2013-10-27

空蝉の部屋 飯島晴子を読む〔 11 〕小林苑を

空蝉の部屋 飯島晴子を読む

〔 11 〕


小林苑を


『里』2012年2月号より転載(加筆)

泉の底に一本の匙夏了る   『蕨手』

いまさらこの句とも思うが、晴子の出発点である掲句から、もう一度、晴子句を振り返ってみたい。
晴子が俳句をはじめた『馬酔木』に袂をわかって藤田湘子らが『鷹』を創刊。晴子も『鷹』の同人となる。その時代について、『鷹』のホームページ〔*1〕は次のように記している。 
 昭和三十九年 藤田湘子が中心と鳴って『鷹』を創刊。水原秋櫻子の下で湘子が編集長を務めていた『馬酔木』の底辺をひろげ、俳句の実作や批評を活発にすることが目的でした。
 昭和四十一年 飯島晴子が第一回鷹俳句賞を受賞。晴子はこれ以降、湘子とともに『鷹』を代表する作家として評論と作品においてめざましい活動をします。
 昭和四十三年 湘子が代表同人から主宰となります。有季定型の伝統俳句を踏まえつつ、柔軟に時代の空気を吸い俳句の可能性をひろげようとする『鷹』の歩みは、ここに本格的にはじまりました。(―略―)
 昭和四十六年 湘子が現代俳句協会に入会(のちに副会長を経て退会)。『鷹』の作品がもっとも前衛的傾向を強めた時代です。
『蕨手』は昭和四十七年の刊である。

湘子は「序」に「泉の句は、『鷹』がまだ創刊当初の混沌としたなかで、私に飯島晴子の名を印象づけた一句であった」として、次のように書く。「ここから飯島さんの新しい出発が見られるのではないか。そう漠然と思った。しかし今日のようなきびしい作家に成長することは、実は予測もしていなかった。いまふりかえってみると、俳句を告白の詩から認識の詩として自覚しはじめる過程に、当時の飯島さんはさしかかっていたのだと思う

その後の飯島さんは、急激に変貌の歩みをつづけた。作品が情緒と妥協することを、極力拒んだ。―略― ひたすら情緒という皮下脂肪を削ぎ落としていった。見えるものと対峙して眼をこらしていた飯島さんは、次第に、見えるものをとおして見えない世界へはいりこんでいった

晴子自身の自解もある。「(義兄の山荘の側に湿地があっり) 泉というのは、その湿地の縁に草のかぶさった水たまりである。しかしそこで一本の匙を見たのではない」「(家の近くに豆腐屋の) 前の道路に瓶の王冠が沢山埋め込まれているのが、いかにも晩夏の感じであった。机に坐って、豆腐屋の前の道路と、蓼科の高原の夏終わる気分とを思っているとこの句になったのである〔*2〕

思ったこと、いいたいことを書くのではない。見たことをそのまま書くのでもない。新たな景を作り上げること、そのための素材として、蓼科の水たまり、豆腐屋の前の王冠がある。それが晩夏の泉、底に沈んだ匙に変わるというのは、晴子の掴んだ作句法をよく伝えている。

『蕨手』は揚句からはじまり、< どこからとなく灯りだす雪の村 > < 鍋の耳ゆるみしのみが女の冬 > < わが才や焙る干鱈の塩漬ける > < 雪を来て光悦消息文暮色 > < ベトナム動乱キヤベツ一望着々捲く > < 梅雨の夜の勁き莨火とすれちがふ > < 旅客機閉す秋風のアラブ服が最後 > と続く。ここまで難解な句はなく、おそらく目にしたであろう景や物から物語を紡ぐ。

「やがて、俳句を認識の詩として確信したに違いない。そう思える一句に出あった。四十五年作の 一月の畳ひかりて鯉衰ふ である。この作品は、ものの性質や形態をうたうことから、ものの存在をとらえる作家に成長したことを証明している。だがその当然の帰結として飯島さんは、言葉との果てしない格闘に身を委ねることとなった。作品として書かれた言葉のうしろに私は、そうした格闘によって流れ去った膨大な時間を知っている。それゆえに、「『蕨手』一巻は強烈な迫力で私をおびやかすのだ」。

評価の定まった句集について書いているのではなく、これから出る句集への序なのだ。湘子の書きぶりからは、時代の空気を感じる。『鷹』のホームページのいう「前衛的傾向」は俳句界全体の傾向でもあった。湘子をおびやかした句群は、見たものが言葉になっていくまでの時間は消され、新たな一瞬をつぎつぎと映し出しす。

どんな句が佳句かは意見が分かれ、時代を背負う。けれども、どんな句が好きかは、読み手の中にある。そして、誰もが、というのがいい過ぎなら、多くの人の心に残る句、好きになる句がある。掲句もそんな一句だろう。

透明な揺らぐでもない水を通して見える、銀色の小さな匙。その景だけで、ひややかで静かな空気が身体に沁み込む。そこに「夏了る」と置かれることで、晩夏の物悲しさが一気に押し寄せる。

風に秋の気配を感じると、いつも私は掲句を思い出し、水底の一本の匙を見つめる。


〔*1〕『鷹』ホームページ http://www.k4.dion.ne.jp/~takahaik 「鷹の歴史」
〔*2〕 『飯島晴子読本』「自句自解」

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