2013-12-15

朝の爽波96 小川春休



小川春休




96



さて、今回も第四句集『一筆』の「昭和六十二年」から。今回鑑賞した句は昭和六十二年の秋、中秋の名月から少し過ぎた頃でしょうか。この年の初夏から秋にかけて朝日文庫で『ホトトギス雑詠選集』の復刻版が刊行され、これを大いに喜んだ爽波さん。「青」の昭和六十二年十月号の「枚方から」にて、いかにこの選集が偉大なものであるか、力説しておられます。
(前略)明治四十一年から昭和十二年までの「ホトトギス」の「雑詠」からの選抜と一口に言うが、その元をなすこの期間中の「ホトトギス」の雑詠とは如何なる存在だったのかを正しく認識しておく必要があろう。
 八月号の「後記」にも触れたように、この期間は「俳壇」即「ホトトギス」の時代であって、鬼城・蛇笏・石鼎・普羅・水巴など大正時代を代表する作家、そしてこれに続く四Sと称せられた作家、即ち、誓子・青畝・素十・秋櫻子ら、更には茅舎・たかし・草田男など虚子の生み出した俊英が続々と輩出した時代であり、また俳句を学ぶ者の殆どが全国の津々浦々から虚子選の「ホトトギス」雑詠への「入選」を目指して懸命に投句し、雑詠選が高レベルであった為に、一句入選を赤飯を炊いて祝ったなどのエピソードも沢山残っているくらいであった。
 ましてや毎月の「ホトトギス」の「巻頭」など衆目注視の的であって、「ホトトギス」の生んだ有名作家とは、激烈な競争を勝ち抜いて「巻頭」という輝かしい勲章を幾つか胸に飾ったエリートたちとも言える。
 この選集の掲載句、九千六百余句とは、この期間中の入選句十六万六千余句からの選抜であり、そしてその入選そのものがどれだけ多くの人たちの骨身を削るような思いをし、その習練の果てのものであったかを考えれば、襟を正し、膝を正してうち向かうべき一書であることが先ず銘記されて然るべきと思う。(後略)

(波多野爽波「枚方から・『ホトトギス雑詠選集』」)

犬入院猫退院の月夜かな
  『一筆』(以下同)

一般家庭でもあり得ない景ではないが、やはり動物病院などを思い浮かべた方がすんなりと読める。入退院する犬猫には当然、それに付き添う飼い主やその家族があり、入院する犬への心配や退院が叶った猫への安堵など、月の下での群像劇と言った様相を呈している。

箸の先噛んで見てゐる野分かな

突然窓硝子をガタガタと鳴らす強い風に目を奪われる。句中に記載はないが、思い浮かぶのは昼。強風に雲がどんどん押し寄せ、日も届かず薄暗い。ささやかな昼食のほんの一瞬、そんな窓外の様子に目を奪われるのも、箸を噛んでしまうのも、無意識の行動。

金策に夫婦頭を寄せすいつちよん

掲句は恐らく夜の景、灯をあかあかと灯すでもなく、堂々巡りで結論の出ぬ金策案を話し合っている。言葉が途切れてしまうと、馬追が「すいーっちょん」と鳴く声がよく聞こえる。金策に悩む人々を見る目には、爽波の銀行員としての経験が影響しているか。

鉦叩虚子の世さして遠からず

鉦を叩くように、澄んだ声で鳴く鉦叩。そのかすかな声が聴こえるということは、辺りが静寂に包まれていることでもある。虚子の没年は昭和三十四年、掲句の詠まれたのは六十二年。師の逝去から二十八年の時を経て、未だに巨大な師の存在を強く心に宿している。

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