2013-10-06

朝の爽波87 小川春休



小川春休




87



さて、今回は第四句集『一筆』の「昭和六十一年」から。今回鑑賞した句は昭和六十一年の冬、煤払の句が見られるので、十二月頃であろうと思われます。「青」二月号から連載開始の「枚方から」、十二月号はこんな感じ。
(前略)「景」を描くより先ず「人」を描け。人の「動き」を徹底して描いて、「何を描いて何を捨てる」のかを身体で覚えて、先ず写生への入口を突破して貰いたいのだ。
 いつも第一に強調している「多作多捨」など、この入口を身を以て突破するには必須の条件である。
 従って多作多捨の出来ない人は、遂には写生とは無縁の人に終わる訳である。
(中略)いま一つ、最後に付け足すとすれば、写生とは気力であり粘りであるということ。
 一つの対象を相手に、一時間や二時間ぐらい粘れないで何とする。
 気力、そして粘りの中からフッと予期もしなかった物が見えてくる。「授かりもの」である。
 そのとき思わずドキリとする。これこそ私がいつも言う「手応え」であり、この手応えの積み重ねの中から、自から「写生の力」が備わってくるのだ。

(波多野爽波「枚方から・写生とは(その四)」)

脱いである褞袍いくたび踏まれけり  『一筆』(以下同)

家庭や、旅館で浴衣の上に羽織る、広袖で綿の入った褞袍。綿を入れずウール地で作ってあるものも。やや厚手で嵩張るため、脱いで畳まれずに投げてあるのは非常に邪魔。踏まれた部位が窪んだままになっているのも、ボリューム感のある褞袍ならでは。

申し訳ほどの鏡台浮寝鳥

水に浮いたまま眠っている鴨・百合鴎・鴛鴦などを浮寝鳥と呼ぶ。掲句の申し訳ほどの鏡台が置かれている景は、様々な場面と読み得るが、どうも私には旅の途中の、旅館のささやかな一間のように思えてならない。窓外の浮寝鳥と境遇を重ねてしまうからであろうか。

赤ん坊の尻持ち上ぐる冬座敷

まだ背丈の低い赤ん坊の尻周りのボリューム感、それがおむつでより一層強調されている。まだ立つことにも慣れていないのであろう、うんしょ、と力を入れて大きな尻を持ち上げるようにして立つ。冬座敷の静寂の中、力を振り絞る赤ん坊の姿に、見守る方も息を飲む。

手が冷た頬に当てれば頬冷た

当然、師・虚子の〈手で顔を撫づれば鼻の冷たさよ〉が念頭にあっての作であろう。味読すれば、虚子句の方は、我が身をもってしみじみと寒さを噛み締めるような趣の句だが、掲句には、その冬初めての本格的な寒さの到来に驚くかのような初々しさが感じられる。

闘牛士の如くに煤を払ひけり

赤い布をはためかせ、軽やかな身のこなしで猛牛の突進をかわす闘牛士。年末に家屋・調度の塵埃を掃き清める煤払の動作と、闘牛士の動きとの類似から、煤払をする人の様子が見えてくる。それは単に動作だけに止まらず、煤払にかける意気込みまでも伝わってくる。

2 コメント:

如月真菜 さんのコメント...

ずっと赤ん坊のおむつを替えている景だと思っていたよ。布おむつでも持ち上げるじゃない?違うのかな?

小川春休 さんのコメント...

なるほど。「赤ん坊の尻」を持ち上げるということですね。そう言われたらその方が自然な読みという気もします。