2013-11-10

【週俳10月の俳句を読む】それぞれの異彩  津髙里永子

【週俳10月の俳句を読む】
それぞれの異彩

津髙里永子


豚しまひ忘れし十六夜の産着  荒川倉庫「豚の秋」

豚の眼帯とれかかり昼の月  同

冒頭に〈爆発以後豚が育ててゐるコスモス〉という句があるので、フクシマの原子力発電所のことを思わずにはいられないが、これら10句の中で私はこの2句が特にブタらしく異彩を放つ句と思った。1句目、十六夜のゆがみ感がブタの鼻を思い出させ、ブタの絵の産着をしまい忘れたというとぼけたところがおめでたく、美しい。産着という素材も、作者の子に対する愛情とともに、ブタへの愛情も感じられて好感が持てる。2句目の、この眼帯も独眼竜正宗っぽくて切なさが溢れている。全国のブタさんへ、エールを贈りたくなった。


牛臥して鼻の先まで虫の闇  鈴木牛後「露に置く」

獣医師の黒き野帳や秋気澄む  同

作者が俳号を「牛後」とつけられただけあって、この世をひきずってきたものの重たさを真摯に受けとめようとされている。〈斃獣と呼ばれしものを露に置く〉など、生きていくこと、死んでいくことの凄さ、残酷さが手にとるようにわかる句であるが、ここまで力のある作者ならば「呼ばれしもの」という表現で済ませないで、もう少し肉薄する表現がほしい気がした。掲句1句目には、虫の夜の澄み切った空間が、牛の存在によって、その鼻先から一転、どんよりした生ぬるさに変わるという温度差が伝わってくる。2句目の「野帳」(フィールドノート)という言葉も「獣医師」「黒き」「秋気」「澄む」という一連の言葉と響き合って、隙も無駄もない骨太の句となっている。


秋風に連れ立ちて来るインド人  村越 敦「秋の象」

鶏頭を折りて秋元康かな  同

秋風とインド人という組み合わせの意外性に惹かれる。インドというと暑い国という印象しかなかったのだが、サリーとかターバンとかを優雅に着こなすインド人に、その黒い眼でみつめられたら、一陣のさわやかな風が確かに吹くにちがいない。掲句に出合ったことで、インド人の褐色の肌に悠久の大地を感じるようになった。2句目、あのAKB48の総合プロデューサーで飛ぶ鳥を落とす勢いの作詞家、秋元康なら、ぶあつい鶏頭の襞を折って出てくる演出など、オチャノコサイサイ。そして、誰にも文句は言わせない、ふてぶてしさは鶏頭にも相通ずるものがある。


秋声のひとつに2Hの鉛筆
  髙勢祥子「秋声」

パンパスグラス頂点をつくりゐる  同

絵を描くと即座に俳句が浮かんでくるひと、いや、俳句を作りながら同時に絵も描けるひとなのかもしれない。秋の声もパンパングラスが受ける風も、すべて、さわやかなタッチで絵にできるひとなのであろう。羨ましいかぎり。ただ、立体図はまだ、少々苦手の作者とお見受けした。


ともだちが帰つてこない冷蔵庫  西原天気「灰から灰へ」

風一片灰から灰へのりうつる  同

他人の家の冷蔵庫を平気であける子どもがいて、びっくりしたことがあるが、1句目は作者の微妙な気持ちがよく出ている句。例えば、友人のところに遊びに行っていて、急に人が用で出かけることになってしまった場合、すぐに帰るから待ってろよ、勝手に冷蔵庫の中のもの、飲んでていいよ、なんて言われても、きっとこの作者はすぐには開けないタイプなのである。やせ我慢というか、品が良いというか、ほんとはビールをぐいって飲み干したくてしょうがないのに、まあ、すぐに帰ってくるだろうと律儀に待っている作者。どうぞ、ご自由に、などと言われると妙に堅物になってしまう可笑しさが可笑しい。2句目、灰から灰へのりうつって何が面白いのだろうと、しばし考えた。そういえば、かつて鈴木六林男に「つまらないものをつまらないように詠む。それが出来てからの俳句だ」といわれたことがある。この句は、きっとその辺の機微を言葉に描きたかった句なのだろう、と思うことにする。


しぐるゝや海苔弁うすく醤油味  上田信治「SD」

鍋釜に把手やさしき月あかり  同

短歌の前書き?が1句1句についていたが、なにはともあれ、上田信治調の俳句は、どの短歌を持ってきても変わらない。変わらないから上田信治なのである。掲句などは、ここだけの話だけれど、前書きの短歌よりビシっと決まっているではないか。しかし、もし、それぞれの短歌の色にきっちりと合わせることを意図としていたのだとしたら、これらの俳句は失敗作ということになる。

2句目、家人が寝静まった深夜、小腹を満たそうかと台所にやってきた作者の目に、月にひんやりと輝く把手の丸みが、とても美しい代物に見えたのだろう。鍋釜と、その使い手の家人に、いつになく感謝の念が湧いてきた作者であった。


何もこはせぬ胎児金木犀
  山口優夢「戸をたたく」

戸をたたくやうに夜長の胎動は  同

第一子が生まれる作者。手放しで喜ぶ句ばかりでないのが共感を呼ぶ。特に、生まれないうちから、「まだ何もこわさない」人間(胎児)であることに気がつく作者はやはり、俳人としてプロ意識に徹しているといえよう。そう言われれば、胎児というのは細胞も増えはするけれど減りはせず、成長ひとすじの時期である。2句目の「夜長」という季語が絶対かどうかはさておいて、オクサンと二人で、胎動に耳を澄ませている光景は、いいよねえー。


雁の鳴くゆふぐれならば輪の浮かぶ  生駒大祐「あかるき」

雁の空や交はる壁二枚  同

雄大な句。同じ雁の句を詠んでいても、1句目は「輪」というしなやかさを詠い、2句目は雁の棹の守りの堅さを「壁」の強さに譬えて詠ってある。腹の底まで深い息のできる作者なのだろう。こういう作者がいれば、日本の豊かな自然が、そんなに損なわれずに済みそうだというような安心感に満たされた。


なめくじり夢殿ひとつ産みおとし  高橋修宏「金環蝕」

白金の坩堝に白蛇とぐろ巻き  同
 
デフォルメの技法による1句目なのだが、それが全然いやらしく感じさせないところが作者の技量。暗くて湿ったところが好きなナメクジは雌雄同体で、貝殻が全く退化した陸生の巻貝だという。天平様式の夢殿が建ったころよりずっと前から、この世に棲息していた原始的な風体が、夢殿を産みおとすという表現によって、いよいよ妖しいものに感じられてくる。2句目の白蛇のまばゆさは、まさに王者のように君臨したいという、作者の願望のあらわれか。


第337号 2013年10月6日
高橋修宏 金環蝕 10句 ≫読む
第338号 2013年10月13日
西原天気 灰から灰へ 10句 ≫読む
上田信治 SD 8句 ≫読む
第339号 2013年10月20日
山口優夢 戸をたたく 10句 ≫読む
生駒大祐 あかるき 10句 ≫読む
村越 敦 秋の象 10句 ≫読む

第340号 2013年10月27日
鈴木牛後 露に置く 10句 ≫読む
荒川倉庫 豚の秋 10句 ≫読む
髙勢祥子 秋 声 10句 ≫読む


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