2013-10-13

【週俳9月の俳句を読む】 うす紅の秋桜が秋の日の 堀田季何

【週俳9月の俳句を読む】
うす紅の秋桜が秋の日の

堀田季何


愚かなるテレビの光梅雨の家 高柳克弘

「愚かなる」が効いている。「愚か」といってもテレビを見ている人間の思考でも、テレビ番組の内容でもなく、テレビの光という物理現象であり、そこが好い。

めだかああママなんて言う人はきらいです 内田遼乃
めだか私の愛は電話帳より重たいの

1996年生まれの高校生。(句を見た限り)前途有望である。型の勉強もするべきだが、変な型にハマらずに自由にハイクを書いているのが良い。俳句甲子園の東京予選に出したという「めだか、三号機の代わりなんていないの」も面白い。

自由律俳句作者といえば、一般的には五七五よりも短いものを書く人が多いが、河東碧梧桐や橋本夢道など、内田のように長いものを書きたがる人も存在する。それ自体に問題はない(むしろ大歓迎である)。

ただ、いくつかの作品は明らかに長すぎる……文字数や音数の問題ではなく、省略が効いていなくて弛緩してしまい、切れやキーワードが不発になっている。つまり、無駄に長いという事だ。三十音前後使っても立派に俳句になる作品もあれば、短歌にしかならない作品もある。「世の中の関節外れてしまったというか折れたんでしょめだかさん」「きみのわんこちゃんになりたいよわんわんとめだかがいったの」「はつなつの夜ケチャップに染まった君が美しくて僕はもどしてしまったの」「ばっきゅーんうちぬかれたハートはもうはつなつのチョークのよう」「陸でしか生きられない人間って悲しいってめだかが言ったの」「私を月につれてってなんてはつなつのぬるい海で我慢してね」などは自由律短歌としか呼べない。最後の句は、九堂夜想の改作例「私を月につれてってなんてはつなつのぬるい海」で充分。

俳句を始めたばかりの高校生には要求しすぎかもしれないが、今が大事。「内容に丁度良い長さ=切れ、表現、リズム、キーワードが活きる長さ」を把握することこそが自由律俳句の骨法。作者の将来が楽しみである。


地響きのして秋麗の鼓笛隊 村田篠

秋晴の中を行進していく幼い少女達の鼓笛隊が麗しく感じられるのはよくわかるが、「秋麗」という語彙は多少抽象的かつ綺麗すぎる気がする。それに対し、「地響き」という物理現象が持つ負のイメージが面白い。三崎亜記の小説「鼓笛隊の襲来」を思い出す。


溢蚊をそつとはらひて告白す 今泉礼奈

一読驚愕。蚊アレルギーである評者なら、「そつとはらひて告白」するどころか、いかなる形でも告白せずに、相手を置いてさっさとその場から逃げだすか、溢蚊の抹殺に乗り出すであろう。つまり、評者にとってはリアリティーが感じられない句であるが、作者にとってはリアリティーがあるのかもしれない。恋の情熱が蚊の恐怖に打ち勝つ情景、と解釈しても間違ってはいないだろうが、真冬でも水着姿で屋外撮影に応じるアイドルのような状況、と解釈した方がより正しいかもしれない。さすが「みんなの俳ドル・れなりん」!


お母いたか塩摑もぅと故郷想う 仁平勝
新富座若き女形紅一点 

全部解けたが、上の二句が一番楽しめた。前者、「岡井隆」と「塚本邦雄」をよく一句に収めたなという感じ。後者、どこかフェミニンな「富澤赤黄男」の風貌から彼の女装姿を連想してしまった。


肉塊入スープ澄みゆく秋は金 北川美美

スープ自体も美しい金色をしているのであろうが、そう言わずに「秋は金」と秋の描写にしたところが技。「金秋」(秋の異名)はなかなか使われない季語なので、読者としては得した気分。「スープ澄みゆく秋は金」の美に対して、「肉塊入」の醜を持ってきたところも好い。



第332号 2013年9月1日
髙柳克弘 ミント 10句 ≫読む

第333号 2013年9月8日
佐々木貴子 モザイク mosaic 10句 ≫読む
内田遼乃 前髪パッツン症候群 10句 ≫読む

第334号2013年9月15日
村田 篠 草の絮 10句 ≫読む

第335号2013年9月22日
小早川忠義 客のゐぬ間に 10句 ≫読む
今泉礼奈 くるぶし 10句 ≫読む
仁平 勝 二人姓名詠込之句 8句 ≫読む

第336号2013年9月29日
北川美美 さびしい幽霊 10句 ≫読む

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