2013-11-10

朝の爽波91 小川春休



小川春休




91



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の初夏から盛夏、六・七月頃かと思われます。昭和六十二年の初夏から秋にかけて朝日文庫で『ホトトギス雑詠選集』が復刻。爽波さんも大いに喜んだそうです。「青」に連載の「枚方から」、六月号はこんな感じでした。
(前略)
  人殺す吾かも知らず飛ぶ螢    普羅(大・2)
  己が庵に火かけて見むや秋の風  石鼎(大・4)

 今の時代から見れば随分と大らかな時代であった大正初期の時代ですら、このような句が生まれるように、人間とはいつ、どこで、どのような事を考えているのか分からない不思議な存在なのである。
 ましてやストレス社会と言われ、不確実性の時代とも言われる今の時代を何とか生き抜いている我々なのである。このような状況の下にあって、自然とのさまざまの出会いがあり、人間社会でのさまざまの邂逅があり、葛藤がある。
 その当然の結果として一人の俳人の作る俳句が「多様性」に満ち満ちているのは当然の帰結であって、むしろそうでない方がおかしいのだと言わざるを得ない。(後略)

(波多野爽波「枚方から・多様性について(その二)」)

二階へ運ぶサイダーの泡見つつ  『一筆』(以下同)

細長く、背の高いコップに注いだサイダーを、盆に載せて運ぶ。一階に厨房があり、二階が子供部屋になっているような住宅であろうか。少し暗い階段は静かで、足音とサイダーの泡の弾ける音だけが聞こえる。揺らさぬようこぼさぬよう、息を詰めて上ってゆく。

葭戸入れぎざぎざの葉に雨雫

葭戸とは、葭簀をはめ込んだ戸または障子。夏の間、襖や障子の代用として用い、その涼を楽しむ。特に、掲句のように葭戸を入れたばかりの時など、見慣れた屋内の景が一変し、新鮮に感じられる。ぎざぎざの葉の先端に雨雫が光って、いかにも明るく瑞々しい。

そのむかし書生部屋とか釣荵

書生自体、遠い昔の存在となった今、かつて書生部屋を備えた家の古さも自ずと思われる。元は書生部屋であった一室、今は特に用途もない、さっぱりとした空き部屋になっていようか。開け放した窓から、軒下の釣荵が見え、古い日本家屋ならではの涼を感じる。

噴井辺に根で連つて盛る花

山麓などに湧き出る清水を井戸としたものが噴井。それ自体の涼味は勿論のこと、周囲に青々とした草木も見えてくる、拡がりのある季語だ。目に見えぬ地下水が、片や噴井として湧き出し、片や花の根へと吸い込まれて今を盛りと花を咲かせる。活気に満ちた景だ。

籐椅子の鱗払ひて坐りけり

「室津 四句」と前書のある句のうちの一句。室津は播磨灘に面する、兵庫県の港町。様々な人が使える場所に置かれた籐椅子、衣服に鱗が付いたままの漁師らが座った後には、鱗が残る。次の者はそれを払って座る。そうして長く港町で使われてきた籐椅子の佇まい。

 

さて、引き続き、第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の夏の句。「青」に連載の「枚方から」、七月号はこんな感じでした。今回の〈裂かれたる穴子のみんな目が澄んで〉など、心の方も澄みわたっていないと書き得ない句、という印象を受けます。
(前略)私はかねがね吟行には「一物集中方式」を繰り返し提唱しているのだが、これを身を以て実行する人はまだ殆ど見かけないのが現況である。
 「もの」を見ると言っても、当然のことながら心を通して見ているのだから、その肝腎の心の方が雑念をうち払い、落ち着きを得、そして澄みわたる状況にまで至らないことには、本当に「もn」など見えてくる筈がない。
 こんな分かり切ったことを僅かな持ち時間の範囲の中で遂行しようとするのだから、句作りは真の一物集中方式かまたはそれに近いやり方にならざるを得ない。
 また心が落ち着きを得て、更に澄みわたる状況にまで立ち至るためには、物理的に言っても、どこか一カ所にしっかりと腰を落ち着けることが必須の要件だろう。
 歩いてばかりいて、おりおりあちこちで一寸立ち止まって句帖を開くのでは、心の落ち着きなど得ようとする方が無理というものだろう。(後略)

(波多野爽波「枚方から・吟行の心得(その二)」)

裂かれたる穴子のみんな目が澄んで  『一筆』(以下同)

「室津 四句」と前書のあるうちの一句。室津という港町での句でもあり、水揚げされたばかりの穴子であろう。鰻に似た長い身を裂かれた穴子が揃って目を見開いている。残酷だとか可哀想だとか、そういう感情以前の現実を、鮮度を持って提示している。

二十頭ほどの斑の牛冷しある

夏、農耕などで疲れた牛の汗を水辺で洗い流す。「斑の牛」と言うと、素人目には乳牛のように思えるが、乳牛も冷すのだろうか。牛は元々大きい動物だが、それが二十頭ほどとなるとかなりのボリューム。それぞれに斑も異なるのだろうが、今は水辺で一塊りだ。

いろいろな泳ぎ方してプールにひとり

クロール、バタフライ、背泳、平泳ぎ、等々。いずれにせよ、いろいろな泳ぎ方をしながら泳ぎ続けるのは泳ぎにかなり熟練した者でなければ難しいだろう。自分の世界に入り込んでいるようだが、殊更「ひとり」と述べるのは、少し引いた視点とも感じる。

席替へてここはふつくら夏座布団


夏座布団は、麻などの薄い布地を用いたものや、藺や革のひんやりとした感触のものが多い。気にも止めずに薄い座布団に座っていたが、偶然席を替えて初めて、この座布団はふっくらしている、さっきまでの座布団は何だったのか、と気付かされた時の驚き。

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