2013-11-10

2013落選展を読む(1)言葉で、モノの質感を 対中いずみ 

2013落選展を読む(1)
言葉で、モノの質感を

対中いずみ


俳句は読み手を必要とする文芸だ。

もちろん最終的には、句集として不特定多数の人に読んでいただくのではあるけれども、ある特定の人に一定期間、俳句を読んでもらうことがが必要だ。句会の互選であってもいいし、結社の主宰であってもいい。もっと個人的な関係であってもいい。誰に俳句を読んでもらうのか、は、ほんとうはとても大事なことだと思う。

田中裕明を亡くしたあと、京都で竹中宏さんに俳句を読んでもらえるようになったことは幸運だった。厳しい批評にさらされるし、いつも何かを突きつけられて悩んでしまうけれども。ときには飲み屋でぜいたくな個人授業のようなこともあった。

そのなかで、あるとき、ぽろりとこぼれた言葉がある。「僕は若い頃、爽波さんに連れ歩いてもらったんですよ。飲みながら俳句の話ばっかりして。僕がいまあなたの俳句を見ているのも、爽波さんへの恩返しみたいなもんです」と。

私も、これから落選展の作品17編を読むことで、拙いながらも少しでも恩返しになれば、と思います。何回かの分載になりますが、まずは第1回目をお届けします。



1 神山朝衣「遠道」


春光のとどかぬ道で待つてゐる 神山朝衣

駅か人家の軒先か。自分は影になるところで、人を待っている。春光の明るい方から誰かがやってくるのを待っている。光と影の落差、そこに、人を待つ気分が混じって、すこし孤独。

更衣折り目のつんとかたの上 同

「つんと」が可愛い。「かた」は漢字でいいだろう。

冬ぬくし泡に微かな泡の音 同

シャンパンとかサイダーとかの小さな泡。或いは海辺の波が寄せてくる泡。泡という小さなものに向けられたまなざしに、冬の日がおだやかに添う。

全体に女性らしいやわらかな作品群だ。自分の感性を確かに潜ったものを詠んでいる姿に好感を持つ。が、俳句は、感性的な把握だけに頼っていると淡くなる。言葉で、モノの質感を描けるようになれば、句は強くなるだろう。

≫読む ≫テキスト ≫印刷用


黒木韻石「ライム」

つぶつぶのぷるぷる揺るる涼しさよ 黒木隕石

ゼリーかな。表現は幼いがちょっと面白い。

短所より長所を取りて初句会>〈花吹雪ぽんぽこぽんと腹鼓>などはゆるすぎる。〈モンスーン カミングスーン ハニムーン〉〈Googleでのぞくルーブル美術館〉など言葉遊びの段階だと思うが、その冒険、実験のなかで、奇跡的に次のような句も生まれた。

天の川詩(ポエム)は韻(ライム)響きけり 同

≫読む ≫テキスト ≫印刷用


嵯峨根鈴子「今朝のバス」

さかさまに雲浮いてゐる梅日和 嵯峨根鈴子

に始まり、

全員のたどりつきたる春の罠 同

で終わる一編。クローゼットに隠れると、その奥の扉から雪深いファンタジーの世界に入り込むお話があったが、そのように構成されているようだ。〈この雛のかほには少し嘘がある〉〈くもりのち胡麻斑天牛啼かす哉〉〈つつしんで狐が語るわたしの言語〉などすこし位相をずらしたような歪んだ空間をつくりだすのが得意な作者だ。

集中、次の二句に心から納得した。

月の出やオクラの花がほうと咲き 同
封筒を吹いて銀杏詰め込んで 同

≫読む ≫テキスト ≫印刷用


佐藤文香「踊る子ども」 

うすばかげろふ次に逢つても笑ふだらう 佐藤文香

予選通過作品なので、すでに本選の選者評が与えられている。特に付け加えることはないが、全編を通して、きれいなCMソングを聴くような、短歌として七・七が続いていきそうな印象がある。つまり、俳句を読んだときの、くっとくる快感には乏しい。おそらく文体の問題ではないだろう。

三日月に浅瀬はくだらないところ〉〈立体としての厚揚げ春の月〉〈トンネルや窓にわたしが半袖で〉など、言葉にするのが早すぎるのではないか。把握が浅いところで、いくら言葉つきをいじってみたところで、いい俳句にはならない。

まなざしにちかく照る葉や石鹸玉 同
雨上がり藤は硝子のごとく垂れ 同

にはきらりと光るものがあり、惹かれた。このくらい、把握の段階での粘りがほしいと思う。

≫読む ≫テキスト ≫印刷用


澤田和弥草原の映写機」

草原に映写機ひとつ修司の忌 澤田和弥

50句中、修司忌の句が16句。ひとつの季語で10、20と作り込むのは立派だと思うが、この句1句を残して、あとは捨てるぐらいでいいかと思う。〈春風や少女ピアノに伏して泣く〉〈落つること期待されたる椿かな〉〈亀出でて無能無能とわれに鳴く〉〈卒業や手首の傷を隠しつつ〉などももちろん捨てる。

結局、ほとんどの句は残らないが、作者自身が、ほんとうに捨てて惜しい作品、どうしても捨てたくない作品が、あるかどうか。もっといい汗をたくさんかいてほしい。

≫読む ≫テキスト ≫印刷用


杉原祐之「カナダ」

妻に子がくつついて寝る野分かな 杉原裕之
背中より湯気を発するラガーかな 同

「かな」止めでちゃんと俳句を詠める人が少なくなっているので、この二句は嬉しい。特に一句目は、体温があっていい俳句だ。

全体にカタカナが多いなと感じたが、カナダ在住なら自然なことかもしれない。もう一段上をめざすなら、たとえば、〈海軍の兵学校のヨットかな〉などは、季語「ヨット」を詠んだ、ということ以上に、何も言い得ていないことを知ってほしい。季語に凭れすぎるのではなく、「この句に、発見があるだろうか」と自問してみることを覚えてほしいと思う。

結氷の真つ直中に着陸す 同

潔い作品と思う。

≫読む ≫テキスト ≫印刷用


0 コメント: