑作として今も多くの関係者が諳んじている。沖縄のOBの方もその句のファンということだった。

大きな窓から夕日がさしこむ部屋で、元出場者たちは高柳・神野両氏と句会をする幸せとともに、それぞれの俳句甲子園の名残を慈しみ、悼みつつ懐かしんでいるようだった。

(第1回・終)


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