2013-11-17

SUGAR&SALT 1 家鴨光りまひるともなき道に出づ 三橋敏雄 佐藤文香

SUGAR&SALT 01 
家鴨光りまひるともなき道に出づ 三橋敏雄

佐藤文香

「里」2010年4月号より転載

三橋敏雄全句集をいただいた。

ようやく箱から出し『太古』の「序」を読もうと試みる。いつも自分がするように、はじめのページを画面のように見る……胸が詰まり、怖くなり、本を閉じる。

そういえば、いつだったか、三橋敏雄の全作品を書き写そうと大学の図書館の地下に行ったが、すぐにやめてしまったのを思い出した。

今やめたら、あのときと同じだ。そう思い、もう一度、本を開く。また文字を見てゆく。文字は文になる。

この「序」、言葉のなかで意味が苦しんでいて、文字を出られずにいるように見える。意志の量に対して、無意味な言葉を削ぎ落としすぎているのだろう。

辛いので音読したが、音だけが抜けてゆく。

また黙読しようとするが、途中から意味を追えなくなり、無意識のうちにはじめに戻ってしまう。これはすべて書き写さねばならない、と思ったとき、以降の三橋敏雄の仕事の大きさに耐えかね、呆然とし、動悸がする。読めない。悔しくて泣く。

だいたい、三橋敏雄のすべてを理解しようとするなどおこがましい。にもかかわらず、どこかで、理解できない筈がないと思っている。

……理解? 私以外の人は皆三橋敏雄を理解していて、私を嘲る? お前、三橋敏雄も読んでないのか、と……その皆は、私の外の皆ではなく、私の内なる皆である。私のみぞおちのあたりで輪になって踊るとんがり帽の小人族たちである。

その中心に膝を抱えて座り、私は泣いている。三橋敏雄どころか、誰も知らない私。小人たちは輪の中心にいる私を、くちぐちに「便所!」と罵る。その便所の位置、次第に深い落とし穴の底のように暗く狭く、私を閉ざす。こんなに暗いと本が読めないじゃないか。走り出せないじゃないか。
かけがへなく重大なる現代に生きる人間のひとりとして、私の心奥にはもつともつと明るい光源がある筈であると確信するとき、そこから生れてくる未来性を、必ず後代に現実化し得る自信をもつて、厳正なる意味でのロマンチシズムを、素朴に作品化し肉体化しようと思ふ。(『太古』序より)
厳正なる意味でのロマンチシズム?

この暗い落とし穴にいる現在の私にとっては、手の届かぬ光こそロマンである。走り出す、読む、そのための光。それは、こじあけるべき我が心奥に埋もれている光源と同じものか?

とすれば、その明るみを思い、ありのままに書こうとするのが私ではないか。書ければ作品は、未来に存する。

私と未来のために、私は書く。そして、そこで得た光のもと、三橋敏雄を読むために。

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