2013-10-20

朝の爽波89 小川春休



小川春休




89



さて、今回から第四句集『一筆』の「昭和六十二年」に入ります。今回鑑賞した句は昭和六十二年の春、三月、四月頃かと思われます。昭和六十二年四月には、五年ぶりの健康診断を受けてますが、この年齢で健康診断の間隔が五年も空くのはどうなんでしょうか。毎年、少なくとも一年置きぐらいで受診しといた方が良かったんではないでしょうかねぇ…。「青」に連載の「枚方から」、三月号はこんな感じでした。
 一体、誰々に就て俳句を学ぶ、そして懸命に努めて作家として自立できるようになるとは、具体的に言ってどのような過程を辿り、どのような体験を修得することなのだろうか。
 これは句を学ぶ誰にとっても大変重要な命題である筈だ。
(中略)私は高濱虚子を師と仰ぎ、多分に恵まれた環境の中でひたすらこの事のみに終始した期間を長く持ち得た幸いを、今もなお深く噛みしめている。
 自分の手応えのあった句に殆ど丸か二重丸が付いて句稿が戻ってくる迄には、何年の努力を要したことであったろうか。
 どこやらの句会で沢山点が入ったとか、先輩に賞めて貰ったとか、そんな事には全く関係なく、唯だひたすら一句生成の際の己の手応えのみに頼って、幾多の肩すかしにもめげずにその事を貫き通した。
 確かにこれという手応えのあった句は殆ど師の選に入る。斯くあってこそ、その人を師と選び、師との間隔を少しずつでも詰めて行ったと言えるのである。
 「手応え」とはさて一体どういうものなのか。これは到底、言葉や文字を以っては伝え得ない。
 ただ一言、言い得るとすれば、私がこの欄で執拗に言及してきたようなやり方での「写生」を通過せねば永久にその手応えは体得できぬ、ということである。

(波多野爽波「枚方から・すべては手応え(その一)」)

墓原に出でたる地虫同志かな  『一筆』(以下同)

気温等の影響か、地虫が穴から出て来るのは申し合わせたように啓蟄の頃である。掲句でも、それぞれ違う穴から別の虫が出て、地下には死者の眠る墓原という場所で再会(もしくは初対面)を果たしている。「同志」がどことなくユーモラスで親しみを感じさせる。

卒業のまつすぐ馬場に来てゐたり

三月は卒業の季節。卒業と言うと、将来への希望や同窓生との別れに感傷を抱いたりするのがパターンであるが、掲句はそうした感傷とは無縁だ。馬の背にあって凛とした姿が目に浮かぶが、どこか感傷とは無縁であろうと気を張っているようにも感じられる。

磯遊びがてらに僧の顔を見に

春、暖かくなった磯辺で過ごす磯遊び。掲句では、海近くに馴染みの寺があるのか、磯遊びのついでにその寺を訪れている。そこから、久々に訪れた昔馴染みの懐かしい磯辺であることも窺われる。句中では触れられていない、僧の温顔も不思議と目に浮かんでくる。

草芳し伝書鳩にて交信し

高い飛翔能力と帰巣本能を利用して通信を行った伝書鳩も、電話等の発展により通信手段としての役目を終え、レース鳩として飼育されている。春が訪れ、草芳しくなる頃は、鳩を飛ばすのにも適した時期であろう。同好の士同志の、鳩を介した穏やかな交流。


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