2013-11-17

美しいバランスについて考えているうちに書きあがった文章 角川俳句賞最終候補作4作を読む 生駒大祐

美しいバランスについて考えているうちに書きあがった文章
角川俳句賞最終候補作4作を読む

生駒大祐



谷口智行「薬喰」

この人の俳句は古くはないと思う。昔からあるモノを今の人が今の文体で書こうとしているのが、これらの俳句だと思う。ただ、この題材を詠むのであれば、よほど言葉に隙がないのでなければ、過去の句と照らしあわされて弱点を指摘しやすいのは確かかもしれない。

どの路地も溝板小路注連貰

踊るなり風にそよげる稲のごと


たとえばこれらの俳句には隙があると思う。

それとは別の問題として、隙が一切ない句作りをして何の新しいものが生まれるのかという問いはあるとも思う。

影が地に滲むとみれば凧降り来

端居より何か探しにゆきにけり


などがこの枠に収まってしまうのは、個人的にかなり惜しい。

「事実の強さ」や「素材の特殊性」といった、僕にしてみれば句の装飾的な部分に過ぎないところを褒め/貶されすぎないようにするにはどうしたらいいかが問題だと思う。
普通のこと言いますが、句の内容が「事実」かどうかなんて、どうでもいいじゃないですか。


遠藤由樹子「航海」

俳句にはうまく作るパターンと呼ぶべきものがあって、それを知っている作者だなと感じた。

ひとつの傾向としては、ひとつの流れの中に小石を置くように言葉を配置して流れをあえて澱ませるよう作り方がこの50句には何句かある。

蹴れば舞ふたそがれ時の花の塵

萍をつまめばぞろり連なりぬ

初氷朝の小舟の底を拭く


などの「たそがれ時」「ぞろり」「朝の」なんかは、そういうテクニックだと思う。

他にも、二物衝撃がかなり的確に使われているようにも感じた。

山城の空の近さに日傘閉づ

目に見えぬ亡き人蝉の鳴き初むる

冬の蚊を叩けば空の青さかな


ただ、こういうやり方に付きまとう弊害としての、「俳句」を外れた言葉が浮いて見えるという問題に関しては、正面から衝突してしまっているようにも感じた。

半額のパン買ひに出て草朧

花仰ぎ声の出し方忘れさう

分身であるはずもなく夏燕


こういうナマな感じを選の段階で落とすか、それを許容するような作風を自ら作り出すか。できれば後者であって欲しいなと素直に思う。


上田信治「いくつも」

言葉を信じている人だなと思う。それは、言葉という非常に多面的なものが、形式の力を借りて的確に配置されれば人に伝わるのだという信じ方。それはあるいは、願いと言ってもいいだろう。

豆ごはん夕日はとほくから照らす

ひややかに午後のあたまと枕かな

柚子黄色いくつもいくつも空にあり


逆に言えば、普通の話し方で話したのでは、この面白さは伝わらないのではないかという切実さも感じた。

言葉という単語を最初に使った。これらの俳句は、言葉の切身のようなもので構成されている。

うみうしの浮いておよいで海の水

蕗味噌や子どもが泣いて白い壁


これらの言葉は、なんらかの情景や感動を伝えるためにあるのではなくて、構成された言葉自体の美しさで勝負している。

ただ、あえて言えばステージが一句一句の構成を行う段階にはあるが、一連としてそれを積み上げるステージにはまだないような気がする。全体のテンションが揺らいでいる。揺らいでいると、

木の実降る守れないからする約束

レモンゼリー町は昔に作られて


などが少し浮く。

これが50句や100句単位で完璧に構成されたら、どんなに美しいことでしょう。

となんとなく思った。


岡田由季「歓声」

こういう感じの俳句を読むと、少しく困る。それは、僕のアンテナがこの作者の狙っているであろう面白さから外れているからだ。

ビル街を自転車でゆく薄暑かな

エアロビクス初級クラスの窓白雨

つば広の帽子の吹かれ飛魚よ


なぜアンテナが向いていないかと言い訳すると、この系統の俳句は読者とのコミュニケーションを前提に作られているように感じてしまう。すなわち、読者が積極的に良さをくみ取ってゆく、もしくはくみ取るトレーニングを受けた読者が面白みを感じる、ということ。

それは、僕は作者と読者は常に対立・緊張関係にあってほしいという個人的信条にも通じる。

さて。

テクニックの話をすると、「航海」が俳句的俳句であるのが良さであるのに対して、「歓声」はいい意味で俳句俳句していない感性が文体にも表れている句群だと言えるだろう。

生若布ぱつと緑になるゆふべ

十五夜の空腹すこし心地よく

天高くあり給食がカレーの日


名詞で終わる句、切れ字の比較的少ないところなどからもそれが現れていると言えるだろう。

初場所の遠くの席へする会釈

の「会釈」止などは、今回の50句の雰囲気をよく体現しているだろう。

動詞が印象的な句も多い。

急がぬ日急ぐ毛虫を見てゐたり

秋冷にちりばめらるるチアガール

集まりて食べて別るるこどもの日


そういう意味では、動的な良さが作者の持ち味なのかもしれない。


2 コメント:

岡田由季 さんのコメント...

とりあげていただきありがとうございます。
拙句
>集まりて食べて判るるこどもの日
漢字「別るる」です。
細かくて申し訳ありませんが・・。


週刊俳句 さんのコメント...

申し訳ありませんでした。

訂正しておきます。